【第百十一号:六十四年間生きてきた忸怩たる思い(國民としての私の責務)】
初めての有料版 士魂商才(専門編)ですね(笑)。今後、NEXT20 SOFAにおける、士魂商才実務版は、従来通りずっと無料でお届けします。
私は、今まで、多くの「國民」としてのミスを犯してしまいました。その歴史をつづります。
「高度経済成長期の過ごし方」「石油ショックやプラザ合意での諸先輩方への甘え」「ソ連の崩壊の時の他人事のような考え」「バブルへの誤解」「拉致被害者の一部帰国の際の思考の浅さ」「ロシアのウクライナ侵略の際とソ連崩壊時と同様の思慮不足」「安倍晋三氏の暗殺(安倍氏の功績を讃えるのではありません)の捉え方」。まだまだたくさんあります。
真に國民主権が大切なら國民はわがままなおねだり國民ではなく、しっかりと自分の責務を負わないと民主主義なんて成り立ちません。
我が國においては誰が正しいかではなく何が正しいか
その「何が正しいか」に基づいて民主主義を守る必要があるのに、「何が正しいか」を省いて、民主主義への冒涜だと、安倍さん暗殺の時に、様々な政治家が叫びました。
幼い時、バスに乗るために並んで待っていました。数人の人間が割り込みをしようとしました。すると、誰かが叫びました。「並べよ!お前らそれでも日本人か!」と。私はその時、「ああ、日本人というのは、しっかりとしなければいけなんだ」と強く思いました。
政治家は、はっきりと國民に、國民主権は何かを訴えるべきではないでしょうか。官僚もメディアも。そんなことを考えながら私の半生を書き連ねていきます。PC(政治的妥当性:これに逆らうことは許さない)という「少数派を意図的に大切にする振りをして」國民を全体主義にしてしまうのではなく。
感謝合掌
皇紀弐千六百八十二年 令和四年八月吉日
株式会社 経営戦略室
代表取締役 寳德 健
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