苦しくなったらこの本をいつも読み返します。
故順教尼さんは、子供の頃実の親に両腕を切られてしまいました。
なのに、口で書かれる絵画が素晴らしいのです。詳しいことは調べていただくとお分かりになると思います。
お弟子さんをたくさ取られていました。
ある時、父親のやっていた工場で遊んでいる時に両腕を機械にはさまれた少年が順教尼さんの事を知り、教えを聞きたと連絡をしました。
京都にいた順教尼さんは大阪のその少年に言いました。「一人で来なさい」と。まだ、今の様に障碍者に優しい時代ではありません。
少年はトイレは前の日から水分を控えましたが、切符を買うことが出来ません。他の知らない人に頼んで買ってもらうことはできますが、悪い人だとお金を取られてしまいます。工夫に工夫を重ねて京都までいきました。「どうやった?」着いたときの順教尼さんの少年に対する言葉です。つまり、障害者であることに甘えなかったかと言ったのです。その少年も素晴らし書家・画家になりました。
また、あるときは、小さい時に小児まひになった女性が来ました。手足が思うようにききません。順教尼さんは言いました。「今から、トイレを掃除して来い」。女性は答えます。「家でもやったことがありません。できません」 順「なら、帰れ!!!」
女性はしかたがなくなんとかやり遂げました。
順教尼さんは言いました「せっかく障害者で生まれたのに何を甘えているんだ。やろうと思ったらできる」
私たち健常者は何をやっているでしょうね。
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