六十四歳になってしまいました(笑)。昭和三十三年(1958年)八月二十日七時三十六分(だそうです)生まれ。いろいろなことがあったけど、あっという間の六十四年間だったなあ。
でも、こうやって楽しく仕事(志事)をやっていると年を忘れてしまいます。確かに年齢的な身体の衰えは、致し方がないところもありますが、最近、会社の経営戦略を変えてから、仕事(志事)が更に楽しくなって、少し若返った気がします。
私の父も、宇佐美の親父さんもそうでしたが、仕事(志事)をしていたら男は年を取りませんね。
女性とは、とても優秀。マルチな才能を基本的に有している。妻・母・奥さん・仕事などを楽々とこなします。
男は仕事しかできない、シングルグレードです。
その仕事しかできない男に今のPC(政治的妥当性:逆らうことを許さないメディアの創り上げた考え方)が男に女を求めます。立ち合い出産、いくめん、家事・・・・。
男にそれを求めると男が唯一女性より優っている、将来を見すえた、絵が描けるという力を削いでしまいます。
rあ
かつての「日本」女性はそれがよくわかっていました。だからこの弱い男に、特に息子に「あなたは男でしょう!!!」とか、「女の腐っみたいになりなさんな(この意味がどうもわからないが:笑)」と育てました。
子供の頃に泣き虫なのは男の子の方ですよね(笑)。だから「男の子が泣いていいのは親の死に目だけだ」と教えられました。
まさに、私の母などは、この「婦道」そのものでした。何十年も病気を抱えながら「痛い」という言葉を聞いたことがなかった(もう亡くなる寸前は言いましたが)。私が膝をけがして十二針縫う怪我をしました。病院の手術しているとき、手術を受けている私の頭の上で「あなたは男でしょう!泣いたら承知しないからね!」と一針縫うたびに叫んでいました。確か小学校四年生ぐらいだったと思います。
普段は優しいのですが、日本男児として外れたことをやるととても怒られました。
ある時、病気でしんどうそうでも必ず家事は完ぺきにやろうとする母を手伝おうとすると「これは私の仕事!私に恥をかかせないで。あなたは男でしょう。他にやることがたくさんあるはずです」と言われました。病気で寝込むまでは、寝ている姿を見たことがなかった。「お母さんは、いったいいつ寝てるんだろう」と思っていました。
私の結婚式の時には、もう身体がボロボロでした。車いすでの参列でした。みなさんのおかけで素晴らしい結婚式となったのですが、その後、親族の集まりで(私は出席していませんでしたが)、久々に会う親戚の長老の一人が、「健くんを、あのような男に育てたのは誰ですか?」と言いました。すると母が「私です」と答えたそうです。子供の頃の私は、身体が弱く父と母は「この子は大人まで生きられないだろう」と話したそうです。「だったら、強く育てることにかけてみよう」とも。
かつての日本の母(婦道)というのはすごいですね。命を懸けて男の子を男として育て上げました。親戚の人は、「お母さんは、あなたには本当に厳しかったね」と私に言います。そうなのかなと思っていました。それが当然なのだと。それにしてはずいぶんと伸び伸び育ちましたが(笑)。
まだまだ母の期待を満たせていませんね(笑)。
さてと、大好きな仕事(志事)をするか。まだまだこのまま天國に行ったら母に叱られるばい。
「お母さん、産んでくれてありがとう」
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