戦争の記憶でない、敗戦の記憶だ(皇紀二千六百八十二年 令和四年八月二十日 弐)

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 最近でこそ終戦記念日ではなく、終戦の日と言います。だいたい、戦争で敗けたのを記念する國がどこにあるか。

 國と國との関係は、外交か戦争かです。でも、戦争は出来るならやらないに越したことはありませんでした。あの殺し合いの國古代支那の戦術家 孫氏も、戦争は条件がそろわないとやってはいけない、いや、できることならやらない方がいい、と言っています。國力を恐ろしく弱めるからです。

 だから孫氏も「兵は詭道なり(戦とはだましあいだ)」と、謀略により相手の國の力を弱めることをすすめます。つまり、スパイです。

 しかし、どうしようもない時は、戦争が必要です。日清・日露戦争などはそうです。

 大東亜戦争も、アメリカがソ連に騙されて我が國をとことん追い詰めてしまいました。あれもいかしかたがないのかもしれませんが、海軍があまりにもお粗末な戦い方をしてしまいました。特に、皆さんが賛美する山本五十六が。

 確かに國力はアメリカと大きな差がありました。でも、日露戦争当時のロシアとの比ではありません。

 軍事力では、我が國は、世界最強の帝国陸海軍でした。

 アメリカに非があるにせよ勝ってしかるべき戦を負けたのは海軍、特に山本五十六の責任です。

 なんにせよ、かの大戦の検証は「敗戦も記憶」としてとどめなければなりません。「戦争の記憶」ではありません。でないと、メディアも過った報道をします。

 世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の國 我が國日本は、その奇跡を護るために、必要な時はきちんと戦ってきました。情報を集め、武器を揃えて。

 戦国時代から江戸時代などは、武装中立で、あの野蛮極まりない欧米や支那を近づけもしませんでした。

 もうそろそろ目を覚ましませんか?

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このページは、宝徳 健が2022年8月20日 06:29に書いたブログ記事です。

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