十一月二十三日は新嘗祭でした。勤労感謝の日なんてへんてこりんな名前ではありません。
天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者であり、清く正しい統治をする限りそれは永遠に続く)
斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作国家である)
宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)
天照大神の「斎場の稲穂の神勅」に起源を発します。我國で最も大切な祭事です。
天皇陛下はこの日まで、新米をお召し上がりになりません。
まずは、三大神勅から。神勅なんて言葉は、世界中に奇跡の國我が國日本にしかありません。
斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作国家である)
宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)
だから現代でも生きているんです。一時の流行に酔って「パンがおいしいとか(それはそれで否定していませんがメディアに乗ってしまうと過去の日本の歴史を否定しろという論調になる)」
何を言いたいか、天照大御神は、「何を取り入れてもいいけど、基本は、米だ。一番効率がいい」と仰っています。国家公務員上級職試験に宮澤俊義の憲法「典」学をがあるより、古事記の「不易」があったら、「小麦」の流行だけでは、決してこんなことにはならなかった。
私はパンは大好きです。でも「パンの流行」に日本人が置き換わると思いますか?
今こそ、古事記を読まないと。