熊蟄穴(皇紀二千六百八十三年(令和五年)十二月十一日)

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 明日から大雪 次候 熊蟄穴ですね。

 あんなに暑かった夏がいつの間にやらすぎて、今年は、暖冬とか言われていましたが、寒い日が続きますねえ。熊は、そろそろ冬眠する時期なのですが、まだ冬眠していない熊も出てきています。アーバンベアなどというふざけた名前も出てきていますよね笑。熊が人間を襲う。人間と熊、どっちが正しいかとの議論はナンセンスです。

 でも、熊の除去を批判・非難する人もたくさんSNS等で出てきているそうです。

 少し考えるとわかるのですが、そこに論点を当てるとややこしくなります。なら、その批判・非難する人のために熊がどんどん出てくる地域を作って、そこに住んでもらったら同じことが言えますか? 熊が出てくる地域に住んでいる人の恐怖をきっと感じるでしょう。

 こういうのを日本国憲法「典」の平和主義といいます。「自分だけ平和であればあとはどうでもいい」というものです。北朝鮮に拉致された人たちを救おうともせずに自分だけの平和を楽しんでいる人たちです。

 原発でもそうです。

 なら、原発反対派に、炭と薪とせいぜい水力発電だけの地域を作ってあげるからそこに住みますか?と言ったらそれは無理ですよね。

 
 こういう本があります。

 対象4年12月9日(ちょうど108年前)に発生した「苫前三毛別事件」のことが書かれています。北海道北部、苫前村三毛別の六線沢集落で2件の開拓農家が襲われ、二日間で合計6名、妊婦が懐妊していた胎児と3年後に死亡した用事を含めれば2日間で6名が熊に食い殺されました。


 

 ここに入植した人たちが「明治43年頃から前後して、隣村の鬼鹿、大椴の両開拓地に一五戸が入居してきました。この人たちが熊に食い殺されたのです。さあ、あなたならどうしますか? それでも避難しますか?それともここに住みますか?

 もちろん共生することを考える工夫が必要でしょう。だけど、そこに焦点を当てず避難だけする人はここに住んだときにどう考えるのだろう。それが今、我が国を覆っている「自分勝手な平和主義」なのです。

 拉致被害者5人の方が帰っきたときに、北朝鮮に返せという声がありました。

 金日生は、あのとき「日本との戦争を覚悟」しました。なのに、日本人が怒らないので拍子抜けしてその後高飛車に出ました。


 ソ連崩壊の時は北方領土を取り返す最大のチャンスでした。でも、国民はそれをしませんでしt。主権者ですよね?

 同じくソ連崩壊の時、世界各国は、日本は大国になるだとろうと予想しました。

 でも、出てきたのは財務省と内閣法制局です。かれらはとんでもなく我國を弱めました。

 いいのかね。

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このページは、宝徳 健が2023年12月11日 08:24に書いたブログ記事です。

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