滅法会(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)ニ月二十日)

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  前、家族に「サイクは流々、仕上げをご覧じろ」というラインを送ったら、「何その言葉」と散々馬鹿にされました。知らない方がおかしいのに。言葉は発展したり死語になったりするものが出てきますが、退化させたり、素敵な言葉がなくなったりするのはいかがなものか!!! 我國は、言霊の幸(さきは)ふ國でした。
美しい言葉を使い合うので、とても素敵な社会が自然と出来上がっていました。まだまだ、欧米や支那やロシアや朝鮮に比べたらずいぶんマシですが、それでも、私たちの子供の頃に比べて、信じられないくらいの事件や出来事が起きています。叫ぶような表現をする英語を子供の頃から習わせるなら、その裏付けとなる日本語の勉強をしなければ。

 身近な例で言うと、すぐに「全然大丈夫」「どり肌が立つ」などの間違えた使い方を平気で、テレビでアナウンサーまでもがします。悲しくなります。

 すぐに「協力します」と言います。何か第三者的な響きがあります。大和言葉には「力を添えあふ」という素敵な言葉があります。

日本國憲法「典」による、日教組等の不埒な過った教育が原因です。情けない。

  閑話休題。滅法会も面白い表現なのに、もう、あまり使わなくなった日本語ですね。若い人は知らないかも。
 滅法つよい、とか、滅法会素敵な人だとか、滅法綺麗、滅法素敵なとどとつかいます。「滅法ない」というと「とでもない」「程度が甚だしい」「恐れ多い」です。

 仏教で滅法を言語とします。識に外れた〜という意味です。ほんとうは、もう少し、裏付けがある仏教の言葉なのですが、これはまた、私が覚えていたら後日。

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このページは、宝徳 健が2024年2月21日 05:34に書いたブログ記事です。

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