こんなことを言うと「こいつ何を言っているんだ」と言われる間もしれませんがあえて。
元々、我國日本には「人権」なんてプアーな言葉はありませんでした。それを持って「第日本帝国憲法は未熟だ」というバカな学者や政治家もいます。あれは明治の男たちの欧米に対する大いなる声なき挑戦だったのです。「欧米の皆さん、我國は、人権などと言う言葉がなくても立派に國を作ることができるのですよ」という。はっきり申し上げます。基本的人権というのは長い長い欧州の就業戦争からでた言葉です。そして、本来の意味は、
人を殺してもよい権利
です。でも、流石にそれはダメなので法律で認めていません。でも、今、私たちの子供の頃では信じられないぐらいひどい殺人事件が起きています。老若男女問わずに。
ふたつの出来事を紹介してそれを証明しましょう。
1.安倍晋三元首相暗殺という「テロ」
安倍首相がテロにあって暗殺された時に、法政大学の教授 島田雅彦がこんなことを言いました
「こんなことを言うと、また顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれないけど、いままでなんら一矢報いることができなかったリベラル市民として言えば、せめて『暗殺が成功してよかったな』と。まあそれしか言えない」
夕刊フジがそれを問いただしたところ、島田はさらに、
「テロの成功に肯定的な評価を与えたことは発言として軽率であったことを認めます。殺人を容認する意図は全くありませんが、そのように誤解される恐れは十分にあったので、批判は謙虚の受け止め、今後は慎重に発言するよう努めます」
とのたまいました。だいたいリベラルなどの共産主義左翼勢力は、絶対に責任を取りません。國家は会社です。それでいて他人のミスは、いじめのように執拗に追及しなす。この太字ことろ!!!殺人を求めていることを否定していないじゃん。ただのバカです。こう言うのを教授にしている法政大学は信じられません。またこのバカ教授は、こんなことを言っています。
「言論に対する暴力的封殺に抵抗を覚えるのは一言論人として当然である」
私は民主主義は非常に不完全な國家統治方法とだと思いますが、それでも共産主義左翼リベラルよりよほどマシです。共産主義左翼リベラルは体良く、民主主義を利用している國家は会社です。
2.京都アニメーション事件
あの殺人者を死刑にしなければ、今後、「ああ、あの犯罪でも死刑にならないんだ」と考える輩が雨後の筍のように出てくるでしょう。収集がつかなくなります。死刑廃止が叫ばれます。特に欧米ではそれがスタンダードだと。でも、欧米では、「犯罪者をすんなり殺してなるものか」という発想で死刑を廃止していないのです。その証拠に、懲役200年以上なんという恩赦が繰り替えられても懲役がなくならない判決があります。欧米、特に、欧米の刑務所は、中での殺し合いなどはザラです。そこに200年もいるのですからたまりませんよね。
閑話休題。京都アニメーション事件でも、あの殺人鬼に対して、弁護士は「基本的人権」に則って、責任能力を盾にしてきます。
弁護士法第一条第1項 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
とあります。そして、京都アニメーションのような訴えを裁判所にす。
親が子を虐待しさせる、池田小学校で小学生をころしたバカがいる。枚挙に暇がありません、
これが日本國憲法(典:憲法ではない)の
國民主権:國家を転覆して良い権利(フランス革命)
基本的人権の尊重:人を殺しても良い権利(欧州の暗黒の宗教戦争)
平和主義:自分だけ平和ならそれでいい(拉致問題)
國民主権というなら、主権者のみなさん、もうそろをろ目を覚ましませんか?
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