魚の棲む城(皇紀弐千六百八十四年(2024年)二月十二日

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 私たちの学校の頃、田沼意次は、賄賂政治だと教わりました。松平定信が、正しい政治なのだと。

 田沼意次以外では、享保の改革(徳川吉宗)、寛政の改革(松平定信)、天保の改革(水野忠邦)ですが、この3人はすべて緊縮財政で失敗しています(吉宗だけは最後の最後で大岡越前の金融緩和を実行したのでかろうじて成功と言われていますが)。何かを軸とする経済では、経済発展とともにその経済体制は必ず崩れます。この反省なしに、今の財務省は、プライマリーバランスを軸(本位制)としているので、経済が発展のしようがありません。特にリーマンショック以降の欧米の合言葉は、

日本の様(緊縮財政による経済成長のストップ)になるな


 が合言葉になっています。はっきり言って、松平定信と徳川家斉が、江戸時代を潰した様なものです。緊縮財政に走った松平定信。経済拡張はしたが、太平に甘んじ外交・軍事を疎かにした家斉です。


 では、誰が一番素晴らしかったか。
 田沼意次です。彼の経済政策も外交政策も全く正しかった。徳川家重亡き後、松平定信の嫉妬による讒言で田沼意次は失脚しました。学校の歴史ではそう習いした。

 でも、田沼意次の正しい研究では、彼ほど魅力的な人間はいませんでした。

 それを書いた本が、平岩弓枝さんの


 です。

 内容は割愛しますが、なんと面白い。そして、語彙が豊富で日本語の勉強にもなります。

 あの素晴らしい田沼意次を失脚させたの、松平定信が流した根もl派もない噂が原因でした。

 広く世界にへ目を向け、硬直化した幕府財政の立て直しに努めました。学校で学ぶ歴史を信じてはいけません。

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このページは、宝徳 健が2024年2月12日 05:01に書いたブログ記事です。

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