今日のブログの日付は「朔日」としています。一日のことです。
「ついたち」という言葉は、月の満ち欠けに関係する「月立ち(つきたち)」という言葉が変化しています。旧暦の太陰暦(月の満ち欠けの周期)では毎月1日が新月(朔)で物事の始まりを意味するという説があります。
旧暦をやめなかったらよかったのに。新暦とふたつあったらややこしくなる? それは官僚の発想です。日本人は賢いから両方ともこなすでしょう。官僚が心配することではありません。
江戸時代には各家庭に塵劫記が一冊ありました。算数ではなく数学です。「読み書きそろばん」の意味は
読み:支那の古典(支那の古典は、支那人が実現しっこない二限社会の理想をことを書いたモノです。あの國では、そんなものを実現しようとしたら殺されてしまいます。でも、支那の風習を除いて、とてもよいことが書いてあります。
書き:手紙
そろばん:数学
です。また、神社には、新しい「数学の問題が張り出してあり庶民は競ってその問題を解いたそうです。明治になったときに海外にいろいろ学びに日本人が行きましたが、数がだけは覚えることがなかったそうです。
ことばもそうですね。小学校から英語教育など、國家を破壊する所業がなされていますが素晴らしい日本もきちんとはなせないのに、英語で何を話すのでしょう。
ホツマツタエや大和言葉を学べばいいい。そうしたら、我國の文化の素晴らしさを英語で外国に教えてあげることができます。
あっ、そうだ、神様の拝礼も1日と15に日はいつもの「水・米・塩」の他にお酒を供える特別な日です。
それを旧暦の1日と15日は小豆を食べる習慣があったそうです。旧暦1日は月が膨らみ出す新月、15日は丸くなった満月を祝って、お赤飯を炊いたそうです。なんでも小豆の赤は生命のシンボルと言えるほど生命を守る成分が豊富で、仕事の能率を高め、疲れを残さなないための、稲作を生業としてきた日本人の知恵だそうです。井村屋さんのホームページに載っています。
くれぐれの旧暦をやめたのはもったいないなあ。