観音経2(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)三月二十三日)3

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 観音経の第一文は、「爾時無尽意菩薩即従座起変方」です。「にじむにじぼさそくじゅうざきへんだんうけん」と読みます。

 般若心経を暗記したときもそうでしたが、最初は、何にことが書かれているかさっぱりわかっず、ものすごいストレスに襲われました。でも、暗記して暗誦ができるようになるとだんだんわかるようになるのですね。すごいなあ。

「その時に無人意菩薩、即ち座より起ち、偏に右の肩を袒にし」です

 現代文に直すと「釈尊が、普門品をお時になった時に、無人意菩薩はさっと説法の座中に起ち、敬礼して右の方をあらわして」です。

 未日方をあらわにして、左肩だけ法衣を着ている状態にするのは、相手に対する敬意を表しています。無人意菩薩は菩薩の一人で、法を無尽蔵に聞く人です。

 般若心経も釈尊が舎利子(しゃりし)というお弟子さんに語っているという姿をとります。こういうケースが多いですね。

 釈尊は仏(如来:にょらい)です。人間界でたった一人悟りをひらいて如来になった人です。悟りをひらかないと如来になれないのです。菩薩は修行中でまだ如来ではありません。なので、菩薩を仏様というのはおかしいですね。

 悟りをひらいているので、仏には欲がありません。菩薩はまだ悟りをひらいていないのでよくがあります。それが、仏より立派な服とか、飾りとか、となって現れているのです。

 ねっ、仏教も面白いでしょ?

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このページは、宝徳 健が2024年3月23日 20:15に書いたブログ記事です。

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