和歌と國創り4(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)三月九日)

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あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る

 萬葉集を學習したら必ず出てくる歌です。この歌は、実は、ものすごい意味を込めたものなのです。

 我が國史上、すさまじい英雄が二人存在したことがありました。でも、両雄並び立たずです。悲しい結末が待っていました。

 天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子:おおあまのおうじ)です。しかし、この二人の血で血を争う時の流れは我が國にとつては大切なものでした。申し上げたいのは、時代の流れを創るとき、それは、生半可なことでは創れないといふことを、現代のぬるま湯に浸っている私たちは歴史から学ばなくてはならないといふことです。

 しばらくは、このお二人のことをみていきましょう。
 紹介した歌は、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌です。天智天皇の寵愛を受けています。

 滋賀縣東近江市一帯を昔は、蒲生野(がもうの)と言いました。そこで、鹿の袋角や薬草をとる薬狩(くすりがり)といふ公式行事が行われていました。そのあとの宴での歌です。

 實は、大海人皇子と額田王は、愛しあつてゐたのです。

 (あかねさす)紫の野を行き、人が入らないやうに標(しるし)をつけておいた野を行つて見ると、あなた(大海人皇子)が、袖を振っているではありませんか。野守(番人)にみられたらどうすのですか。

 額田王は天智天皇に寵愛を受けています。いはば、天皇の女です。天皇の女に天皇の弟がちょっかいをだすなんてことろ、門番にみられて噂になったら大変です。大海人皇子の天智天皇に對する挑戦の芽はこのころから生じていたのでしょう。

 さて、この額田王への大海人皇子の返歌は? つづく

【今日の和歌】
國民が 護るべきこと 大切な いにしへからの 大いなる智慧

 我國だけが世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の國であること。古事記を読もう。

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このページは、宝徳 健が2024年3月 9日 06:14に書いたブログ記事です。

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