鍵っ子(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月十三日)4

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 我が家はそうではありませんが、私たちの子供の頃に「鍵っ子」という言葉が流行りました。まだ、昭和三十年代から四十年代の日本が貧しい頃です。親が共働きをするので、家にいなくて、家の鍵を持っている子供のことです。我が家も父が入院したりして貧しかったのですが母が内職をしていました。絶対に家を空けて働きには出ませんでした。「お母さんは、いったいいつ寝ているんだろう」と子供心に思っていました。

 「貧しい」のが「原因」でした。しばらくこの言葉を聞いてなかったのですが、最近またこの言葉が出てきましたね。

 そうです、政府や官僚の愚策により「貧しくなって」しまったのです。今の世の中だったら、母はどうするだろうか?内職なんてあまりありませんが、頭の良い人なので、リモートワークを見つけるかしれませんね。

 誤解を恐れずに言います。何回考えても「こども食堂」というのがどうしてもわからない。いくら貧しくても(やっている方を非難しているのではありません。いく人です)。私の母だったら絶対に行かせません。

 子供の頃、一度、家事を手伝おうとしたら「お母さんに恥をかかせないで!」と偉く怒られました。私が大人になって母の病気が進んでとても辛そうに家事をしていたので、手伝おうとすると、「あなたは男でしょう!これは私の仕事!あなたには男としてもっとやるべきことがあるはず!」とまた、怒られました。

 もう就職して家を出ていた時、母の病気がいよいよ悪くなりました。会社帰りに夜ご飯を作りにいきました。その時はもう怒りませんでしたが、私の作った貧相な料理をもう食べられなくなっているのに必死に全部食べてくれて、父に「ほうら健たつくったの全部食べたよ」と言ってくれました。なつかしいなあ。寳德汎子(ひろこ)享年62歳のあまりにも短い一生でした。

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このページは、宝徳 健が2024年4月13日 17:32に書いたブログ記事です。

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