蕎麦の話(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月十四日)5

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 ずっと、昔に書いた記事を紹介します。

 日経ビジネスを読んでいたら、蕎麦の話がのっ ていました。またうんちくが増えると女房に言われるかもしれませんが、覚えておきたいので書きます。
 江戸江戸1860年には、江戸の蕎麦屋の数は3,763もあったそうです。現在120万人の東京人口でも5,000しかないのに、この数字は驚異的 ですね。

 なぜかという理由がとても面白く載っています。当時江戸には「江戸わずらい」という奇病がはやっていました。手足の麻痺を訴え、重症になると心臓が侵され死にいたります。ビタミンB1不足の脚気のことです。

 白米を多食した江戸ならではの病気ですが、当時原因は不明でした。治す方法もわからず、14代家茂は脚気で急死しています。

 この恐ろしい病気は蕎麦を食べると治ります。蕎麦にはビタミンB1が玄米に匹敵するほどたくさん含まれているからだそうです。江戸の庶民は無意識のうち にこのこをと知って盛んに蕎麦を食べていました。

 今日でも、蕎麦がわれわれの命を守る食物であると筆者は書いています。そばは穀類のなかでも最も優れた栄養価を持っていて、なかでもルチンという蕎麦だ けに含まれる成分は、冬に多発する脳卒中からわれわれを守ってくれるそうです。

 私は九州出身なので、うどん文化の中で育ってきました。東京に行ってそばのうまさを知るまで「蕎麦は貧しい地域の食べ物」と真剣に思っていまし た。蕎麦湯の存在さえ知りませんでした。その後就職して福島県に勤務したときに、蕎麦のうまさに感動したことを覚えています。

 思い込みはいけませんねぇ。

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このページは、宝徳 健が2024年4月14日 08:30に書いたブログ記事です。

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