小説 ホワイトハッカー純情7(皇紀弐千六百八十五年 令和六年(2024年)四月二十八日)2

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   健は長い長いGWに突入した。健のGWの目標は緊急かつ重要な仕事、士魂商才創り、そして、基本情報技術者試験勉強」ある。そして、 連休明けには基本情報技術者試験に合格するという覚悟を持った。よほどスケジュール整理しながらやらないと無理だ。難関はプラミングである。健は大学生の時に、計量経済学を専攻していたため、プログラミングはどうしても必要だった。しかし、皆目理解できていなかった。


  二十二歳の時に理解できていないことが、六十五歳で理解できるのだろうか?とも、考えたが、今更そんなことを考えてもしかたがない。GW初日に、令和五年度のA科目30問に取り組んでみる。

 受験でも、國家資格でもなんでも、まずは過去問を知ることだ。そして、対策と自分なりの勉強の仕方を身につける。いくら勉強を重ねてもこの「自分なりの勉強の仕方」をみつけそれを徹底絵的にやるしかないのだ。

 必要なのは、「勉強だけ」ではない。「学習」である。「まず学ぶこと」そして、「習慣:強い意志を揺らがないように何度も何度も同じことを繰り返して学ぶ」こと、そして、それは「自分なりに見つけた学習方法で」である。

 実は健は、中学浪人をしている。
 中学浪人とは、文字通り「高校に落ちて浪人すること」だ。健の中学での成績はそんなに悪くはなかった。本人もなぜ落ちたのか分からなかった。一年浪人して、福岡県立福岡高等学校にかなり上位の成績で合格した。合格した際、先生と母 汎子と健の三者面談があった。その時先生が「君は授業態度もいいし、部活もよくやっている。なのに、なんでこんなに中学校の成績が悪いんだ」と言った。

 健は、中学時代なぜか「札付きの悪」として、汎子が学校によく呼び出されていた。その「悪」の内容が違うのだった。あの、不良だらけの中学校で「札付きの悪」になぞ、なれるわけがない。そんなことをしたら本当に不良たちに殺されてしまう。

 先生たちが健にレッテルを貼ったのだ。社会の先生が、「治安維持法改正と書いてあるところを車線で消せ。そして、改悪と書き直せ」と言った。その時、健は、先生に猛然と反発した「治安維持法と同時に成立した法律はなんですか!?」。「何が言いたい」「普通選挙法ですよね。では、普通選挙法も改悪と書いていいですか」。社会科の先生は顔を真っ赤にして教室を出て行った。授業放棄である。当時の福岡県は日教組(福教祖)がとても力を持っていた。また、「スト権スト」という意味がわからないこともやっていた。担任のSがある日背広に「スト権スト」のワッペンを貼って来た。頭に来た健は、次の日、学生服いっぱいに世界の有名なテニスプレーヤーのワッペンをはっていったのだ。そう、健は、テニスをやっていた。クリスエバート、ジミーコナーズ、ジョンニューカム、ロッドレーバー、ケンローズウォールetcである。担任のSが「なんだそのワッペンは! すぐにはずせ」と健に言った。健の答えはこうである。

「先生方全員が、そのわけのわからんストなんとかというワッペンを外したら私も外します」

  また、3年生になった時に、仲が良い不良連中一派が、「すまん、勉強を教えちゃらんや。高校だけはどうしても入学して卒業したいったい」と健に言った。健は「まず、目標を持つこと、そして、目標と達成するという強い意志を持つことを約束したら教えちゃる」

 するとどうであろう、もともと頭の弱い奴らではないので、成績がぐんぐん上がるではないか(全員志望校に入った)。すると何が起きたのだろうか。つづく

七十五歳まであと3,402日(本日含む)

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このページは、宝徳 健が2024年4月28日 05:36に書いたブログ記事です。

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