これぞ経世済民1(皇紀二千六百八十四年 令和六年(2024年)四月十二日)3

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 「これぞ経世済民」というタイトルで故池田勇人元総理大臣(以下、池田勇人と書くことをお許しください)の経済政策を紹介し、そこのどのくらい邪魔をする人がいたかを紹介します。「経世済民」とは経済学の語源であり、つまり経済学とは世を救うものだということです。

 

 経済とは國の身体そのものです。身体が強く大きければ、それに合わせて服を買います。自分のできることできないことが決まってきます。つまり経済が國の身体そのもので、法律や防衛や福祉や外交などは、衣服や道具でしかないのです。明治の男たちはこれに気づきました。だから「富国強兵」という政策を打ち立て國家を守りました。というか、そうしないと國が潰れてしまうということに気づいたのです。今の日本でこれに気づいて愚痴を言わずに手を打っている人はどのくらいいるでしょうか?

 

 戦前、我國には共産主義が跋扈(ばっこ:のさばること)しました。経済政策を失敗して貧しくなるとこうなります。敗戦後にも、我國には共産主義革命が起きる危機がありました。もし、池田勇人がいなければその可能性がありました。國民は、貧しいといろいろな思想に走ろうとしますが、経済を成長させるとそんな馬鹿げた思想などにかぶれるよりも働いてどんどん伸びる給料をもらった方が得をすると判断します。これが経世済民です。江戸時代にも昭和にも平成にも令和にもこのマクロ経済がわかっているリーダーは、萩原重秀、田沼意次、池田勇人、小渕恵三(人気がなかったけど良い総理だったの。早逝したのが惜しまれます)、安倍晋三しかいませんでした。あとは、みんな緊縮財政か、インフレ時にインフレ政策をとる愚か者か、結果としてのミクロ経済に対策を打つ者ばかりです。さあ池田勇人をシリーズで解き明かしましょう。

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このページは、宝徳 健が2024年4月12日 06:51に書いたブログ記事です。

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