今日から、私が75歳にホワイトハッカになるまでの3,417日(本日4月14日も含む)の純情物語を描いてまいります。
さあ、3,417日の珍道中をお楽しみください。心のつぶやきは博多弁になることをお許しください。
あっ、あちゃーやってしもうたっちゃけん。ブログに「75歳までにホワイトハッカーになりますってくさ、宣言してしもうたろうが(令和六年(2024年)3月31日)。情報のことやら何も知らんめいが。ばってん今まででもそうやったろう。できるかどうかわからんばってん、「失敗することには耐えられる。でも挑戦しないことには耐えられない」でやってきたろうもん。100%無理ではなかろうもん。絶対でけんことではなかろうもん」
寳德健(ほうとくたけし、以下、健)。昭和三十三年八月二十日生まれの65歳(令和六年三月三十一年時点)。大阪府豊中市の父の会社の社宅で生まれた。お金のない時代である。病院で産むことは贅沢で、自宅でお産婆さんに取り上げられた。
その時、健は産声を上げずに生まれてきたのだ。生まれた当時から二十年近く寳德家と秋武家(母方の実家)には、男の子が一人も生まれていなかった。
産声をあげていない健の姿を母 汎子観て目の前が真っ暗になった。出産は二人めである。健の上の子は女の子である。それはそれは可愛い女の子(一美)で、あの働くことしか能がないような父 佳男が何日も「いってきます」と家を出ながらその数分後に、「ただいま」と戻って一美をずっと見つめているのだった。
しかし、それまでも何かと嫁姑の確執から、なんとしても男の子を産んで一定の地位を作らないとと汎子は思った。
その時だった。汎子の耳に「バシッ!バシッ!」という音が聞こえてきた。お産婆さんが毅之の両足を掴み逆さ吊りにして、往復ビンタをしているのだ。
「おぎゃーおぎゃー」健から産声があがったのだった。
「あー、お天道様、ありがとう」。汎子は心の中で叫んだ。
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