観音経7(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月十八日)4

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  観音経の次の文です。

若有持是観世音菩薩名者設入大火火不能焼由是菩薩威神力故
にゃくうじぜかんぜおんぼさみょうしせつにゅうだいかかふのしょうゆぜぼさいじんりっこ


若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設い大火に入るとも火も焼くこと能わず、是の菩薩の威神力によるが故に


 
この文は火の難から救われることを書いています。

 人もし観世音菩薩の名前を受持念称する時は、たとえ燃え盛る火の中に入るほどの苦しみ怒りくるうようなことがあっても、その火で焼かれることはありません。これは観世音菩薩の大慈大悲の神力が働くからです。

 繰り返しますが、仏教は、西洋の宗教のように誰かが救ってくれるというものではありません。誰かが救ってくれると思うと救われなかった時にその誰かの責任にしてしまいます。

 仏教は、自分の中に宇宙があると教えます。だから内観せよと。今回の教えも、観世音菩薩という自分の中に本来存在しているものを見つけたらということになります。

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このページは、宝徳 健が2024年4月18日 01:31に書いたブログ記事です。

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