観音経6(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月十五日)2

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 観音経の次の分文です。

受諸苦悩聞是観世音菩薩じゅしょくのもんぜかんぜおんぼさつ一心稱名いっしんしょうみょう観世音菩薩即時観其音聲皆得解脱かんぜおんぼさそくじかんごおんじょうかいとくげだつ 

 諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩を聴きて一心に名を称せば、観世音菩薩即時に其の音声を感じて皆解脱することをせしめん。

 私は若い頃、坐禅を組んだり、お経を読んだり、仏を信じたりしたら悟ると知り、「そんなばかなことがあるか」と思いました。あるとき、何回もお経を読んでいると、仏教で言うところの悟りとは、仏に助けてもらうのでは無く、自分自身の仏性に気づくことだと感じました。

 般若心経でいうところの「無」ですね。

 でも、これがなかなかできない。でも、できるかどうかよりやるかどうかですものね。自分のいかに無にできるかどうか。これが私が毎朝、般若心経を暗誦する理由です。

 観音経も暗記して暗誦できるようになります。

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このページは、宝徳 健が2024年4月15日 06:14に書いたブログ記事です。

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