道元の和歌9(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月八日)

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 道元が十三歳になった時(建暦二年 1212年)正月二十五日(現行歴三月七日)、法然(浄土宗の創始者)が亡くなっています。

 出家する覚悟をした少年道元は建暦三年公円(慈円の弟子)を戒師として剃髪、得度しました。そしてこの歌を詠みました。

谿(たに)にひびき 峰に鳴く猿 たえだえに ただ此の経を 説くとこそ聞

 此の経は法華経です。十三歳ですよ。すごいですね。

 比叡山では、学生(がくしょう)と呼ばれる僧侶を目指す得度者は、遮那業(しゃなごう)という天台密教か止観業(しかんごう)という天台の顕教かを、」いずれかを習得する過程を専攻します。道元は止観業に進みました。

 そして、法華経を読み込んだことで、大乗の実教が、正法・像法・末法の三時を区分することなく、いかなる時代も修行をすれば悟りを開くことができるという教えを知りました。その時、詠まれた歌です。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

 悟りを開くって日々の当たり前のことをしっかりと見つめることなんですね。

つづく

【本日の私の和歌】
毎日の  立てた計画 やらぬとき 今この歳にして 弱さを感じる 

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このページは、宝徳 健が2024年4月 8日 06:47に書いたブログ記事です。

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