小説 ホワイトハッカー純情9(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)四月三十日)4

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 健が、中学浪人をした話は昨日書いた。北九州に中学浪人用予備校は2校あった。北九州予備校の小倉校と八幡校である。健は八幡校高校進学コースである。

 当時の北九州は、山口組の北九州侵攻に対して工藤会と草野組が連携して防いでいた。ヤクザが戦闘服を着て闊歩し拳銃の音がパンパンとなっていた。女学生が、カバンの中に天板を忍ばせ、河原でチェーンを振り回して喧嘩をしていた。不良と呼ばれる高校は数多くあった。中でも九州工業高校という、長ランを着て丸坊主で「喧嘩のためなら死んでもいい」という生徒がたくさんいた。電車の中で吊り革広告を引きちぎって床に敷き、そこに座ってタバコをふかすのだ。それをサラリーマンが注意すると、次の駅で引き摺り出してボコボコにするのだ。

 九州工業高校が夕方下校時に乗る電車があった。その時間の電車は、九州工業=九工=急行にひっかけて「九工電車」と言って女子高生は絶対に乗らなかった。

 九州工業高校とは別に八幡西校などの不良高校があった。朝鮮高校である。この北九州市八幡区のど真ん中に、北九州予備校八幡校があった。

 とにかく朝鮮高校の生徒とは目を合わせてはだめだった。

 時々、朝鮮高校をやっつけに、国士舘高校が「朝鮮狩り」にやってくるのだ。その時に歩いていると、国士舘の学生から「お前はどこの高校や!!!」と胸ぐら掴まれる。「ちゅ・ちゅ・中学浪人です」と答えると、「なんやそれは。お前アホか」と言われる。心の中で「なして国士舘にアホって言われないけんとや」と思った。

 そんな環境の中で健の高校受験再挑戦がはじまった。健の一生の中で最高の一年がはじまった。
 実は、健が高校受験に失敗した時、父にえらく怒られた。「物事は成功しなくてはならない」と。そして、心配したのだろう。父はある私立高校の二次募集を探してきた。

 でも、健は、敗者のまま高校に行きたくなかった。一回目の受験の頃から、中学の学習で知らないことが多いのに気づいていた。だから、このまま高校に行っていいのかどうか悩んでいた。中学浪人の時「全国高校入試問題正解」という分厚い全国の高校入試問題が全部載った本を何度も何度も繰り返しといた。その解いた問題のわからないところをサブノートにし、それを、何度も繰り返し読んだ。

 母 汎子が喜んだことがあった。なんと、最初に行った授業料免除試験で、なんと、健は2番になり、授業料が半額免除になったのだ。当時、貧しかった家である。50円を道で拾ってきても喜んだぐらいだ。えらく負担をかけてしまったと健は反省した。

 さあ、勉強だ。

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このページは、宝徳 健が2024年4月30日 06:52に書いたブログ記事です。

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