2024年5月アーカイブ

 5月26日は、スケジュールからブログが満足に書けないと思いますので、25日の夜に書いています。


とこしへに 國まもります 天地(あめつち)の 神のまつりを おろそかにすな

  

 明治元年(慶應四年)三月十四日、明治大帝は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになりました。五箇条の御誓文です。この日、大帝自らが國難の先頭に立って伝統ある我が國を護り、世界各國との信仰を深めつつ國を隆盛に導こうとするにあたり、國民の力添えを求める告諭が、御誓文と合わせて布告されました。その時の御製です。

【拙首です】

命かけ 國を護ると 決意され 命をかけて 國を創ると
  次の文です。この記事は、私が観音経を暗唱するために書いていますので、みなさんがご覧いただかなくても結構です。

是因縁名観世音(いぜいんねんみょうかんぜのん)

  お釈迦様は、「このような因縁があって、観世音と名付けたのだよ」とお答えになられました。
  
 観音様というのは、釈尊にとって特別な存在だったみたいですね。般若心経でも観自在菩薩に語りかけるようなお経になっています。

  ブッダ、つまり、如来になる前の存在を観自在菩薩(観世音菩薩)と言います。特定の人物を指すのではなく、その存在に達した人が観音様になるようです。

 仏教では、地獄界→餓鬼界→畜生界→修羅界→人界→声聞界→縁覚界→菩薩界→仏海

を十界と言います。このうち地獄界・餓鬼・畜生・修羅・人をまとめて「六道(りくどう)」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏を「四聖」というそうです。

 菩薩は仏になるまえですね。
  共産主義左翼リベラルの立憲民主党(立憲共産党?)がまたやらかしてくれました。

 政治資金パーティは今後一切やらないという法律を作ろうとしている、共産主義左翼リベラルの立憲民主党の幹部が相次いで、政治資金パーティを開こうとしています。

 そして、開き直ったように、今は禁止されていないからいいだろう、と言っています。

 この人たち何を喋っているの? 旧民主党時代もこのようなことがたくさんありました。結局、共産主義左翼リベラルというのは、自分たちに都合のよいように物事を決め、それ以外はなんでもダメだが、自分たちには適用外とします。

 我國國体の「シラス」ではなく、欧米支那ロシア方の「ウシハク(支配による國家統制 なんでも支配者の所有物になる)」です。

 いったい、憲民主主義なってどんな政体? 共産主義左翼リベラルに都合のよいように、訳のわからない政体を主張しているに過ぎません。こんな政体を作ったら日本はめちゃくちゃになってしまいます。民主主義の我儘が暴走するでしょう。

  自民党政治もグダグタです。でも、この結果を作ったのは、政治家や官僚やメディアにだまだれる「主権者國民」の責任ではないでしょうか? 主権者の責任放棄だけはしないでください。

 さあ、そろそろ目を覚ましませんか?

 我國は、立憲君主國です。
 今日から、M&A用語を少しずつ紹介していきますね。
  そういう生い立ちからいろいろな人に適切に健は厳しく正しく育てられた。

  勉強の方というと少し遅れているが進んでいる。今日は、標的型攻撃メールへの対応訓練を学習した。
 私は昔、GACKTという人は、なんやら軟弱なただの不良だと思っていました。GACKTさんすみません。かなり硬派な方ですね。

  そのGACKTさんが、代行サービスについてこんなことを投稿していました。「変な時代になった」と。

  まず、「代行サービス会社が企業に電話をかけると企業側がかなり高圧的な態度に出てくる」と。


 さらに、若い人の考え方について「自分で代謝を伝えられないことには正直、疑問を感じる。辞める決意を伝えられずに、逃げていいのか。そこでの衝突も功労も、人生の1ページだと成長へのきっかけだろ感じるからだ。変な時代になったという居心地の悪い思いが胸に残るが、これもまた時代の変化なんだろうか」と、複雑な心境を吐露していました。


 私たちの若い時代に、高校や大学や社会人になっても、病気で休む時に親にしてもらう愚か者がでてびっくりしました(よほどひどい状態のときにはいいが)。

 すべて他人の責任が他人になっています。主語が他人になっています。こんな人間が令和なのだろうか。なら私は昭和親父でいい。
 今日の明治大帝の御製です。

わがくには 神のすゑなり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめ

(明治神宮ホームページより)

  天皇は国家の君主として、ご生涯にわたりよく敬神の道を実践されました。


  例えば毎年元旦には、まだ人が眠っている暁のころに神嘉殿(しんかでん)において四方拝(しほうはい)という祭りを奉仕し、五穀の豊穣、国民の幸福をお祈りされるのをはじめ、1月4日の政事(まつりごと)始めには各大臣を内閣に集めて、まず第一に伊勢の神宮のことをお聞きになり、それから一般政治のことが報告される厳粛な儀式をおこなわれました。


 それゆえ国家の大事にあたっては伊勢の神宮にご参拝になり、祭典や奉告の儀式をなさいました。また、歴代天皇の御陵の調査や保存・維持などにお心を尽くされ、敬神崇祖(けいしんすうそ)の模範をお示しになったのです。


 天皇はこのように敬神の御心が深く、明治元年の東京行幸の途次に関(せき=現在の三重県鈴鹿郡関町)に遙拝所を設けて神宮をご遙拝になり、翌年には改めて参拝されました。




 これは歴代天皇の中で初めてのことでした。それまでは勅使が天皇の命を受けてお参りするのが通例でしたが、明治天皇がこのような先例にない道をおひらきになったことは、皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)をおまつりする伊勢の神宮への深い崇敬の大御心にほかなりません。


  こうした御心は、明治26年に海軍力の増強を図るために、宮中の経費を大幅に削減して軍艦製造費に充てることになった時、宮内大臣に、


「皇祖皇宗の祭事ならびに山陵(=墓所のこと)や皇太后の供御(くご=飲食物のこと)に要する費用については少しも減じてはならない」

と命じられて、たび重なる皇太后からの費用削減のお申し出も、ついにお聴きにならなかったことにも如実にうかがえます。

 

 とこしへに 民やすかれと いのるなる わが世をまもれ 伊勢のおほかみ

 

とありますように、天皇は神宮ご参拝の折々に、いつも国民の幸せと国の安泰をお祈りになりました。」



【今日の拙首です】

ただ一人 國と臣民 祈りながら その生き方や いかにかあらむ


 ここで一度 父 佳男のことを何回かに分けて書いておく。祖父 儀一が北朝鮮に職をみつけたため、家族は移り住んだ。寳德家は、代々 福井県丹生郡越前町で北前船を営んでおりかなり裕福だった。祖父 儀一も福岡県小浜市の小浜水産高校に進学した。水産高校は当時日本では3校しかなく、かなりの名門であった。今は若狭高校に吸収されたが、それでも、水産高校の練習船雲龍丸はいまだ、7代として残る。初代は大正八年(1919年)である。

 祖父 儀一はかなりのヤンチャ坊主で、雲龍丸で宴会をする先生たちに芸妓さんたちを船で伝馬船で運ぶ時、わざと落としたという逸話がある。

 弓道は連枝の腕前である。ハイカラな祖父で、当時は珍しい写真も撮っていた。ところが、祖父 儀一が小浜水産高校在学中、寳德家の北前船が3隻同時に沈没してしまったのだ。寳德家没落の始まりである。

 健が子供の頃、家には儀一の写真が飾ってあった。眼光鋭く、とても二十代の写真には見えなかった。昔の男は大人だったのだ。写真? 祖父は、ソ連のシベリア拉致(抑留と世間は読んでいるが適切ではない)で帰ってこなかったのだ。

 枠が軍隊に入っていた佳男 上左 伯母 敏子
上中央 儀一 上右 叔父 正是 下左 末弟 治  下右 叔父 孝


 治が生まれていない時の寳德家
 東洋経済という名前を東洋ミクロ経済という名前に変えたほうがいい雑誌があります。

 数日前、その東洋ミクと経済が訳のわからない記事を書いていました。

過去には、政府債務が多い国が致命的な通貨安に直面した例は幾度となくある。そこには、必ず実際の為替取引が発生していた

国内の生産力が落ち込み、外国から大量の物資を買う必要があったり、外貨で賠償金を払う必要があったりしたなどの理由から、外国為替市場での外貨の購入量が急増し、通貨価値が大幅に下がったのだ。

現在の日本では、たしかに1000兆円を超える政府債務があるが、今のところは外貨購入に直結しているわけではない。将来に不安を感じている人が多いとしても、不安だけで為替レートは動かない。保有する円預金をドルに替えて、日本脱出を試みている人はほとんどいない。

逆に日本に魅力を感じている外国人が増えていて、彼らによる日本の不動産購入が進んでいる。こうした動きは、ドル売り・円買いの取引を生んでいる。

政府債務の影響があるとすれば、その残高というよりも使い道だ。たとえば、アメリカから武器を買うために借金を増やしたのであれば、その代金を支払うためにドルの購入という実際の為替取引が発生する。結果、為替相場は円安に動く。

政府の債務残高に限らず、「〇〇と為替レートには相関関係があるから」という話をする人がいる。この手の話は、実際の為替取引を伴うものでないのなら疑ったほうがいいだろう。市場を動かしているのは必ず取引だからだ(政府の債務問題も含め、相関があるなどの理由から円売りドル買いをする人もいる。しかし、彼らがしているのは投機的な取引であるため、いつかはドルを売って円を買い戻す必要がある。そのため、短期的には市場を動かすが、長期的には影響が少ない。政府日銀のドル売り介入は、こうした短期売買の動きを牽制するためである)。」

ねっ、何を言っているかわからないでしょ。こういう「結果」からものを言うといろいろな言い方があるために何通りもいうことができます。

マクロ経済的視点がまったくありません。こんな本があることになんか意味があるのだろうか。

 時事通信が、何日か前にこんな記事を出しました。

国債などの残高の合計である「国の借金」が2023年度末時点で、前年度末比26兆6625億円増の1297兆1615億円となり、過去最大を更新したと発表した。」

 こんな馬鹿なことを言っているメディアがまだあるのですね。これ以外にも時事通信の記事は嘘ばかりで見るに耐えません。どころか吐き気がします。

 アベノミクスが大嫌いで黒田さんをこきおろしますので、やたらろ「正常化」という表現を使い、アベノミクスがいかに「異常」であったかのような書き方を意図的にします。

 国債などの残高は、政府の借金でかつ國民の資産です。それも国内発行が90%以上です。いまだにこれを國の借金といっていバカがいます。こういうのをガラパゴス経済と言い、今、欧米では「日本のようになるな」と言って笑われています。

 では、この政府の借金を解消するためにはどうすればいいか。経済成長(減税と金融緩和)を実現し「名目GDPを大きく向上」させるのです。そうすると政府の借金が相対的に低下します。

 では、時事通信さんよ。同時に欧米や支那の経済政策を否定しろよ。欧米では、日本よりも早いペースで借金を増やしています。アメリカでは今、公的債務残高4,200兆円以上、連邦債務が3,000兆円以上です。こうやって名目GDPを二十年前の約3倍にしたのです。シナもそうです。200兆円以上の名目GDPです。日本だけ三十年以上500兆円を続けています。

 政治家も財務省も日銀もバカばかりです。 おまけにこんな嘘を言うメディアも。
 昨日の午前中は、名医と噂されている鍼灸接骨院に腰と股関節の矯正&針をしてもらいにいったあと、ものすごく混んでいる眼科に検診に行きました。午後はこれまたなかなか予約が取れない歯医者に前歯を1本入れに行きました。クタクタになったので休養日にしました。なので、朝のお勤め以外はサボりました😭。明治大帝に怒られそうですね。

 今日の大帝の和歌です。


おごそかに たもたざらめや 神世より うけつぎきたる うらやすのくに

 重々しく、威厳を保たれないでいられようか。神代より受け継いできたこの日本の国を

です。うらやすの国とは日本の国です。世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國日本。その國を受け継いでいこうという大帝の決意です。


 【今日の拙首です】
大帝が 護らんとした うらやすを 我ら臣民 いかにかまもる
 今日の明治大帝の御製です。

めにみえぬ 神のこころに かよふこそ 人の心の まことなりけれ



 有名な歌ですね。

  最近使われなくなりましたが、子供の頃に母から「お天道様に恥ずかしことをしてはいけません」としょっちゅう言われていました。日本の神は、欧米のような庶民を支配しようというものではなく、「お日様であり、誰もいないところでも自らをきちんと律する存在」です。だから、めには見えないけど、その導きを自分で思えばまことの心になるというものです。我國は素晴らしい國ですね。


【今日の拙首】
一時期は 律することは できるれども すぐにくずれる 何年生きても


                               掃けば散り 払えばまたも 散り積もる 庭の落ち葉も 己が心も
  力なき正義は正義にあらず

 それが、健が、福岡県遠賀郡芦屋町立芦屋中学で学んだ唯一のことだった。

 一部の先生を除いて勉強なんかは芦屋中学で教えてもらうことは何もなかった。一度、塾に通ってみたが、問題集を解くだけである。こんなの自分でできると考え、一日で辞めてしまった。

 その中に健の叔父も(叔母 雅子の配偶者)いた。S先生がいるた。私が小学校六年生の担任だったが、この人が、左翼思想ばりばりで、どうしても好きになれなかった。主だった小学生を自宅に招き習字を教えていた。健も無理矢理参加させられたが、すぐに辞めてしまった。小学校の卒業式の時に、クラスのみんなにS先生が「色紙に好きな文字を書いてあげるから、その好きな字を渡しなさい」と言ったので、「勝利」という字を健は書いた。書いたものが返ってきた。色紙には別の言葉が書かれていた。そしてS先生が言った。「君はもっと穏やかになったほうがいいのでこの字に変えておいたから」。健はこう返した「それなら、好きな字を書くなんてことを言わなければよかったのではないですか?」 そして、その場で色紙をゴミ箱に折って捨てた。

 ただ、健は人生で生活習慣や勉強習慣が乱れた時に、必ず、何人かの先生が健を救ってくれた。静岡県の裾野小学校四年生のときは、高橋一三先生である。授業中ちょっとふざけた時に、大目玉を食らった。そして次の日からそれを改めたら、「お前は、昨日と全然違うな」と言われ、転校する時には、貴重な品もいただいた

安倍川まで御殿場に住んでいらっしゃった高橋先生が石を取りに行ってくださって、磨きそしてニスを塗ってくださった。その台座の裏にこれを書いてくださった。



 また中学一年の時に担任だった原先生。
 次の文章です

以是因縁名観世音(いぜいんねんみょうかんぜのん)

  お釈迦様は、「このような因縁があって、観世音と名付けたのだよ」とお答えになられました。

  仏教では、すべての物事が生起したり消滅したりするには必ず原因があるとします。生滅に直接関係するものを因といい、因を助けて結果を生じさせる間接的な条件を縁として区別している。
  
  また十二因縁というものがあり、無明、行、識、名色、六処、蝕、受、愛、取、有、生、老死があります。無明は過去における一切の煩悩です。行は過去の行業です。またいつか詳しく。
  今日は、結婚35周年です。明治大帝がお作りになった教育勅語に「夫婦相和し」とあります。これの実現やいかに。奮闘努力します笑。

あさみどり 澄みわたりたる 大空の 廣きをおのが 心ともがな


 浅緑色に晴れて澄み渡った大空のように清らかな心大らかな広い心で日々の生活に励みたいものだ。


 

 明治大帝はいつも國民と平和のことを詠んでいらっしゃいます。


【今日の拙首です】

まだ喧嘩 ばかりしていて 相和なし 三十五年の 二人の歩み

細川ガラシャの辞世の和歌です。

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

 見事に人生を詠んでいます。

 桜も人も散るべき時を知っているから桜であり人である。世の習いとはそういうものです。

 川勝前静岡県知事は、辞任の時に、この和歌を引用しました。その時、私は、「自分はガラシャ夫人の和歌への解釈を間違って覚えたのかな」と思い、もう一度、この和歌の意味を調べましたがあっていました。

 川勝は、何を考えてこのガラシャ夫人の歌を使ったのでしょうか? 私が変わって歌ってあげましょう。

散りぬべき 時知らずして 世の中を 見出しまくった 愚かな男

でしょう。

 友人から聞いた話では、彼が学生の時に川勝は新進気鋭の教授でした。なんと皇太后陛下のお父上正田教授の弟子だそうです。ある時、正田教授の講義の時に、突然 川勝が乱入し議論を従気かけ喧嘩のような大激論になったそうです。学生たちは馬鹿にしていたそうです。


 まあ、早稲田というのは後藤乾一をはじめとしたどうしようもない共産主義左翼リベラルの巣ですが、川勝も例に漏れませんね。

 共産主義左翼リベラルという輩は、自分たちの結論づけた考え以外はそれがいかに間違ってもそれを正当化します。

 つまり俗にいう頭が良くてもその枠からでることができません。

知識(知ること)
見識(それによって正しい判断をすること)
胆識(それを実現するために諦めずに苦しんで実現できること)
喜織(その苦しみを楽しめること)

が大切なのですが、この知識で止まっている人たちが共産主義左翼リベラルです。

 だから東大出ても世の中で役に立たない人がたくさんいますよね? 官僚や政治家の方達には。

 ちょっと物知りだからといって、投票する國民にならないでくださいね。
 愚かなメディアが、愛子さまの即位を願っているアンケート調査を掲載しています。これに物事をしらない「主権者國民」が平気で答えているのが國家を破壊に導きます。

 女性天皇まではこれまでも例がありましたが。女系天皇は絶対にダメです。それに女性天皇はこれまですべての方が、一生独身でした。つまり、愛子天皇を望むということは愛子さまに一生独身でいろと迫っていることになります。なん不敬な。

 皇室という家庭のことは天皇陛下が裁断をくだされます。それが、敗戦後、皇室典範が憲法に組み込まれました。愚かな政治家がこれを議論しています。泣けてきます。もっと勉強しろよ。

 敗戦前は、憲法と皇室典範がそれぞれ独立しており、かつ、お互いに干渉しないものでした。これを
憲典体制
と呼びます。9条の改正や誤植の修正など、日本国憲法「典」の改正は必要でしょうが、その前に「憲法」とは何か「憲法典」とは何かを國民がしっかりと理解する必要があります。これなしに憲法『典』はあり得ません。それに我國の憲法を考えると日本國憲法「典」は明らかに憲法違反なのです。


 我國は、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の國です。それを「憲法」によって支えられてきました。それを文章化したのが第日本帝國憲法「典」です。

 官僚化した軍部が官僚化特有の自分たちの利権を守るためにその運用を誤り、世界最強の帝國陸海軍を持ちながら、國家を潰してしまいました。

 これらのことの理解が必要なのに・・・・。
  今日の明治大帝の御製です。

さしのぼる 朝日のごとく さはやかに もたまほしきは こころなりけり


※「もた」は、「持つ」の未然形であり、「まほしき」は、希望を表す助動詞の連体形です。未然形とはいまだになっていない状態を示します、連体形とは名刺を修飾する形です。

 大帝の御心は、朝日を見るだけで國民を思う気持ちになるのですね。

【今日の拙首です】
決めたことが おこなはれない この弱さ 結果をとやかく いふこころ
 あれだけの國難を乗り切られたのに、和歌が、すべてとても優しい感じがします。

おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる 道はありけり



  教育勅語の中に、「爾臣民父母の孝に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、夫婦相和し、朋友愛信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ、以て知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務を開き、常に國憲を重んじ、國法に従ひ」という」一節がありあす。

 どんなに遠くの目標でも、この教育勅語の教えのように日々を暮せば、高く登れるよと教えていらっしゃるのでしょう。


【今日の拙首」
列強の 日々なる力に 抗しながら 國民にへの 優しさ忘れず


 和歌ってすごいですね。
 次の文章です。繰り返しますが、この記事は、私の暗唱用にやっていますので、お読みにならなくて結構です。

其中若有乃至一人ごちゅうにゃくうないしいちにん称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさみょうしゃ是諸人等皆得解脱羅刹之難ぜしょにんとうかいとくげだつらせつしなん

 同行大衆中の一人だけでもこの観世音菩薩の名前を称えれば、種々の方便生じて同行の諸人等にいたるまで、その徳を感得して皆その風難羅刹難を逃れることができます。
 羅刹の難も避けることを言っています。

 観音経は以下の7つの難を避けることができると解きます。3番目ですね。


  1. 火の難(火による苦しみ)
  2. 水の難(水による苦しみ)
  3. 羅刹の難(悪鬼による苦しみ)
  4. 刀杖の難(武器による苦しみ)
  5. 鬼の難(悪霊による苦しみ)
  6. 枷鎖の難(縛られる苦しみ)
  7. 怨賊の難(犯罪者による苦しみ)
 先日、こんな記事がありました。ゴールドライフオンラインという会社です。著作権にひっかかりますので、題名だけ。


日本書紀や宋書など一部の記録にしかない「任那・みまな」の意味とは?

 冗談いうなよ。私たちの子供の頃、任那日本府など、教科書に載っていました。我國は、こだいから常に朝鮮半島が国防上ネックになっていました。そのくせ、朝鮮半島の政権は、常に他国に任せる無責任体質でした。

 だから朝鮮半島の南端に我國自らの地域を設けざるを得ませんでした。

 というか日本の國だったのです。

 この記事には、そうい事情が一切書かれていません。こういうのを「片手落ち」と言います。

 ったく、メディアは不勉強です。

 昨日から、二十四節気 立夏 末候 竹笋生ですね。たけのこしょうず と読みます。

 子供の頃、竹林があるのは当たり前の光景でした。竹林に石を投げると、コンコンコンと音が弾けるのが楽しくて何度のやっていました。

 朝、観たら小さな筍が昼観るともう大きくなっている。筍はすごいなあ、って思っていました。竹林は私たちの遊び場として欠かせないものでした。

 筍の料理も美味しいですね。昔は、母と、わらべやぜんまいや筍を取りに行くのも楽しみでした。

 どんどん竹林がなくなってくる今日この頃。何を情緒というんでしょうね。

 幼き頃 竹林にて 遊ぶ我れ 小さな楽しみ 膨らむ思ひ
 繰り返しますが、観音経は私の理解促進のために書いていますので、ご覧板だかなくても結構です。

仮使黒風吹其船舫飄堕羅刹鬼国けしこくふうすいごせんぽうひょうだらせっき

 この文は、第三の風の文は第三の風難滅除鬼難滅除を説かれました。
もし百千万億の無量無数の衆生がいて、金、銀、瑠璃、シャコ、メノウ、珊瑚、琥珀、真珠等の七宝を手に入れるために、大海を渡ろうとして

(書き下し文)
たとい黒風吹きて其の船舫を羅刹鬼の国に飄堕すとも

(現代語訳)
もし暴風魔風吹き荒れて、その船を覆し、まさに羅刹鬼の国に溺れ堕ちるとする場合に至っても

となります。

  明治大帝の御代は、海外の諸国によって國体が壊滅する危機でした。もちろん、江戸時代からの遊手な武士たちが我が国を救ってくれた一因ではありますが、なんといっても明治大帝の立憲君主としての生きる姿が、彼らをして奮闘努力せしめたことが最大の要因です。

 立憲君主は「統治すれども支配せず」です。自ら保有している権限は、臣下に委譲し、自らは何の権限も有しない。つまり、生きる姿勢で國を導くしかないのです。その代表が、明治大帝が生涯で10万首お読みになった御製です。

こがねゐの 里近けれど この春も 人伝へ聞く 花盛りかな

 皇后のためにお建てになった明治神宮御苑ですが、陛下自らはそのご多忙さゆえ生涯、お出ましになられませんでした。

 陛下には、「私」がありません。すべてが「公」です。

 私という時は、「禾」が穀物、「ム」が肘となっています。つまり、穀物を独り占めしようとして、肘でかき集めることです。つまり、「ウシハク」というトップが全てを余裕したがる、支配体系です。皇室はこれを最も嫌います。皇室は「統治」する「シラス」だからです。

 公は、ム(肘)を屋根の中に隠すという意味があります。

 我國は素敵ですね。

【では拙首です】
世の中で ただ一人だけ 私を滅し 公におはすは 我が天子様




 今日、ご紹介するのは、御製ではなく、明治大帝のすさまじいまでのご決意です。

 これが我國國体「シラス」です。


  明治神宮のホームページより抜粋しています。明治元年、五箇条の御誓文と同時に発せられた御宸翰(ごしんかん)に書かれたお言葉です。

 明治維新への席金とご覚悟を述べられています。日清・日露戦争の時、出征の兵士と苦労をともにするとの思し召しから炎暑の最中でも冬の軍服をお召しになられたという逸話も広くしられています。

【今日の拙首です】
                              人として 困難な道を 自らに 課される陛下の 國体シラス
 産声をあげて産まれなかった健は、お産婆さんの機転によってこの世に生を受けた。幼少期はとても弱い子で、いつも、母 汎子のスカートを掴んでは、ビービーないていた。

 父 佳男と母 汎子は、「この子は大人になるまで生きられないかもしれまい」と話した。佳男は汎子に言った。「大人になるまで生きられないなら、健には好きに生きさせてやりたい。間違っても俺たちが、可愛がりすぎて、守りすぎてなよなよした子にはそだてたくない。いいか、汎子」

 昭和33年当時、まだ日本は貧く、男は懸命に働かなくてはならなかった。有能な女性も社会に出て活躍し、家を守りたい女性は、必死になって子を産み子を育てた。子供が怪我をすると、帰ってきた佳男に汎子が「不行き届きですみません」と謝る時代であった。

 寳德家も例外では無く貧しく、加えて祖母 ツイ、伯父である治、母、一美(健の姉)、健、そして、後に生まれる妹の幸がいたため、貧しい生活を強いられていた。

 その弱い健を、なんとか強く育てられないかと考えたのが母 汎子であった。

 健は身体が弱いのもののいたずら心は多分にあった。
 今日、ご紹介する明治大帝の御製です。


めにみへぬ かみのこころに かよふこそ 人のこころの まことなりけり

 このさらっとした言葉で和歌をお創りになる。普段から意識されてないないととてもではないとできません。御心に触れましょう。

【さて、今日の拙首です】
朝にひとつ 御大帝の 行政知る 身が引き締まる 朝のルーティン
 今日は、端午の節句ですね。

 ♫屋根よりたかい〜♫鯉のぼり〜♫という壮大な歌

柱の傷は一昨年の〜♫ 五月五日の背比べ〜♫ ちまき食べたて人さんが〜♫ 測ってくれたせいの丈〜♫

 などの歌を歌い、楽しく過ごしたものでした。

 さて、毎年書きますが、我國には五つの節句があります。


 今日から二十四節気は「立夏 りっか」です。夏の始まりです。

 そして、七十二候は、立夏 初候 蛙始 かえるはじめてなく です。文字通り蛙が鳴き始める頃です。

 目には青葉 山ほととぎす 初松魚

 という山口素堂の歌はあまりにも有名ですね。青蛙が鳴き出し、蚯蚓(みみず)が地上に這い出して、烏瓜の花が咲き始める頃でもあります。

 子供の頃、みみずに小便をかけたらチンチンが腫れると言われました。

 みみずは釣りに餌にもしたなあ。

 さあ、立夏の和菓子は?
 今日の明治大帝の御製の紹介です。

 鬼神も 哭かするものは 人のこころの まことなりけり

 なんと、こんな御製を・・・。素晴らしいとは言いようがありません。

 第日本帝國憲法の「告文(明治大抵の全文)」で、明治大帝は、この憲法の運用にあたって、國民を私が裏切ることがあれば、私は、腹を切ると述べていらっしゃいます。

 それを昭和の官僚たちは、無茶苦茶にしてしまいました。おそらく「告文」も伊藤浩史が書いた「帝国憲法義解」も読んでいなかったのでしょう。今の官僚支配の日本と同じです。

 官僚が國を潰すのや世の中の常識というのは本当ですね。

【今日の私の拙首です】
ただひとつ 世界で歴史が 連続した 奇跡の國を 潰す官僚
 健は、テクタ(テクニカルターム:専門用語)第一弾整理をした。

ボリュームライセンス:企業などのソフトウェア大量購入者向けに、インストールできる台数をあらかじめ取り決め、ソフトウェア契約を認める契約

サイトライセンス契約:使用場所を限定した契約であり、特定の施設のなかであれば台数や人数に制限がなく使用が許される契約

クリップクラップ契約:ソフトウェア:ソフトウェアをインターネットからダウンロードしたとき画面に表示される契約内客を同意することを選択することによって、使用が許される契約

シュリンクラップ契約:標準の使用許諾契約を定め、その範囲で一定量のパッケージの包装を解いたときに、権利者と購入者との間に使用許諾契約が自動的に成立したとみなす契約。


健「うらんしか〜(博多弁で鬱陶しい)。わかるバッテン、どげな時にこの契約が必要やらいっちょんわからんめいが。うらんしかばってん。これは試験ったい。四の五の言わんでおb覚えんやい。そげな理由はくさ、 勉強していくうちにわかろうが。そげんことは、今、考えることやなかろうが」
 今日は、憲法「典」成立の憲法「典」屈辱日です。

 憲法と憲法「典」は違います。今の法学部卒業の連中は、みんな宮澤俊義の憲法「典」解釈を 学んでいますので、、憲法「典」とは権力を監視するものだという、吉本新喜劇さえ言わない冗談を信じています。弁護士も官僚も・・・。

 憲法とは、その國の「歴史・文化・文明など」です。つまり國の在り方です。これが日本ほど明確な國はありません。それを文章化したのが憲法「典」です。ということは、日本国憲法「典」は明らかに憲法違反です。我國の國体を全く表していません。そんな憲法「典」を私たちはありがたがって守ろうとしています。

 メディアがアンケートをとると、憲法「典」改正はまだ早いという國民が60%以上。9条改正賛成が50%以上だそうです。この数値自体に矛盾がありますが、憲法と憲法「典」のの違いを論じることからみると、これらのアンケートは全く無意味です。

 明治末期に井上毅という男がいました。この人がいないと、帝国憲法も教育勅語もできていなかったという、我國の英雄です。偉人ではありません。英雄です。

 国立国会図書館より

井上毅|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館

 今日は聖武天皇崩御の日です。崩御とは天皇陛下、工業陛下、上皇陛下、法皇、皇太后陛下のご命日をいう言葉です。


 今年は、聖武天皇がが即位なさって1300年です。七百二十四年に即位されました。

 皇弥栄(すめらぎいやさか)。

 東大寺大仏を造られたのは聖武天皇です。

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、2024年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2024年4月です。

次のアーカイブは2024年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。