明治大帝の御製(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)五月十日)

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  明治大帝の御代は、海外の諸国によって國体が壊滅する危機でした。もちろん、江戸時代からの遊手な武士たちが我が国を救ってくれた一因ではありますが、なんといっても明治大帝の立憲君主としての生きる姿が、彼らをして奮闘努力せしめたことが最大の要因です。

 立憲君主は「統治すれども支配せず」です。自ら保有している権限は、臣下に委譲し、自らは何の権限も有しない。つまり、生きる姿勢で國を導くしかないのです。その代表が、明治大帝が生涯で10万首お読みになった御製です。

こがねゐの 里近けれど この春も 人伝へ聞く 花盛りかな

 皇后のためにお建てになった明治神宮御苑ですが、陛下自らはそのご多忙さゆえ生涯、お出ましになられませんでした。

 陛下には、「私」がありません。すべてが「公」です。

 私という時は、「禾」が穀物、「ム」が肘となっています。つまり、穀物を独り占めしようとして、肘でかき集めることです。つまり、「ウシハク」というトップが全てを余裕したがる、支配体系です。皇室はこれを最も嫌います。皇室は「統治」する「シラス」だからです。

 公は、ム(肘)を屋根の中に隠すという意味があります。

 我國は素敵ですね。

【では拙首です】
世の中で ただ一人だけ 私を滅し 公におはすは 我が天子様




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このページは、宝徳 健が2024年5月10日 05:52に書いたブログ記事です。

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