古事記のいろいろな物語は、全部祖先からの私たち後世のものに対する遺言です。
例えば海彦山彦の物語がありますが、弟である山彦がお兄さんの海彦を平定(征服ではない)します。大国主命がお兄さんたちに虐められた時、木の国(紀伊の国)の素戔嗚尊のところに言って武器をもらってお兄さんたちを平定します。
日本武尊が関東・東北に東征したときに、かつては大和政権が日高見国(ひだかみのくに)に地盤をおいて平和に縄文時代に暮らしていたかを発見しました。日高見国は、三内丸山遺跡は約1万年前の遺跡とも言われています。何が支那4,000年の文化だい。支那は私が小学生の時には3000年の歴史と言っていました。愛相変わらずプロパガンダが上手なこと。
日高見国には対人用武器が一切ありませんでした。縄文時代です。素晴らしい文明を開いていました。日本の歴史学会はそれを頑なに認めません。
不思議なのは、そんな平和な国がなぜ、別の土地に移動してしまったのか。大国主命が作った国に、天照大神はなぜ国譲りを迫ったのか。その後行われた天孫降臨がなぜ南九州だったのか。なぜ、神武天皇は東征をしたのか。
これは私の予測ですが、平和というものは願っていれば実現できるものではありません。戦って勝ち取らなくてはならない。支那大陸等に強い王朝ができると、それに応じて最初は土地を移動したのではないかと思われます。素晴らしい縄文土器を簡素な弥生土器に変えながら。
それでも我が国体「シラス」なら良かったのですが、支配の仕方が大国主命さえ「うしはく」でした。「うしはく」とは所有物にするという支配の仕方です。
それが、過去からの日本の「統治」を仕方と違ったので、一旦は退避したのですが、天皇家が取り戻しに言った歴史なんです。
最終的には、海から来た民が、日本に住んでいる陸の民の暮らし方の方がいいや、と思い日本の陸の民は出来上がりました。
このシラスとウシハクの事実を天才 井上毅が大日本帝国憲法と教育勅語を草案する時に、徹底的に霊視を学び、発見しました。そして我國の国体を発見しました。それがシラスです。
だから、井上毅が発案した大日本帝国憲法第一条は
大日本帝国は万世一系の天皇がこれを治らす(しらす)ところなり
としました。実際には、統治するとなりましたが。
憲法とは、その国の文明・文化・歴史・伝統等です。それを明文化したのが「憲法典」です。この事実からすると大日本帝国憲法「典」はまさに憲法です。
高校時代にイギリスのは不文憲法だと習って、「文章になっていない憲法が役に立つのだろうか?」と思っていました。でも、そうなんですね。民はすぐに今の常識だけで大切なものを変えたがります。公明党が加憲などとばかなことをいっているみたいに。
今の多数は歴史上の少数である
皇室のテーゼです。
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