いったい何をしに行ったんだ(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)八月三十日)

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 二階率いる、日支議連が、何の成果も上げることができず、過ごすごと帰ってきました。

 軽く見られていますね〜。一体何しに行ったんだか。支那とは縁を切る!とぐらい言ってこいよ。

 我國は、歴史上支那大陸と縁を切った時ほど、平和になります。縄文時代があんなに豊だったのに、弥生時代に切り替えさせられてしまった。縄文土器は失われ、戦いを強いられました。

 菅原道真が人殺しばかりやっている支那大陸との付き合いはもうやめようと、遣唐使の廃止を決めました。平安文化が花開きました。源氏物語や枕草子などの文化があふれました。江戸時代の日本は武装中立です。世界のどの國からの干渉も受けませんでした。支那関係もこちら主導で情報収集だけでした。

 今でも、縁を切ったらいいじゃん。二階とか林とかは親支なので、話になりません。

 なんか情けない顔して帰ってきましたね。行く必要がなかった。ほっとけばいい。海産物の問題もほっておいて、支那が仕入れないというなら、支那が日本から仕入れて海外に売っている先に、こちらが売ればいい。中間マージンがかからないから喜びますよ。

 日本がもし領空侵犯を犯したら支那は何も言わないのか!!

【拙首です】
我國が 平和な世界を 作るなら 支那との関係 凌ぐ力を

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このページは、宝徳 健が2024年8月30日 08:15に書いたブログ記事です。

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