宇佐美の親父と野菜(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)九月二十二日)2

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 久しぶりに同じの顔を思い出しました。

 出光興産株式会社名古屋支店時代に宇佐美の担当をしました。規制だれけで、その規制をいかに潜り抜けようかということばかり考えている石油業界の人間立ちに、辟易をした思いがありました。

 でも、本社から名古屋支店に転勤して、T支店長とS課長に出会った時には、へー面白いと思いました。

 そして宇佐美の担当。宇佐美史郎氏にあったときに「石油業界唯一の真実がここにいらっしゃった」と思いました。

 その話はさておき、よく出光興産株式会社名古屋支店に「宝徳、すぐこい!(誰か他の人がいるときは、きちんと宝徳さんと呼んでくれましたが)」と電話がかかってきました。

 なんだろうと思って、いくと、自分で植えている野菜の種まきや刈り取りを手伝えというのです笑笑。

 「社長(時には親父さん)、私社員じゃないんですけど」というと。

 「社員は誰もこんなこと手伝ってくらないからお前に頼んでいるんだろうが!!!」と言います。

 2年間本当に実の息子のように可愛がっていただきました。出張に連れて行ってもらったり、野菜を収穫したり。いっぱい。

 そして刈り取りの時に(とにかく親父さんの作った野菜は大きい)、「宝徳なあ、野菜には大きいものも小さいものも曲がったものもまっすぐなものも全部あるんだ。でも、みんな美味しいんだぞ。人づくりもみんな同じなんだ。」というんです。涙が出てきそうになります。常に、何かを表現しながら仕事の考え方を教えていただきました。

 そして、名古屋支店にもって帰れと持てないぐらいいっぱい。

あの2年間は私の人生に大きな影響を与えました。

 出光興産株式会社を辞めるときに親父さんか電話がありました。日曜日です。「ちょっとこい」と。

 「ああ、引き止められるのかなあ」と思いました。でも4時間ぐらいいろいろな話をしましたが、引き止めの話はありません。「じゃあ、親父さん、帰るね」というと「ちょっと待て」と。

 もう持ちきれないぐらいのお土産が。そして、それを両手一杯にもって帰ると、後ろから「宝徳、お前がやめたら俺が寂しい。辞めるな」とおっしゃってくださいました。

 涙で振り向くことができません。親父さんは、いつも、最後に大切なことを言います。

 心の中で「親父さん、ごめん」と言いながら、当時、津島にあった、宇佐美本社を後にしました。

 出光興産株式会社辞めても、しょっちゅう電話をくださいました。そして、土日も仕事をしていることをとても喜んでくれました。

 働き方改革でも、働かない改革でもない、働きがい改革ですね。

【拙首です】
 担当し たった2年に 味わった 語り尽くせぬ 親父の愛情

 そうだ親父さんがいつも言っていました。

なんともならんことをなんとかせよ

凡才をして天才の仕事をさせよ

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このページは、宝徳 健が2024年9月22日 08:11に書いたブログ記事です。

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