たこ焼き屋さん(皇紀 弐千六百八十四年 令和六年(2024年)九月十三日)3

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 中学時代、行きつけのたこ焼き屋さんがありました。といっても当時は貧しくて豪華に食べることはできません。でも、そのたこ焼き屋さんのおばちゃんは、素焼き(何も入っていないお好み焼き)を頼んでも少しだけ野菜と肉を入れてくれていつも笑顔で接してくれていました。

 ある時、前の日に喧嘩した隣の中学(基本はタイマンですが(多対多は時々ありました))が、そのたこ焼き屋さんを襲ってきました(私たちは授業をサボっていた。よくやりますよね)。応戦しているとたこ焼き屋さんは椅子とか机が壊されバラバラになりました。

 おばちやんが「やめて〜」と泣いていうけど止まりません。店をめちゃくちゃにしてしまいました。その時は子供なんですよね。悪いけど次の日に謝りにいけません。ずるずると、謝りに行く日を伸ばしてしまい、結局行けませんでした。人生で何回かある、忸怩たる思いです。

 申し訳ないなあと思いながら、高校では部活が忙しかったから(それに私は圏外にいってしまったので)謝りに行くことができませんでした。

 大学生になってから、中学校の街を訪れた時に、謝りに行こうと思って訪ねたら、そのたこ焼き屋さんはありませんでした。私の人生の失敗の一つです。

 その時に、よし、いつか俺は、たこ焼き屋になろうと、真剣に思いました。まだ実現していませんが、たこ焼き屋になって不良をいっぱい集めて、説教しながら素焼きに野菜と肉を入れてやろうと。

 今の子はそんなに貧乏ではないですが、当時は、真剣に思いました。

 なんでこんなことを思い出したんだろう。年をとったのかなあ。でも、今でも、たこ焼きとお好み焼きと焼きそばを作るのは得意です。どうでんよかけんどくさ。知らんけど。

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このページは、宝徳 健が2024年9月13日 13:45に書いたブログ記事です。

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