閉ざされた言語空間(皇紀弐千六百八十四年令和六年(2024年)九月十四日)2

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  江藤淳先生という私がとても尊敬する方がいらっしゃいます。先生が書いた「ひと と こと とことば」という本なんて私の目を覚させてくれました。すんごい素敵な人です。奥様をとても愛されていて、残念な一生を終えましたが、尊敬しています。

 先生の本に「閉ざされた言語空間」というのがあります。戦前は確かに言論の自由がなかったが、敗戦後は、それが捻じ曲げられている。という、先生が生きた時代には言ってはいけない正しいことをどんどん行ってらっしゃいます。

 こういう生き方は素敵だなあ。例えば、政治家。もっと語ればいい。だけど、勉強不足の政治家が、政治屋の地位を守るために、正しい政治家を落とし込める策を練る。

 こんなの國益?

 私たちの子供の頃は、敗戦國でしたが、まだ、江藤先生や福田恒存先生など、サムライがいました。

 明治期は、下級武士が政治家になったことを笑って辛辣な國益を考えるマスコミがいました。福沢諭吉先生などは、そうです。

 日本人はもっと素敵だったはずです。どこに行ったんだろう。

 私の父は、軍隊の下級士官でしたが、日本をこよなく愛していました。俺は侍になりたい!

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このページは、宝徳 健が2024年9月14日 05:04に書いたブログ記事です。

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