因縁をつける(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月十五日)2

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 ,出光興産株式会社に入学したのは昭和五十八年(1983年)四月でした。新入社員教育が、中央訓練所で2週間、次に、直営スタンド実習で約2ヶ月、その後、油槽所実習(1週間)、製油所実習(1ヶ月)がを受けました。その後、各地の支店などに配置されます。新入社員が最初から本社というのは当時はありませんでした。

 私は、スタンド実習は広島直営でした。ここは広島市のど真ん中です。そして社宅の一部が独身寮でした。楽々園というところにありました。そこまで広電で行きます。広島市は博多にとてもよく似た街です。屋台も皮もある。食い物は抜群にうまい。

 優しい寮母さんがいらっしゃいました。寮は複数の先輩と一室にいて、その部屋が複数室ありました。創業者 出光佐三店主は「寮は合宿所である。先輩が後輩を指導せよ。時には鉄拳制裁もかまわん」というお考えです。今では、完全に訴えられます笑笑。

 でも、出光興産株式会社の仕事はかなりきついのですが、それでも、がんじがらめの規則とかがないので、みんな伸び伸び仕事をしていました。会社がそうですから、そこで働く先輩たちもとてもおおらかで、「良い会社だなあ」って思いました。寮の近くに「大使館」という焼き鳥屋があって、美味しかったなあ。

 寮の裏は税務大学校(だったと思います)があって、そこのグラウンドがとても広いのです。日曜日など休みの日は、社宅の先輩とか寮の先輩とかで、よく野球をやりました。入っても怒られないのです。おおらかな時代でした。

 宮島(厳島神社)も電車ですぐ近くです。支店の女の子たちとよく一緒に行きました。他の観光地にもよく遊びに行きました。当時の広島支店の女性は、可愛い子ばかりなのです。おそらく、総務課長の好みで採用していたのでしょう笑。楽しかったなあ。

 閑話休題。

 因縁をつける という言葉があります。
 意味は「全く無関係のものに関係性を理由づけて自らの主張を述べたてること」です。

 今回、思い出の地 宮島(厳島神社)で、九月に開かれた「自衛隊ふれあいコンサートに」複数の市民団体が
因縁をつけました

 市内の中学校の吹奏楽部が参加し盛会のうちに終わったそうです。でも市民団体たちは「無防備な中学生を実力組織に取り込む機会になっていると」因縁をつけました。市と市教育委員会もそのコンサートの後援をしているとも。

 沖縄を除いてまだこんな生きた化石のような団体があるんですね。共産主義左翼リベラルです。

 生徒の評判はとても良かったそうです。それはそうでしょう。自分たちの演奏の力を伸ばすよい機会になります。

 市民団体の抗議文には「軍としての(軍ってみとめとるやん笑)自衛隊に若者が近づけば戦場に送り込まれないなどなど」だそうです。

 頭おかしいんではない? 大東亜戦争の当時の武器は、例えば零戦などは100時間ぐらい乗って廣嵜捨劇していく人もいました。

 でも、今の飛行機F35を100時間で動かせますか?装備が違うし、素人の我々が、そんなことをしたら、歴戦の兵士たちのじゃまにしかなりません。

 市民団体というのは頭お花畑なのでしょう

 いつまでそんなことするのか知らないが少しは勉強性。

 あっ、そうだ名前を「共産主義左翼リベラル団体」に変えたら? 実際はそうなのに、本当の姿がバレる名前にしたくないだようね。あなたたちは爆笑

 俺の大好きな広島を汚すな!!!!

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2024年10月15日 08:00に書いたブログ記事です。

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