外交とはこういうのもの(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月二十八日)3

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  私は北朝鮮が大嫌いです。古くから北朝鮮の方が南朝鮮よりも豊かでした。特に、鉱物資源などは格段の差があります。まだ朝鮮半島が日本統治であった頃、野口遵(したがう)という人が、北朝鮮に世界有数の化学コンビナートを作りました。日本の敗戦後、それを北朝鮮は使いまわしました。でも、共産主義は「労働価値説」です。自ら機械に手を入れたり改良したりなおしたりはしません。彼らは生産活動をしないのです。今では、おそらくなくなっています。北朝鮮には支配層(特に両班:リャンパン)が育ちました。

 そんな豊かな北朝鮮は、農業を主体とした南朝鮮が秋に刈り取りに来るとき、馬の乗ってせっかく南朝鮮が作った作物を奪いにきます。なので、

天高く馬肥ゆる秋

と言います。馬もその作物を食べる方太るという意味です。あんまり良い諺ではありません。

 北朝鮮は、私たちの同朋を拉致していきました。何人も何人も。私たち、主権者国民は、この人たちをまだ救えていません。申し訳なくてたまりません。軍艦を出せよ。ギリギリまで。

 そんな北朝鮮ですが、世界には北朝鮮と国交を結んでいる国が151カ国もあります。まず、我々はこれを認識する必要があります。それだけ北朝鮮をなんらかの意味があってつきあっているのです。

 さて、そんな北朝鮮が、ロシアに派兵したり(これは問題です)、韓国と繋がっている道路を爆破したりしています。その写真を公開しました。すると韓国がその写真は我國がとったものだと抗議しました。この抗議も正しい。ただ、工夫が必要です。

 北朝鮮の金与生は、この時「何か問題があるのか」と一蹴しました。

 これが外交です。こちらに非があっても絶対に謝らない。

 敗戦後の日本外交にはこれが足りません。

 なんの事件か忘れましたが、明治時代に何かのことで他国と揉めた時(たしかロシアだったと)、その国が日本に抗議してきました。すると小村寿太郎が

議論する価値もない

と一蹴しました。小村寿太郎や榎本武揚や天才外交官 石井菊次郎は、外交の要諦をとても心得ていました。明治の男たちはすごいですね。

 本当は北朝鮮など褒めたくないのですが、事実は事実として述べました。

【拙首です】
攻める時は とことん攻めて 相手困らす そうでないとき 多くを語らず

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このページは、宝徳 健が2024年10月28日 07:53に書いたブログ記事です。

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