憲政の常道(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月三十一日)3

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我國は、敗戦後、宮沢俊義(としよし)という憲法学者が、ころっと手のひらを返したように憲法観を変えました。はっきり申し上げて、この人は極悪人です。それが、東大教授だったからなおさら始末が悪い。加えて敗戦後の大学の法学部、司法試験や、国家公務員上級職試験などなどは、この宮沢俊義の憲法観が主軸になっているので、法律に携わる人は、みんな「憲法は政府を縛るものだ」と愚かな理解をしています。

 憲法とは、「文化・文明・歴史等」を指します。それを文章化したものが「憲法『典』」です。

 例えば、大日本帝国憲法「典」草案時に、天才 井上毅(こわし)が、我國の歴史を調べ尽くします。そして、一つの言葉にいきつきました。それが、我國 國体の「シラス」です。徹底的に民のことを知って、決して、民を支配しないことです。(支配するのを「ウシハク」と言います)。

 日本の皇室はこの「シラス」と「ウシハク」の戦いの連続でした(これはまたいずれ)。

 なので、井上毅は大日本帝国憲法第一条を

大日本帝国は萬世一系の天皇が治らすところなり

 と草案しました。まさにこの一言が日本そのものなのです。

 伊藤博文が、法律用語としていかがなものかということでしらすのところを統治と変えました。同じ意味です。

 なので今の日本国憲法「典」は完全に憲法違反だということがわかります。

 閑話休題。よく政治家や歴史学者が「憲政の常道」という言葉を使いますが、イギリスが発祥の言葉です。でも、最近のイギリスはせっかく不文憲法体制を確立したのに、これが守られていません。

 日本流に言うと。それの戦前流に言うと、

 政権運営に失敗したら与党は野党第一党に政権を譲り、一年以内に総選挙を行うことを意味しています。例えば、石破が失敗したら、次に立憲民主党にやらせて、そして、一年以内に選挙をやるのです。

 でも、今はもうむちゃくちゃですよね。なのに憲政の常道という言葉を使うので、訳がわかりません。

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このページは、宝徳 健が2024年10月31日 15:10に書いたブログ記事です。

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