16人救出(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月五日)2

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 我が空軍(航空自衛隊)C2輸送機が日本時間10月4日午後に邦人ら16人をレバノンからヨルダンに救出しました。お疲れ様。おそらくいっているのは習志野第一空挺団です。

 これはかなり難度が高いミッションです。下手をすれば我が空軍兵士の命に関わる問題です。なぜなら、我が軍はいまだにポジティブリストだからです。

 でも、私たちの若い頃に比べれば隔世の感です。「自衛隊」という言葉を出すだけで、メディアの総攻撃にあっていたからです。民衆もそれに騙されていました。

 雲仙・普賢岳の災害の時に、陸上自衛隊が派遣されました。派遣された当時、雲仙・普賢岳の民衆は、「自衛隊帰れ」とばかりに学校を災害対応の基地にしようとしていた自衛隊に「NO」を突きつけます。しかたなく、自衛隊テントを張り、救援活動をしました。数ヶ月に渡り。

 その真摯な姿を見た民衆は、自衛隊が帰る時には「自衛隊さんありがとう」という垂れ幕を上げました。

 なの平和安全法案に反対した野党等は、今何を考えているのか? こんな政党が政権交代などヘソが茶を沸かします。

 我が空軍よ、本当にありがとうございます。涙が出てきます。

 それなのに、中には、「日本までなぜいかない」とか色々クレームをつける人がいたようです。本来なら全て自費なのです。それを自衛隊は危険を回避してなおかつヨルダンから帰れるようにしてくれました。命をかけて仕事をしている自衛隊は便利屋じゃねえ!!!!

 過去、我が軍が外務省にどんな扱いを受けたかを紹介します。過去の私のブログ記事からです。


 1990年代半ばの話しです。ルワンダ内戦で難民が出ると、外務省は、その救済に自衛隊の派遣を要請しました。そこでは、難民キャンプにも武装ゲリラが出没し、エイズも流行中だったのです。危険この上ない状況で、内戦に責任のある西欧諸国も尻込みしていました。そのような中、米国が友好国日本に派遣を求めてきたのです。それには、安保理常任理事国入りという人参のエサが鼻先にぶら下げ

 政府・外務省は、自衛隊派遣を決定します。でも、隊員は、小銃のほか、機関銃一丁と、ほとんど丸腰状態で難民キャンプに派遣されました。おそらく習志野第一空挺団です。どういうことかわかりますか?誰か隊員が死んでくれでもしたら、アメリカに恩を売ることができるというのが外務省の考え方だったからです。

 間違えてはいけないのは、國と政府は違うということです。これを混同する人が多い。本来なら、天皇陛下というわが國の統治者がいて、陛下が選んだ人間が政府という国家運営をするという形ですが、今のわが國は、無責任な国民の民主主義で選ばれた為政者が國家運営をしています。いえ、もっと言えば、間違えた教育で良い成績を取った官僚がしています。

  閑話休題。

 隊員たちは、そんな悪条件下でも、任期を無事務め上げたうえ、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出もやってのけました。自国民救出までは自衛隊の越権行為だと指摘するいつもながらの愚かなるメディアもいくつかありました。

 一人の隊員の死者も出さず、ミッションを素晴らしく遂行した自衛隊に対して政府・外務省は腹が立って仕方がありません。官僚らしくこそくないじめをします。任務終了後、帰国には民間機を利用すること、その際は、制服の着用は仰々しいので控え、各自私服で帰国するように、という命令が下ります。急な出撃です。満足な準備もしていません。それでも、自衛隊では命令は絶対です。大変なミッションを果たした自衛隊に対するあまりにも冷たい仕打ちです。

 年の押し詰まった1227日、ロンドンから日航機に搭乗した時、周囲の乗客は、ひどい身なりの集団に少々驚きました。

 それが異郷の地で頑張りぬいた自衛隊員と知るのは、飛行機が公海上に出てからのことでした。機長のアナウンスで乗客はどよめきます 

 機長のアナウンスです。 「このたびは任務を終え、帰国される自衛隊員の皆さま、 お国のために誠にありがとうございました。 国民になり代わり、機長より厚く御礼申し上げます。当機は一路日本に向かっております。 皆さま、故国でよいお年を迎えられますよう」


 一見、異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、その輪がやがて機内一杯に広がって行きました。機長は、乗客リストを見て、自衛隊員の帰国を知り、「日本人として当然のことをしただけ」と語りました。


 成田に着いたあと65人の隊員たちは、コクピットの見える通路に整列し、機長に向かって敬礼しました。

 機長も素晴らしいですが、自衛隊員のなんと素晴らしいことでしょう。私たちは、こんな素晴らしい自衛隊員達に何も声を上げていない。つい最近まで、基地のトイレットペーパーさえ、自腹で買わせていました。この記事はいつ読んでも涙がでます。

 さて、私たちは彼らに対して何ができるのでしょう?

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このページは、宝徳 健が2024年10月 5日 09:59に書いたブログ記事です。

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