昭和親爺の独言1(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月七日)3

| コメント(0) | トラックバック(0)
 私が誤っていたら教えてくださいね。

 私は「子ども食堂」なるものの存在が全くわかりません。理解しようとしても。

 親が他の親に食事をご馳走になる。その時に親も一緒に行く・・・。一緒に行く時間があるなら、その時間に子供の食事を作ればいいのに。

 私たちが子供の頃はまた、我國は貧しかった。おやつは、パンの耳を母が貰ってくれて美味しく食べさせてくれました。農家にいただいてきたトマト1個とか生卵1個とかいうのもあったし野菜は自給自足でした。余った野菜などは糠床でつけて美味しい漬物にしてくれました。父に給料が入った日ご飯もおやつも
少しだけ豪華だったかな笑笑。

 給食の時間も、給食費が払えない子は外に出てあそんでいました。

 中学になっても貧しい家は、つぎはぎだらけの学生服のしたに新聞紙をまいていました。

 運動会でお弁当がない子は、他の家のシートに親が呼んで一緒に楽しく食べていました。

 何よりも、親が、恥を知っていました。なので、子供は「欲しいなあ」と思いながらも親が大好きでした。

 切符を買わなくていい子供や半額の子は電車やバスでは「立ちなさい」と子に教えていました。当たり前と思っていたら、今は、大人が子供に席を譲って周りもそれをあたたかい目で見ています。

かわいそう?その感覚が今の子供をダメにしているのでは? 子供の頃は不合理不都合鬱陶しさを十分味わうんです。その気持ちが、「大人になったらこんな大人になるぞ」という力強さを創ります。

 SNS?あんなもいらないのでは? いいねとか友達とかのボタンを押したら、すぐに仲良く笑。へそが茶を沸かします。人と仲良くなることは、お互いに苦労して苦労して分かり合ええる時間を作ることでは?

【拙首です】
積み重ね 真につながる 始まりで いいねのボタンで ないのは明らか

SNSはやっていましたが、ライン以外はやめました。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9525

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2024年10月 7日 07:49に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「今日の読売新聞(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月七日)2」です。

次のブログ記事は「自民党は一度崩壊した方がいい(皇紀弐千六百八十四年 令和六(年2024年)十月七日)4」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。