私が誤っていたら教えてくださいね。
私は「子ども食堂」なるものの存在が全くわかりません。理解しようとしても。
親が他の親に食事をご馳走になる。その時に親も一緒に行く・・・。一緒に行く時間があるなら、その時間に子供の食事を作ればいいのに。
私たちが子供の頃はまた、我國は貧しかった。おやつは、パンの耳を母が貰ってくれて美味しく食べさせてくれました。農家にいただいてきたトマト1個とか生卵1個とかいうのもあったし野菜は自給自足でした。余った野菜などは糠床でつけて美味しい漬物にしてくれました。父に給料が入った日ご飯もおやつも
少しだけ豪華だったかな笑笑。
給食の時間も、給食費が払えない子は外に出てあそんでいました。
中学になっても貧しい家は、つぎはぎだらけの学生服のしたに新聞紙をまいていました。
運動会でお弁当がない子は、他の家のシートに親が呼んで一緒に楽しく食べていました。
何よりも、親が、恥を知っていました。なので、子供は「欲しいなあ」と思いながらも親が大好きでした。
切符を買わなくていい子供や半額の子は電車やバスでは「立ちなさい」と子に教えていました。当たり前と思っていたら、今は、大人が子供に席を譲って周りもそれをあたたかい目で見ています。
かわいそう?その感覚が今の子供をダメにしているのでは? 子供の頃は不合理不都合鬱陶しさを十分味わうんです。その気持ちが、「大人になったらこんな大人になるぞ」という力強さを創ります。
SNS?あんなもいらないのでは? いいねとか友達とかのボタンを押したら、すぐに仲良く笑。へそが茶を沸かします。人と仲良くなることは、お互いに苦労して苦労して分かり合ええる時間を作ることでは?
【拙首です】
積み重ね 真につながる 始まりで いいねのボタンで ないのは明らか
SNSはやっていましたが、ライン以外はやめました。
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