ホワイトハッカー1(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月二十二日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
  私は、平成元年に、出光興産株式会社千葉支店から本社販売部販売一課に転勤しました。販売部の人間はみんな優秀だなあと思いました。どんどん自分で決断して自分で行動して自分で責任を取るんです。この動きについていけない人間は、「自然と淘汰」されていきます。当時はですよ。

 例えば、上司が「この仕事頼む」というと後はこっちが相談するまでほったらかしです。期限は上司は言いません。ある時上司が「あれどうなってる」と言った時が期限です。細かいマネジメントなんてしません。

 それが創業者 出光佐三店主が言った「一人一人が経営者たれ」ということです。つまり、一人一人がオーナーシップをとれという意味です。だけど、「失敗は授業料だ」とも言っています。「お前らの失敗ぐらいで会社は潰れん」という度量です。仕事が楽しくて仕方がありません。でした。

 今の「働かない改革」に陥りやすい「働き方改革」ではなく、自然発生的な「働きがい改革」です。みんな出光興産である事を誇りに思っていました。徹夜なんて当たり前。月の総労働時間はゆうに300時間を超えていました。そして当時は社宅です。飲んだらみんな同じ話をします。「今日、たまたま朝ゆっくりして家をでたら、子供がこういうんだ。今度、いつくるの?って」です。まるで妾の家のようです。それを社宅の奥さん連中があつまって、ケラケラ笑いながら話すそうです。あの頃の出光興産株式会社は本当に楽しかった。社宅でも、しょっちゅう、お互いの家に行き合って、ご飯を食べたりしていました。これは助かるんですね〜。仕事で遅くなってもみんなが同じ話をするんで、かみさん連中は安心するのです。

 家族会という場も年に一度設けてけてくれて会社がホテルとかを借り切ってくれてお客様も呼んで歓待してくれるのです。だから、上司部下、同僚、会社の女の子は、かみさん連中が全て知っていました。

 おっと、閑話休題。その平成元年に赴任してそうだなあ、二年ぐらい経ったころかなあ。情報室テム部が私のところに来て、「宝徳、すまんが、パソコン通信を仕事で使ってくれんか」と言ってOASYSというワープロを一置いていきました。

 すると当時の課長が言いました。「その玩具を返してこい」と爆笑。

 まだデジタルデバイドという言葉さえ広がっていなかったときです。

 それが今やネットワークを利用したサービスがありとあらゆる分野に広がっているだけではなく、ネットワークに接続できる端末機器も多種多様です。ネットワーク形態も優先からWi-Fiに変わりつつあります。

 以前は、利用する人は、それが鬱陶しかったのですが、今や技術が進化して普通にいろいろな人が利用しています。

 でも一方で。情報瀬キュリティについては、ますますリスクに一般人さえされられています。

 情報セキュリティの三大要件とはCIA要件です。

①Confidentiialy(機密性)情報を機密にすること
②Integrity(完全性、制帽性)情報が改竄されずに送りての意図したとおりに伝わる
③Availability(可用性)。適切な情報の運用です。

 たとえば、今、関東でとんでもない強盗が入っています。なので、皆さんが、入られないように窓ガラスを補強したりします。これが「機密性」です。

 そして、中に入れられたものが他のものとすり替えられないようにするのが「完全性」です。

 金庫を開けてもいい人だけに鍵を渡しておくのが「可用性」です。

 今、どんどん情報セキュリティのための技術が開発されてきています。それらを突き詰めていくと必ずこの3つの要件を満たすように作られています。

【拙首です】
手書きにて フルスキャップに 文字を書き あお焼きしていた 時代があったね

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9565

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2024年10月22日 07:47に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「英彦山と月山(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月二十一日)2」です。

次のブログ記事は「「坂の上の雲」を検証する(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月二十二日)2」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。