習志野第一空挺団(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十月十日)4

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  家の近くにとても安くて美味しい たこ焼き屋さんがありました。名前を「たこみつ」と言います。
明るいお姉さんがやっていて、いつもいくと歓迎してくれました。二十年以上ご商売をやられていて、私の息子も行っていたみたいです。美人さん姉妹がいて時々、お店を手伝っていました。

 コスト高でお店を閉められました。最後の日には、お客様で満員。私は、しばらく行っていなかったので、「久々に行くか〜」と足を伸ばしたら、なんとその日が閉店の日だったのです。

 次女さんが手伝っていらっしゃいました。

 残念だなあ。

 しばらくして私が足を骨折して、近くのF整形外科に行きました。看護師さんが、レントゲンか何かをとる時に、私の車椅子を押してくれました。その時「宝徳先生、宝徳先生」という言葉が聞こえてきて、誰だろう?なぜ私の名前がF整形外科から聞こえるの? と思ったら、車椅子を押してくれている看護師さんが、この前、たこみつでたこ焼きを焼いていた次女さんだったのです。まさにsmall worldです。

 そのたこみつですごい出会いがありました。
 閉める前の話です。うちの店に自衛隊の方が親子共々よくくるという話になりました。それも3家族です。

 「へ〜」どこの部隊ですか?と聞くと「陸上自衛隊の習志野基地にいるみたい帰ってきたら必ずきてくれるよ」と教えてくれました。

 「えっ、もしかしてら、習志野第一空挺団?」「そうそうそう言っていたよ」「陸自最高の部隊だよ。超エリートだよ」「今度来たら教えて!」

 という会話が。

 おそらく今でも、大東亜戦争時のパレンバンの話は有名です。パラシュート部隊です。パラシュート部隊は降下していると、遅いので狙い撃ちされてしまうのですが、当時は、大日本帝国陸軍だけが、その降下攻撃を成功させたのです。

 彼らのたたえる歌が「空の神兵」です。今も第一空挺団では歌われているようです。

 子供の頃父からこの歌を教えもらったときは、感動しました。今でも、誰かを救出に行くというときは第一空挺団と思って間違い無いでしょう。この前のレバノン救出作戦も恐らく習志野第一空挺団です。

たこ焼き屋さんには3人が来ていたのですが、彼らは多忙で連絡が取ることができません。ある意味特殊部隊です。そして、第一空挺団から優秀な人間が空挺レンジャーになります。さらに空挺レンジャーで優秀な人間は陸上自衛隊特殊戦闘群になります。海上自衛隊の特殊警備隊と合わせて我が軍の2大特殊部隊です。

 もうこのクラスになると、家族でも、自分の亭主が特殊部隊であることさえ知りません。空挺団はこの前ある記事に載っていました「最強の部隊『第一空挺団』化け物級のヤバい強さ」というタイトルで。

 彼らはいつも命懸けです。訓練でできないことは戦闘では絶対にできないからです。日々不合理・
不都合・鬱陶しさです。戦闘になれば強烈なストレスに襲われます。敵に対して、「お前らパワハラだ」なんて言えません。

「空の神兵」 鶴田浩二さんも歌っています。ぜひ、お聞きください。 

https://www.uta-net.com/song/213220/





藍より蒼き 大空に大空に
(たちま)ち開く百千の
真白き薔薇の花模様
見よ落下傘空に降り
■見よ落下傘空を征(ゆ)
■見よ落下傘空を征(ゆ)

敵撃摧と舞いくだる舞い降る
まなじり高きつわものの
いづくか見ゆる幼顔(おさながお)
ああ純白の花負いて
■ああ青雲に花負いて
■ああ青雲に花負いて

世紀の華よ 落下傘落下傘
その純白に赤き血を
捧げて悔いぬ奇襲隊
この青空も敵の空
■この山河(やまかわ)も敵の陣
■この山河(やまかわ)も敵の陣
讃えよ空の 神兵を神兵を
肉弾粉と砕くとも
撃ちてし止まぬ大和魂(だま)
我が丈夫(ますらお)は天降(あまくだ)
■我が皇軍は天降る
■我が皇軍は天降る










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このページは、宝徳 健が2024年10月10日 17:00に書いたブログ記事です。

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