若い頃、司馬遼太郎と山崎豊子の本を貪るように読みました。まだ長編小説に慣れていなかった高校時代に司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読破することができました。小説とは、こんなに人の心を打つものかと感動しました。大学生の時に司馬遼太郎の本は、ほとんど(全部?)、読破しました。
山崎豊子も「いい内容だなあ」と思って、「華麗なる一族」「二つの祖国」から始まって、ほとんど読んだと思います。
社会人になって、支那の古典から始まって、どんどん本を読み進めていきました。最初は、良書を選ぶのに苦労をしましたが、そのうちに外れは読まなくなりました。蔵書が3,000冊ぐらいになりましたが、あることをきっかけに全て売却しました。
その読書の中で、いろいろと真実がわかってきました。小説だからいいじゃないという人もいますが、メディアは絶賛する作家がこれをやると國民のほとんどが歴史を捻じ曲げて理解してしまいます。
<真実その1:支那>
支那の古典は、理想論を書いてばかりで実行する意思がない(四書五経のうち四書の何千年も前に書かれた五経は素晴らしい。漢民族がまだまともだったのですね)。なぜかというと、支那大陸では、正しい事をすると殺されてしまうからです。
その理想論をだたひとつやろうと努力した國があります。我國 日本です。日本人は日清戦争まで、まともに支那人と話したことがなかったので、古典をたくさん読んで、支那人に憧れました。でも日清戦争で生支那人を見てガックリしたそうです。
<真実その2:山崎豊子>
山崎豊子は、悪者をヒーローにしながら、他に悪者を作る傾向にあります。「大地の子」という小説からそういう傾向がますます強くなりました。「沈まぬ太陽」なんてひどいものです。左翼バリバリの社員が、労働組合を作り、経営者と対決します。松尾さん(だっだと記憶しています)が社長の頃、このバリバリ左翼は、松尾さんのお嬢さんが危篤と知り、わざと労使交渉を仕掛けます。おかげで松尾さんは、お嬢さんのご臨終に間に合いませんでした。バリバリ左翼と一緒に労働者の権利を主張してストをやっていたCAはその事実を知り、バリバリ左翼から遠ざかりました。居場所がなくなったバリバリ左翼は、居場所がなくなってアフリカに逃げるように赴任していきました。「沈まぬ太陽」では、バリバリ左翼が正しい事を主張して経営陣に負けたので、アフリカに飛ばされたことになっています。
<真実その3:司馬遼太郎>
司馬遼太郎は毎日新聞に移ってからひどくなりました。
「故郷忘じがたく候」では、陶芸家の沈壽官(ちんじゅかん)さんがモデルになっています。朝鮮から連れてこられてひどい人種差別にあって大変な目に遭いながらも、努力に努力を重ねて陶芸家として大成していく物語です。
とんでもない。事実は沈壽官は大変な不良で、悪いことや暴力がすごく、地域の人はみんなビビりまくっていたそうです。
「坂の上の雲」でも、乃木希典大将と伊知地参謀をこれでもかと悪く書いています。陸軍もコテンパンにやられています。実際に大東亜戦争を敗戦に追い込んだのは海軍です。それも山本五十六です。
明日から少しずつ、この坂の上の雲で書かれた乃木希典大将の汚名挽回してみます。実際は、乃木希典大将がいたから日本は救われました。それにそんなに愚将だったら明治大帝が、乃木希大将をあんなに頼りにしなかったでしょう。
これらの真実が明らかになった時に私は、しばらく、本を読むことが怖くなりました。ショックでした。今まで自分がやってきたこと話してきたことを全部否定されたような感じになりました。
支那の古典は、日本では役に立つので、今でも読み続けています。
【拙首です】
信じていた ことがとつぜん くつがえる それもこの世で 受け止めること
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