2024年11月アーカイブ

 兵庫県で百条委員会が継続されるようです。百条委員会とは地方自治体の事務に関する疑惑や不祥事を調査するために地方自治法100条に基づいて設置される特別委員会です。協力な調査権限を持ちます。地方議会が議決によって決めます。 当該公共団体の長の非選挙権を有するもので、人格が高潔で、教育、学術、文化に関しての識見を有する者のうちから、地方教教団体の長が議会の同意を得て任命しま。斉藤さんの場合は、当事者なので、県会議長かだれかがきめるのなか?

 これでは、やらせができますよね。今の議員は、国会議員も地方議員もそのほとんどが愚か者ばかりです。政策よりも権力構造を重視します。

 これが闇権力とつながると、自然と、仕事の仕方がその闇に繋がるようになって、それがルーティンになります。その仕事の方法でやらないと、組織の中では「悪」になってしまいます。力のない一般社員や一般職員はそれに逆らうことができません。兵庫県の百条委員会が、どういう運営を今後やるかはわかりませんが、自殺した人も、この仕事の流れに逆らうことがきつかったのでは。もし、そういう可能性があるなら、今の百条委員会でそれを究明することはできますか? アンケートをたくさんとっていましたが、それ正直に答えられる職員はどのくらいいたんだろうか。メディははそのこともよく追求してほしい。

真実を報道する。それが民主主義を維持する唯一の手段である

が、メディアのコンセプトでしょ?

 私が、コンサルなりたての二十五年ぐらい前ことです。ある社長にコンサルを依頼されました。最初の訪問時に各店長さんが集まっていました。私のコンサルは細かい手法なんかはあまりやりませんので、私のコンサルティングスタンスをお伝えしました。こういう運営方法でやっていきたいけど、何かご意見はありませんか?と。 みんな賛成します。企業でもそうですが、全員に異論がない会議できまったことは、絶対にほぼ全員がやりません。全員が賛成するコンサルも一緒です。これはだめだなとおもました。

 会議が終わったときに統括店長さんが挨拶に来られて「いや、先生、感動しました」とおっしゃいました。

 ああ、この人か、障害はと思いました。こういうのを心理学で「はい、でもゲーム」と言います。どうしたふりが拒否となることです。

 その会議が終わって何日かしてから理解度を確認するために各店をまわりましたが、案の定です。みんな口は爽やかなのですが、やるという迫力はありません。

 統括店長が私の会議が終わったときに「あのコンサルの言うことは聞くな。いままでと同じようにやれ」と命令していたのです。誰も動けません。それと合意していないのに合意したふりをする組織はかなり恐ろしい結果を導き出します。どうしたかって、一つ一つかなりの力で潰していくしかないのですが、それは私の役目ではありません。経営者の役目です。

 このコンサル経験は、何かと似ていませんか笑。

【拙首です】
全員が 賛成するなど ありえない そんな組織は いつか潰れる

 100%の人が賛成する組織も100%の人が反対する組織もありません
 前のブログを読み返したら、「(親父さんの話以外で)後で詳しく書きますね」と書いて忘れているものがたくさん。メモしましたので少しずつ書きますね。

 閑話休題。あるとき、東北の方のスタンドの店長の奥様が入院されたという情報が親父さんに入ります。とにかく、宇佐美は全国区のくせに、情報伝達速度が速いんです。北海道宇佐美で起きた事故等の情報はもう次の日には九州宇佐美につながっています。

 そのとき、親父さんはTさん(経理課長)に言って、自費で給料袋の1万円多く入れました。

 まだ、振り込みではなかったの? って、思われるでしょう。親父さんは、給料袋で渡すのとても楽しみにしていました。例えば、年度末には特別賞与を配るのですが、それぞれの宇佐美で、出光でいうところ「家族会」のような食事会やらなんやらをやります。その最後に特別賞与を配ります。それのどこからかき集めてきたかバラバラのデザインのどこかの社封筒に入れて、名前をし会社が呼んだ人が出てきます。その人に向かって、親父の見事なアンダースロでホイと軽く投げて渡すのです。多くの会社のように恭しくわすなんてことしないんです。なぜって、親父さんは口は悪いけどものすごくシャイなんです。特に、社員に対して良いことをするときには。その姿がおかしくてたまりまえん。

 またまた閑話休題。給与袋に入っていた明細と金額が違います。店長が親父さんに電話をかけてきます。「社長、給料が1万円多いのですが」。親父さんは「知らん」と言って電話を切りました。シャイですね〜笑笑

 あとでTさんがフォローしたと思いますが。私はこれを聞いたときにも涙が出そうになりました。きっと、あの店長さんも涙を流していたのを想像して。彼は、その後、すごい成績を出すようになりました。

 ある伝説の美容室のオーナーも「仕事で感動の涙をした店長は必ず成績があがる」とおっしゃっています。

  親父さんのシャイな優しさっていいですね。

【拙首です】
良いことを やってあげたと 思ふのでなく こっそり気づかふ 親父の陰徳

 ほうら私に宇佐美の親父さん語らせたら止まらなくなるでしょう笑笑? でも、たった二年間のお付き合い(教育期間)でしたから、他の社員の皆さんはまだまだありすよね。いいなあ。

 あるとき、九州宇佐美のN専務が思い病状で入院されました、手術しないと助からないと。Nさんは、覚悟しました。この病状だと俺はもう助からないなと。

 当時、出光興産から、宇佐美に一方通行で社員になられた方がたくさんいました。その一人が、Nさんです。

 歴史は前後しますが、あるとき、専務会(普段親父は参加しない)があるという日がありました。確か、毎月第二土曜日の14時からだったと思います。次の日曜日は、みなさん、ゴルフをして楽しまれていました。親父は、絶対ゴルフなど許さないから生前はオフレコです。

 まあ、いいや。第二土曜日の昼からが7社の専務会ですから、みんな土曜日に朝早く来て、備えます(といってもいい加減な会社で、親父にすべて見抜かれているから資料などありません)。

 ある時の専務会の前の金曜日です。私がたまたま何かあったのかもしれませんが、金曜日から宇佐美に行っていました。

 すると親父さんが、みんななあ、今日からこっちにくるんだ〜と、あの汚い顔(ごめん)をくしゃくしゃにして嬉しそうにしています。

 なんでと私は聞きました。
 ある日、親父さんと車で仕事先に向かっていました。なんの仕事かは忘れました。どっちが運転していたのかも忘れました。

 だいたい親父さんの車で最初は親父さんが運転するのですが、後で私が運転を代わったことが多かったような気がします。

 一緒に車で走っているときに、工場が見えてきました。その工場の屋根には会社の名前が書いてありました。すると親父さんが言いました。

親「宝徳、あの会社はなんであの名前なんだ」

寳「知りませんよ。そんなのわかるわけないじゃないですか」

と答えたら、親父さんが大激怒ですs。

親「俺がいつお前に正解を求めた。こういう時はなあ『なんであんな会社名なんだろう』と考えることが大切なんだ。そうするとなあ、ここの経営者はどんな目的で会社をやっているんだろうとか、もしかしたら、可愛いお子さんの名前かなあ、とか、色々考えていけて楽しいだろう。お前は知識はあるかもしれないが、ものを考えない。もっと考えろ、考えろ。考える題材は街にいくらでもある!」

 親父さんはそうなんですね。確かにいつもたわいもないことを見つけたことに喜んで同じものを見るのでも人とは違う観点を見つけ出します。

 これが親父の私に対する教育なんです。私は、まったく嫌ではありませんでした。パワハラなんかと思ったこともない。ではなくて、いつもワクワクドキドキです。

 宇佐美と出光興産の取引は莫大なので、よくもめました。でも、そんな物事があるときでも「宇佐美に言ったら親父に会える」と楽しみにしていました。

 一番揉めるのは金庫番のT女史(経理課長)でした。この人、すごい人で、親父さんから実印を預かって、3,000億円から4,000億円を動かしている人です。でも、どんなにもめても、18時になると「ああ、こんな時間?はい話は終わり。宝徳さん、ご飯行こう、鰻がいい?焼肉?」と言います。

宝「Tさん、まだ結論出ていないよ」
T「もう後はあんたに任せたわ。信頼しているからね」

と言われたらいい加減な仕事はできません。親父さんは二人の結論には何も言いません(報告はしますが、いつも「おお」だけです)。

 閑話休題。先ほどの会社の名前に戻ります。「わかりました」というと、いきなり道端の花を指さして。

親「宝徳、じゃあ、あの花はなぜ枯れている」

と聞かれました。

寳「えっ?」
親「ほうらみろ、ただみているだけだろう、正解を出そうとしているだろう。正解が初めからわかる奴がいたらそいつは億万長者だ。しかたがない、物事の考え方を教えてやろう。あの花は枯れているが、では、なぜ、その両隣の花は枯れていないんだ。そして、その原因を考えるんだ」

 一言もありません。

 こんな教育を受けて、親父さんを好きにならない人はいますか? 

【拙首です】
道端に あるものみんな 教科書に 考えること いくらでもあり
 106万円の壁が政治で検討されています。どういう結末になるかわかりませんが、財務省が、別の形で國民がわからないように増税をしかけきます。國民は、これに注意しておきましょう。自民党が多数与党の時は、自民党のそれもキーマンにだけ財務省はしかければよかったのですが、民意が強いときには、このステルスみたいな増税をしかけてきます。

 昔、まだ消費税がなかったころ、民意は消費税を否定していました。

 すると、(関係ない)と言いながら、財務省と社会保険料や社会保険比率を大幅に上げてきました。國民はそれに気付きませんでした。

 今回も何か仕掛けてくるでしょう。

 それと、フリーランス対策とかなんとかで「小さな企業を助けましょう」って、叫んでいますが、これの原因を作ったのはインボイス制度でしょ。インボイス制度を廃止すれば済むだけです。インボイス制度自身が増税策なのですから。

 國を自分たちものと思っている官僚達です。國を潰すのはいつの世も官僚と相場は決まっています。大東亜戦争でも、官僚化された軍が國を潰しました。

【拙首です】
いつの世も 國を潰すは 官僚と 相場は決まる それを阻止する



弊社蔵書より
 あるとき、親父さんと、宇佐美のスタンドのオープン行きました。まあ、このオープンの時は大変です。どんな陳列にしてようと、どんなベンダー配置にしていようと親父が気に食わなかったら、全部、入れ替えさせられるのです。それも店長にいちいち指導しながら。うるさいうるさい。流石にこの時は、私は呼ばれず、黙ってみています。

 そして、オープン1時間ぐらい前に落ち着きます(周りは)。親父さんは、それからもいろいろスタンドの中をみてまわります。

 あるとき、「宝徳、白いペンをもってこい」。こう言うときに「えっ、なんでですか?」とか聞こうものなら大変なことになります。親父さんの頭の中にある改善イメージが崩れるので、ものすごく機嫌が悪くなります。

 一本だけ借りると「誰が1本といった!」とまた怒るので3本ぐらい借りてきます。さあ、今日は、何を学べるのかなと、私の心は

ワクワク♫ウキウキ♫

 消化器のところに連れて行かれました。ガソリンスタンドは消防法で、その敷地面積によって置かなければならない消化器の数が決まっていました(今は、知らんけど)。

親「今から俺が言う数字を書け」
宝「はい」
親「1」
親「2」
親「3」
と、言われた通りに消化器の赤い胴体の上の部分に書いていきました。
親「5」
宝「えっ? 4は?」
親「いいから書け!!!」
宝「は・はい」
親「6」
親「7」
親「9」
親「11」
・・・・・
いくつまで書いたか覚えていません。
宝「なんで数字を飛ばしたのですか?」
親「お前にたいなバカにはオープンが終わったらゆっくり教えてやる」

 宇佐美のスタンドはトラックステーションなので広いのです。当然、消化器を置く本数も増えてきます。

オープンが終わって一緒に帰るときに

親「最初は置いていましたが、盗まれたんです、と消防に言うんだ」。


 これがいいかどうかは皆さんのご判断にお任せします。でも、私は、おかしくておかしくて仕方がありませんでした。これはコスト削減ではありません。節約術です。

 でも、後で、親父さんには「考えろ、考えろ、宝徳、考えろ」と言われていたことを思い出しました。「そんなんだよな」って、一人納得した親父さんファンの寳德でした。親父さんの節約術はまた書きますね。数え切れないぐらいあるから😆。

 スタンドのオープンには、元売、金融機関、町の世話役、消防、警察、建設会社、計量器メーカー、主な取引先もいらっしゃいます。セレモニーが終わった後は、軽い、食事が出ます。

 食事会に先立って親父が挨拶します。必ず言う言葉が

「 元売のみなさま、金融機関のみなさま、◯◯(町の世話役)さま、消防のみなさま、警察のみなさま、建設会社のみなさま、計量器メーカーのみなさま、◯◯(主な取引先)さま、みなさんのご協力により、また夢がひとつかないました。その夢で働く店長とスタッフ達は後ほどご紹介します。みなさま本当にありがとうございます」

です。ものすごい嬉しそうな顔で。「そ〜か〜、スタンドを作ると言うことは、ひとつひとつのスタンド自身が親父の夢なんだ〜。その夢を関係者と共有し、そして働く人たちの夢にしてあげたいんだ」

 私は、また泣きそうになります。消化器のことなんてどうでもいいやって笑。

 親父さん、なつかしいね。

【拙首です」
なぜなんだ なぜにこの人は これほどに 普通のことを 感動の極みに
 地方公共団体の議会の解散に関する特例法では、地方公共団体の議会は、議会自身ができるとしています。

 ただし、議員数の四分の三以上が出席し、その五分の四位上の同意が必要です。

 かなりハードルが高そうですが、兵庫県議会は全会一致を持って斎藤さんの不信任を決議しました。

 そして、斎藤さんは民意によって再選しました。

 だとしたら、自分たちの不信任と斎藤さんの信任を、民意に問わないと間尺に合いません。

 さあ、兵庫県庁の闇勢力とがこれを認めるかな。

 それとも議会解散をするかな? 

 それにしても既存メディアは言い訳ばかり。

①自分たちにはコンプライアンスとか法律があるから、SNSのようにすぐには情報出せないですって。散々、報道しない自由を駆使して民意を煽動したくせに。よく言うよ。つまり、うそばかり言っていたのです。自分たちの都合の良いように。NHK(日本破壊協会)も含め。報道しない自由については、近々書きましょう。

②昨日の既存メディアはひどかったですね。あのアホの相生市長のバンバン机を叩いたパワハラの横に斎藤さんの写真を載せて、さも斎藤さんががやったみたいな机叩きをやっていたように見せかけました。自分たちが報道してきたことは間違いがないかのように。相生市長が机をバンと叩いたときに後ろにいた女性が驚いてびくってしました。こう言うのが「パワハラ」と言うんだよ。無投票で当選した相生市長さんよ。

③稲村の言い訳を載せる記事がやたら多かった。

④まだ、自分たちがこれまで主張してきたことは間違っていないというスタンスでした。一度謝らないとスタートしないよ。それとも、もうメディア辞める?あたらしいコミュニケーション手段は、自然発生的に作られるんではない? 何も今、こんな問題が起こったのではなく、私はもうメディアのことは二十年以上信じていません。SNSなどの他のニュースソースがない時から。もう世の中で不要なんではない?

 あった、日経と読売の日曜日の文化欄素敵だな。日経は、日本文化新聞に、読売は読売文化新聞に名前を変えて、新聞ではなく、日曜日情報にでもすれば。比較論で言えば、読売が一番読みやすいですが、それでも、時々左翼記者が記事を書いています。

 !!!いい加減にしろ!!!

【拙首です】
報道の 自由をはきかえ 嘘を書き 報道しない 自由を駆使する

繰り返し述べています。メディアほどコンセプトが明確なのに、そのコンセプトに向けて情報を発信する会社を見たことがない。

真実を報道する それが民主主義が維持される唯一の報道である

これをやってから、SNSがどうのと言え
 宇佐美の名前は全国区ですから、名前は存じ上げていましたが、親父さんと初めて会ったのは本社地下の喫茶店です。

 隣の課のT課長(後の名古屋支店長 私の敬愛する上司です)に「寳德くん、地下一階の喫茶店に宇佐美社長がいらっしゃるからお連れしてくれんか。まだ、俺は、席を立てないんだ」と言われました。見ると隣の課には課員さんが誰もいません。

 迎えに行きました。まだ、お会いしたことがないので、スーツを着て、バリッとしている方がいらっしゃるのだろうなあ、って思って向かいに行きました。

 喫茶店に行ったら、小汚い服を着たしょぼくれた人が一人いました(親父、ごめん)。この人ではないだろうなあと思いながら、ぐるぐる探していたが、そのおっさんの他には誰もいません。

 仕方なく「失礼ですが、宇佐美社長ですか?」と聞いたら・

「おお」とおっしゃいました。

 本社までお連れしました。これが(失礼)石油業界最大の小売ディーラーか。と、思いました。これが宇佐美の親父さんとの出会ひです。

 その後まだ、私が宇佐美の担当ではないときに、宇佐美の親父が業界紙 燃料油脂新聞に「石油業界に対する痛烈な批判だけと怒れない」記事を一面に掲載しました。通産省(現 経済産業省)の規制に対する痛烈な批判でした。そのとき、この人に会ってみたいという気持ちが湧き上がりました。

 その記事を燃料油脂新聞は、保存していないのです。なんたることや。上京したときに国会図書館で探してまたご披露しますね。親父は、ほとんど人に喧嘩を売ることはしません(厳しいけど)。そのめったにしない喧嘩を売ったのです。

 宇佐美の親父は背が小さいのです。だからよく学校の不良達にいじめられました。そうすると親父は斧を持ってその日のうちに自分をいじめた家の玄関を斧で壊しに行くんです。

 今だったら「喧嘩をしてはいけません」ですよね。でも、これは「喧嘩であって暴力ではない!!!」

 その不良共は二度と親父をいじめませんでした。

 今だったらどうでしょう。大勢で宇佐美の親父をいじめるという「暴力」を使いますよね。

 そうです。もう、宇佐美の親父が育たない社会になってしまったのです。

 これでいいんですか?「喧嘩をしてはいけません」の親達へ!


 先日のブログ記事で親父さんの享年を71歳と打ち間違えてしまいました。77歳です。ごめんなさい。親父さんにぶん殴られそうですね😭。

 ある時、宇佐美社長室で、親父さんと二人きりでした。だいたい1回行ったら4時間から7時間。何にもしないんですよ。親父さんのルーティング終わるまで私は、社長室の棚を眺めながら「今度、親父さんの機嫌がいいときに棚にあるあれをくださいと言ってみよう」とか思っていました。

 親父さんの仕事が終わったら社員の方々が親父さんに相談に来ることも多かったので、それが終わって4時間から7時間の終盤から四方山話を親父さんとします。ただし、親父さんはそのなりにとは違ってとてもシャイなのです(親父さんゴメン)。でも、その終盤の会話には、親父さんが出光に話そうと思ってもなかなな話せないことが含まれていますので、面白い話の中の大切な話を聞き逃すことができません。私が親父さんと対峙して一番緊張する瞬間です。

 ある時、その終盤に、親父さんが言いました。

親「宝徳なあ、昔、スタンドから油が裏の田んぼに流出してなあ。田んぼの持ち主が怒鳴り込んできたんだ」

宝「それは大変。被害額はどれだけだったんですか?」

親「お前は、物事の本質を何も理解していない」

宝「えっ?」

親「被害額とは何だ。何かける何だ」

宝「今回の場合お米の量と被害額単価ですよね」

親「油が流出したのはいつだ」

宝「先ほどのお話では、田植えしたばかりだとか」

親「そのときに、米の量と被害単価がわかるか!」

宝「苗の量しか・・・」

親「そうだ、米というのは何倍も植えたことに対する収穫があるんだ。だから田植えが終わった時点ではわからん」

 意味は、わかりますが、私は、どう答えていいかわかりませんでした。するといつもの発言が。

親「まったく、バカにつける薬があったら、100万円出しても買ってお前につけてやるよ」

宝「降参です」

親「米の値段(たしかここで専門用語が使われたのですが、すみません、覚えていません)と量がわかるのはいつだ」

宝「収穫期の秋です」

親「そうだ。だから秋まで待ってくれと、農家の人に言ったんだ」

 そうか、親父さんは、私に、取引とは何かを教えてくれているんだ。と気づきました。でも普通こんなこと、油が流出した事件のときに考えませんよね。もし下手な交渉をしたら、土壌を新しく入れ換えろ、この土は何年も経っているんだから、それと同じようなものを持ってこいよ、とか言われる恐れもあります。

宝「それで、どうしたんですか」

親「そうなんだ、払いたくねえなあ、スタンドの利益がふっとぶなあ、とか考えたんだ。でもな意外な結末が待っていたんだ」

宝「なんですか」

親「大きな台風がその秋に来てなあ。米がみんなだめになったんだ〜」

宝「それではらわなかったのですか?」

親「おお(ドヤ顔で😆)」

 まあ、大切なことなのですが、結論は「なんじゃい」です。

 でも、これが今でも私の頭にあるということは、「取引の基本」を難しい方法ではなく、こういう面白い話で教えてくれたからです。親父さんとのこの辺の終盤の攻防がとても勉強になりました。

【拙首です】
人に物を 伝へやうと するときに 頭にの遺る 面白さもて
   昨日の兵庫県知事選挙は面白かった。以前には一度、斎藤さんを揶揄したことをお許しください。その後、私は、「1対他全て」の構図なんてこの世にあるのか。これはいじめではないにか。とこのブログで申し上げました。斎藤さんは、その兵庫県庁特有の構図をわかっていたので、「今は喧嘩する時ではない」と耐えたのですね。この斎藤さんのすごさもあるのですが、斎藤さんの今回この戦いする中で、私たち県民もわかってきたことがあります。

①兵庫県庁の利権の闇は想像以上に深そうです。長年わたって染み付いてきたのですね。これを取り除くには大変な力が必要です。誰がどうのとかではなく、もう、方程式として利権が暗躍する構図ができていて、内部の人間がその方程式通りに仕事をするのです。企業でもそうですが、これが一度できるとやっかいです。かつて、イトーヨーカ堂のトップだった鈴木敏文さんが言っていました。「私の仕事は社内の成功体験をぶっ潰すことなのです。それだけなのです」とおっしゃる通りですね。斎藤さんは民意に期待しました。なので、今回、斎藤さんがもし負けていたらと考えるとゾッとします。

②でないとあれほどの1対100の構図ができるはずがない。その利権の闇とメディアが結託しています。今回は、完全にメディアの負けですね。普通なら、選挙速報がバンバンネットの既存ニュースサイトで流れるのですが、今回は、おとなしいものでした😆。もう既存メディアが世論を形成し煽動することはできない時代になりました。政党なんていうののが必要なかどうかも今後議論が必要でしょう。政治をつまらなくしています。さあ、斎藤知事と利権の闇が戦います。

③稲村さんのようなバリバリの共産主義左翼リベラルが勝たなくて良かった。ハリスとまったく同じ構図ですね。ハリスもバリバリの共産主義者です(本人はもしかしたら気づいてないかも)。そして、アメリカ大統領選挙でも、既存メディアは民意に負けてしまいました。稲村は、「何と戦っているかわからなかった」と言いますが、では答えましょう。「あなたが尼崎で12年やった数々の悪行です」「明確な政策を民に示さず、既存の手法で相手の揚げ足を取ることと思っていたら戦う相手はわからないのだよ」「民に、しっかりとした政策でしっかりとした(良い意味での)喧嘩を売らんかい」。そう考えると、自民党があれだけオウンゴールを繰り返しているのに、立憲民主は、過半数を取ることさえできなかったのと似ていますね」

自治体は政府の出先ではない! この兵庫県の利権の闇の構図には、中央官庁がびったりとくっついています。兵庫県は、旧自治省(今の総務省)から、副知事が派遣されていました。その副知事が知事になるケースが多かったのです。阪神淡路大震災の時に、自衛隊への出動要請をしなかった、貝原は、このケースです。

 今回の玉木さんのケースで、官庁総出の包囲網を作りつつあります。財務省は、予算を認める縦に他の館長に玉木さんがやろうとしている減税への包囲網を依頼します。まず、下半身。こんなの知らん。次に総務省が各県知事に言って、これやられると地方財政は苦しくなるぞとやりました。私は、宮城県の村井知事はもっとかしこい人かと思っていました。東京都だけは石原慎太郎さんが作った黒字資金があるので、こういう手は使えませんが。その他も枚挙に暇がありません。安倍さんの第一次政権の時、事務次官会議に安倍さんが手をつけました。これに怒った官僚は、特に財務省は、厚生労働省の年金問題をリークさせました。

 こんなことをしていて何が民主主義ですか?勝手に民意を煽動するメディア、地方自治体に金の力で圧力をかけ、自治体に利権の闇を作らせる財務省。でも、この構図がもう少しで崩せそうです。斎藤さんはこれをやりたかった。民意の政治を。

 メディアよ!!! 既存のパラデイムではもうあなた達は勝てなくなっていることを自覚しろ!!!

⑤最後に維新。斎藤さんがあれだけ兵庫県の利権の闇と戦っているときに、なぜ、斎藤さんを見捨てた!!!??? それだけだ。だから人気が落ちているんだ。

【拙首です】
知らぬうちに 人は組織の 中にあり わかりながらも 悪に手を染め
 面白いですね〜。最近の政治は。政治家メディア官僚の愚かさがどんどん出てきます。いっとき、國民に痛みを伴いますが、そういう政治家に投票してきたり、メディアに騙されたり、官僚に騙されたりしたのは「主権者國民」ですからがまんしましょう。

 さて、今日は、兵庫県知事選挙です。

 まあ、斎藤前知事の未熟さもあって、バッシングを受けましたが、100対0の世界ってあります???

 利権と政治がらみと、それに加担して自分達の立場を守ろうとしたメディアの責任です。

 今回の兵庫知事選挙で、もし、斎藤前知事が勝ったら、メディアがなんというのかがものすごく楽しみです。利権と政治家と官僚は、自分たちの立場を守るために発言はしませんが、彼らのもっているものを破壊するスタートにはなります。

 メディアはボロボロになりますね爆笑

 さあ、今日の開票を待ちましょう。
 今日から七十二候は、立冬 末候  金盞香 きんせんかさく です。

 ここでいう きんせんかとは春に咲く金盞花ではなく、水仙のことを指しています。

水仙の花が咲き、芳しい香りを放つ頃となりました。
 
 金盞jは、光厳の盃のことで、水仙の花は盃のようなのでそう表現されています

 1年間に七十二個も季節がある日本。素敵ですね。

【拙首です】
いつのまにか 季節が移り 変わる國 我國日本に 生まれてよかった
 皆さんからいろいろリクエストをいただいて、書きたい記事がたくさんあるんですが、定番を作ると、書けなくなります。でも、リクエストはありがとうございます。ブログ記事は自己満足が多いので笑リクエストを頂かないと、すぐサボるんです。😭。

 私がもっと精進すればいいんですよね笑。

 出光興産株式会社と有限会社宇佐美の値決め(燃料油の価格設定)は最終的には出光興産株式会社本社が握っていました、それはそれでいいのですが、私としては面白くありません。

 ある時親父さんにいいました。「親父さん、もう2円/リットルぐらいなら、俺できるよ」と。それは熾烈な本社との社内戦いが生じますが、そんなの私の首をすげかえるものでも何もありません

 そうしたら親父さんがいいました。

親「おまえら元売りは今苦しいんだろう。2円ぐらいくれてやらあ」

 ぐうの音もでませんでした。サラリーマンであることを恥じました。
 
寳「 親父さん、2円/ℓって宇佐美にしたら、月間10億よ!年間約100億よ!」

親「だからなんだ」

 これを商売をしていて出会える。すごいよね。

 これなんです。親父の凄さは。勝てるビジネスモデルの方程式を作り上げて。それを追求してくる。
 
 売上とか収益はあるんですが、それをいうと「宝徳、過去の数字は変わるか?」と。

 会いたいなあ。

【拙首】
結果といふ 数字に 一切こだはらず 原因見つめる 責任の姿
 よく、横断歩道や交差点を通るとき、渡り終わったら、ドライバーに礼をする男の子や女の子がいます。偉いなあ。って。それから私もドライバーたちに礼をします。ドライバーたちも笑顔で返してくださいます。

 これが日本ですよね。

 最近の日本人は、自転車で通っていると女性でも「どけどけどけ〜」と叫びながら突進してきます。お前女か?と思いますが、子供たちのこんな行動に気付かされて恥ずかしくなります。

 ブロークンウインドウズ理論というのがアメリカであるそうです。あの自己都合だけで、出鱈目な國が、他者が割った窓をそのままにすると窓がどんどん破られてひどくなるそうです。それを修復していくと治安も良くなるそうです。ある市長がやったときにそれが証明されたそうです。私は、まだニューヨークでそれをみたことがありません、みたいなあ。

 私の家の近くの隧道は、それは汚いし、酔っぱらいの嘔吐があるし、できれば通らなくてすむならそれでいい!という隧道した。それが、最近は、女子高校生が、男子の担任と共に、朝早くから掃除をしているんです。そして壁に絵を描いたり。

 これを指導する先生もすごい。最初はイヤイヤながらもやる生徒たちもすごい。

 みんなが、女子高生に、声をかけるようになりました。「おはよう」「ありがとう」「いつもありがとう」、手伝えばいいのですが、朝は・・・。でも、彼女たちの姿勢は、かなり伝わっています。

 汚れなくなったんです。すごいなあ。日本人にしかできない。そして、この姿勢は、絶対に彼女たちが社会人になったり、母親になったりするときに、次の世代に繋がります。

【拙首です】
掃除から たった一つの 掃除から 人の心が あらはれる駅
 世界のリーダーは絶対自分の非を認めません。日本のヤクザが可愛く見えるほど、國際政治というのは、それを凌駕しています。

 フランス革命。皆さんが賛美しますよね。じゃあ、皇后陛下が斬首される国に、日本もするんですか?フランス革命は、あれは、フランス国民の失敗です。マリーアントワネットも斬首されるときに、引きづられて、断首場に連れて行ったチンピラに「ごめんなさい、足を踏んでしまいました」という高貴な姿を示しました。池田よりこのベルサイユのばらを日本人は読みすぎです。

 最近、前兵庫県知事斎藤さんが盛り返してますねぇ。これで彼が知事選で勝ったら、利権集団よどうするの?

 私も最初は疑いました。でも、その後のブログで、「100%おかしいのは異常だ」と書きました。

 だんだん真相がわかってきました。利権団体が推しているのが、あの女性の候補者です。丸裸で戦っているのが斎藤さんです。あの尼崎市長の女性はアメリカでいう「ハリス」です。

 さあ、政治が変わります。ハングパーラメントはたまにはいいですね。

 結局、利権対民意のたたかいですね。明日の兵庫県知事選は楽しみですねぇ。

 閑話休題。

 玉木は、へた。喧嘩ができない。こういう「喧嘩をしてはいけません」と教えてこられた人間が多い。玉木お前もか。

 欧米、支那、ロシアは常に喧嘩にさらされているので、平気で喧嘩します。

 誤解を恐れずにいいますが、「俺は浮気をしたことがない」という、男を信じますか? 橋下は好きではないけど、平気で言います。それでも奥さんに認められています。

 玉木は、東大出、大蔵省、政治家・・・。へたくそです。

 8年も前のことは覚えてないと。喧嘩を買えよ。

 まったく喧嘩を知らない男たちが増えたものだ。

 えっ、そのあと?

 それは自分で考えればいい。それが怖いなら、最初にもうごめんなさいしなさい。

 えっ、俺?

 不倫したことないよ笑笑。
 三笠宮妃百合子様のご逝去にお話は起毛もこのブログに書きました。お孫さんの三笠宮彬子さまこの動画いいですねえ。(著作権侵害になるなら仰ってください。すぐに削除します)。百合子様の一生も綴ってありますし、


https://news.ntv.co.jp/category/society/d5bbddd30edc4373a8f3296b84da11b9

 昨年、日本テレビが撮った、百合子様のことを彬子さまが語られているインタビューです。

 彬子さまは、素敵な人ですね。

 閑話休題。私も百合子様のご逝去を昨日、書いたのですが。新聞によっては崩御、薨去、卒去と書かれていました。どれがただしいのでしょうか? 覚えておかなくてはと思い、調べてみました。昔からの風習もあるので、一概には言えませんが、以下のように使い分けるみたいです。

 逝去(せいきょ):ある人が亡くなることへの尊敬語
 身分に関係なくつかわわれるそうです。なので、皇室の方に使っても構わないとか。でも、身内や同じ会社の人には使えないそうです。

崩御(ほうぎょ):天皇・皇后・上皇・皇太后・太皇太后を敬い、その死の時に使う言葉だそうです。
 人の死についての最上級の尊敬表現です。特に天皇陛下の場合には崩御を使います。皇后陛下など天皇陛下以外の方には「逝去」を用いる場合があります。なので、百合子様の場合には逝去です。よかった。間違えてなかった。

薨御(こうぎょ):親王・女院・摂政・関白・大臣など
 親王「皇孫男子の称号」「薨」野地は身分の高い人を意味しています。我國においては、皇族などに使われます。ですよね。今の大臣たちにこんなことばを使うのはもったいない。

薨去:皇族または三位(さんみ)以上の貴人が死去すること
 昨日の読売新聞はこの字を使っていたような。今日の読売新聞は逝去になっていました。今は三位なんていませんから、皇太子妃ぐらいの方でしょうか?四位以下の皇族には卒去を使います。

【拙首です】
 日本語の 豊かな表現 知っておく 歴史の理解 深まる楽しさ
 この前、ある方と、梅田で昼に会いました。この方は「とにかく宝徳先生の言葉のシャワーを浴びたい」と仰って、北陸から来てくださいました。とにかくいろいろな話をしました。会話が楽しい!

 ただの会話がこんなに楽しいのかと思いました。

 その会話の中で、「あっ、宇佐美の親父ってまだ生きているんだ」と強く感じました。いいなあ、こんな大人になりたいなあって。 親父が亡くなったのが71歳。私は66歳。もしかしたらあと5年・・・。

 ある時、宇佐美の親父さんが、喫茶店→本社→親父さんのルーティンを始めました。

 私は社長室でだまって座っていました。好きなことをしながら。

 親父さんおルーティンが終わると私の話しかけてきます。たわいもないことを笑。

親「宝徳なあ、昔、急いでいて、車で、ある踏切を急いで渡ろうとしたんだ。そしたらなあ、いきなり遮断機が降りて、いそいでブレーキをかけたんだ。そうしたらなあ。俺の車の目の前を、電車が通り過ぎて、その車輪がぐるぐる俺の目の前を通過するんだ」

寳「何をやってるんですか。とにかくいいかげんにしてください。今や、親父さんは、親父さん一人の体ではないんですよ!」

親「はっ?今の俺から変われというのか?」

寳「ではなくて、親父さんに何かあったらどうするの?」

親「大丈夫だ、もう二度とその踏切は通らないことにしたから」

 私は、その時は笑いを堪えたので次の言葉がでませんでした。

後日、親父さんが、名古屋支店に遊びにきてくれた時に親父さんの大好きだったT支店長と歓談していました。私も呼ばれました。親父さんの大好きな「破れ饅頭」を女性に買いにってもらって。

 帰り際に、支店長と私がエレベータに親父さんを送っていきました。

 寳「社長、気をつけてお帰りくださいね。あまり飛ばしすぎないでくださいね」

 というと、親父さんがしばらく沈黙して(あまり、そんなことを出光の担当者から言われたことがないんでしょうが)。

 爆笑している支店長に向かって。

「支店長ねえ、こいつこの前、運転させたら飛ばしてたんですよ。宝徳なあ、お前の方が飛ばすだろうが!」

 っと言って、3人で大笑いしたのを覚えています。

 二度とあの踏切は通らないことにしたから

その言葉が出てくる親父さんは素敵だなあ、って思いました。一つ一つの言の葉が、人を動かし、和やかにする。そんな親父が大好きでした。


【拙首です】
観点を 変へ人の心も 変へていく 親父の言の葉 染み入る言の葉


 皇室最高齢の三笠宮妃百合子様がご逝去なさいました。101歳でいらっしゃいます。

 深い悲しみを覚えます。

 こんな皇室はありますか? 最も皇室と呼べるのは、今や、日本しかないのです。

 他国はみんな王室です。

 さておき、こんな方でした。素敵でしょ。過去の皇室の婚姻は、すべて天皇陛下がお決めくださいました

 国連みたいに歴史もない組織が決めていませんでしtが。

 敗戦明らかになったときに、三笠宮を担ぎ上げて敗戦を阻止しようとする勢力がありとてとても大変な思いをなされました。

 三笠宮妃百合子様、こころからご冥福をお祈り申し上げます。

皇弥栄 
 シラス(國民のことを全部知る)という國体と(ウシハク)という國体に皇室は常に戦ってきました。

 仏教が入ってきたときの物部氏への対抗力、大化の改新のあの横暴な蘇我氏への同じく國のあり方を問く方法。それに対して天皇陛下が一切口にいい悪いをだされませんでした。

  その後、平安は後退します。荘園文化です。陛下の理念は

公地公民

 です。それを言う力が皇室になかったのです。

  では、なぜ、世界で唯一神話の世界から皇室が生き残れたのか。

 それを示しましょう。
 大学生になったとき、慶応義塾の学生の経済関係の学生はSまずNSをまず学びます。

 SNS(国民経済計算)です。 義塾の先生方がこれを作成していました。特に、故辻江太郎というノーベル経済学賞の候補に上がった方が中心になって作ったものです。産業連関分析の一般均衡を生涯に渡って研究されていた方です。私は、その先生の孫弟子です。

 最近、財務省が政府(国ではありません)の収支が悪いと言っていたのが、最近、経常収支が良くなったとのたまわっています。

 みなさん経常収支が黒字となったと言われてわかりますか? 完全に、財務省が我國の収支は大丈夫ですと言っています。

 おいおい財務省。これまでは我國の収支は、最悪だと言っていたのではないのか? これに政府の経済に対して、知見がない「主権者国民」がみんな騙されます。

 では、経済収支とは何かを説明します。
 あるとき、親父さんに、「宝徳、経営って何んだかわかるか?」と聞かれました。「それがわからないと販売店(出光興産株式会社だけは特約店ではなく販売店と言っていた)の経営指導などできないだろう」と。

 恥ずかしながら私は答えられまえせんでした。すると親父さんが「どうせまた小難しいことを考えているんだろう。だからお前はダメなんだ。いいか物事を考える時には原理原則に戻るんだ。経営はなあ、顧客を愛し、社員を愛し、事業を愛することなんだ」とおっしゃいました。

 親父さんと会うと、一回会うごとに最低一回は涙が出そうになります。

 この話もそうです。

 親父さんは、ある年の冬、SSのオープンに出席して凍つた地面で転んでしまい、頭を強く打ちました。親父さんは、歩く時にポケットに手を突っ込んで歩く癖があります。なので、私が一緒にいるときは、少し後方を歩いていました。でも、この時は、ご一緒しませんでした。

 その大怪我は、頭蓋骨の半分ぐらいををとりはずすくらいの重症でした。もちろん一時、本人は意識がありませんでした。ある年の12月です。集中治療室で個室に入りました。

 親父くらいの人間となると、たくさんの人がお見舞いに訪れます。私も、ある程度、いろんな人のお見舞いが一巡したときに親父さんの好きな、うす皮饅頭をもって名古屋 (当時)からお見舞いに行きました。

   お見舞いに行って、会った瞬間は私のこともわからない様子でした。30秒ほどして、「おつ、寳德か、よく来たな」とおっしゃいました。そうとうひど い怪我だったことが推察されます。しばらくして、

「寳德、頭に骨がはいっとらん。触ってみるか~~」。と言はれても触れませんよね。そのうち、部屋の中にいた、宇佐美の社員さんが何かの 用事で部屋からいなくなりました。そのときの会話です。

親「寳德、頼みがある」 

私「なんですか? 私にできることならなんでもやりますよ」

 親「オープンしたSSが気にになってしかたがない。俺を連れて行ってくれんか。社員の誰に頼んでも連れて行っ てくれない」 

私「あたりまえでしょう。この部屋をどこだと思ってるんですか。集中治療室ですよ。それに、出かけて今度、転んだりしたらら、ほんとに死んでしまい ますよ」。

 親「ころばないようにするから(氏はこういうかわいいところがあります)」 

私「そういう問題じゃないでしょ。ダメです」

 
親「お前までそんなことを言うのか。もうお前とは一生口をきかない・・・」 と言って不機嫌に黙り込みました。

 私はこのときも、話している途中でなきそうになりました。そして心の中で、「この人は、ほんとうに事業を愛しているんだなぁ。事業が成功するということはこんなにも純粋になるということなのか」と思いました。

 今、盛んに心の経営が叫ばれています。もちろん経営の技術は必要なのですが、日本人が本来得意としてきたことをもう一度見直さなければならないのではないでしょうか。非常に難しいことなのですが、とても単純なことです。事業と社員と顧客を愛する誰よりも強い心。経営のスタートなのでしょうね。


【拙首です】

逢ふたびに 涙でくる ことがある 心に染み入る 親父のことのは

 ブッシュ(Jr.)に、アメリカ政権が移ってから、ひどかった対日企業訴訟がぱったりと消えました。クリントン政権の8年間で、トヨタに始まり、ダイセル、三菱自動車、東芝等、日本企業は軒並みクリントンのATMにされました。なんとクリントン政権には米司法当局に法務官僚で構成した対日本企業訴訟チームがあったのです。

 本当の訴訟案件ならいざ知らず、すべてでっちあげです。三菱自動車なんか、このチームが根掘り葉掘り探しても、結局何も出てこなかったので、セクハラをでっち上げました。それも嘘ばかりの。女性従業員もそんなことは言っていないのに。裁判でも通ります。トヨタもダイセルも東芝もみんなそうです。

 クリントン時代の最初の首相は、森さんです。クリントンは思ったでしょう。「あっ、この程度の首相か」と。

 詳しくは書きませんが、橋本元総理は、「米財務省再建を大きく売りたい」というような発言をして、米国民主党がかなり怒りました。民主党政権のときに日本は必ず向かい風です。

 この時、日本政府も官僚もメディアも経団連も汗をかきながら必死に働くこれら米国進出企業を一切助けませんでした。アメリカのメディアはこれでもかとこれら日本企業を叩きました。進出というリスクを犯し、雇用にも貢献しているのに。

 アメリカもメディアも民主党贔屓なのです。前回のトランプの選挙の時にも、トランプを犯罪者のように扱いました。でも、今回の選挙はSNSがそれを阻止しました。

 さあ、石破がトランプと対峙します。話についていけなくて、トランプの言うことを丸呑みして、青い顔をして帰ってくる石破の姿が目に見えます。だって、左翼なんだもの。

 石破の次の総理が大変だ。

 もう一度、言います、憲政の常道とは、

①与党第1党が政権を運営する
②与党第1党の政治がうまくいかなかったら野党第1党に政権を譲る(与党間で政権がたらいまわしにならないように)
③野党第1党は、一年以内に選挙を行い国民に信を問う

 です。さあ、そんなに焦らなくても憲政の常道からすれば次は、野田さん、あなたなのだよ。本当は総理なんてもうしたくないと思っている野田さんよ。金利0の政治をするのかい笑。

【拙首です】
政治的 圧力が気のない 人をリーダーに 政治の劣化 いかにかあらむ

こういう人たちを選ぶ主権者国民が悪い 政治は亡国の遊戯ではない
 トランプ氏が大統領選挙を制しました。これはまた後で。

 メディアはアメリカも含め日本もそれにならい中立ではなかった。もう一度言います。

民主主義守るのは真実の報道をすることである

 これだけコンセプトが明確なのに、これを守っているメディアがない!!!

 でも今回は、SNSにメディアの恣意的な世論誘導が負けましたよね。それを疑いもしない世論にまず、謝れ。

 「もしトラ」という報道があったら「もしハリ」という報道の方がもっと良かったのではないか。彼女は共産主義者です。労働価値説です。米国民は、共産主義を嫌ったのでしょう。

 それに発言が石破以上にふらふらしています。米民主党は、不必要な内容ばかり言うハリスに余計なことを選挙期間中に言わせたくないので、ハリスの周りにいる人や有名人ばかりにしゃべらせました。トランプは自分で喋っていました。なので、ハリスが出始めは、ハリスがリードしていたのですが、どんどんトランプ支持が広がるので、焦って、民主党陣営もハリスにしゃべらせたら中身がないことないこと。どんどん支持率が落ちていきました。

 そして、プーチンと習近平に太刀打ちできるのはハリスではないでしょう、ハリス自身も「私を大統領にしないでと思っていのではないでしょうか。その証拠に早々と敗北宣言をしました。おそらく今は、ハリスは「よかった〜、大統領にならなくて〜」と思っているでしょう。
 
石破が森山と岸田に持ち上げられて「私を総理にしないで」って思っていたのに、総理になってしまいました。ハリスのように他人にまつられるのものにならならかければよかったのにね。また、内閣認証式のあのずんだれたモーニングの着方、どこからか流れてきた石破の食事風景の箸や茶碗等のひどい持ち方
、選挙開票の時の足を組み腕を組み・・・・。あの態度で、各国の要人と会う気なにでしょうか? あれは奥さんに恥をかかせますよね。

 閑話休題。なぜか日本のメディアは、共産主義左翼リベラルが好きです。石破の話はまた今度に譲って、米民主党がいかに、日本に酷いことをしたかを明日、少し書いてみます。

 オバマやバイデンも共産主義左翼リベラルなのですが、彼らは無能なお陰で日本にたかりにきなかったので助かりましたが、世界の平和を見出しました。

 では、クリントンを例にしますね。
 寒くなりましたね〜。それもそのはず気づけば今日から二十四節気は立冬です。冬の始まりです。

 そして七十二候が立冬 初候 山茶始開 つばきはじめてさく です。山茶花が咲き始める頃です。ここでいう山茶花は、「さざんか」のことです。椿(つばき)ではなくツバキ科のさざんかのことです。山に生えた花を咲かせるお茶ということで、昔は、葉の部分をお茶として飲んでいたことに由来しています(諸説ありますが)。

 焚き火が禁止になり、子供たちは焚き火の歌を歌わなくなりましたね。


♩かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている

さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいて♩

 この歌好きだったのになあ。情景が今でも目に浮かんできます。

 焚き火でやいた焼き芋は美味しかったなあ。焚き火で栗を焼いてみたら、弾丸みたいに栗が飛び出てきてびっくりしました。彼女や彼氏と別れる時に、もらった手紙を焼く人もいました。焚き火は青春の1ページでした。

 おちばたき=落ち葉焚きです。

 先が爪のようになった竹箒とかで、落ち葉を集めました。街には「天才バカボンのレレレのおじさん」みたいな人がいて、しょっちゅう落ち葉を集めていました。

 集まったら子供達を呼んで、焼き芋とか焼いていました。

【拙首です】
落穂焚き 焼けたお芋を 串に刺し 子らに渡した 懐かしさ思ふ
※お断り:事情があって、ブログを書く日時が確定できません。ご容赦ください。このルーティンだけは絶対にやりたいので。このブログは私の生き甲斐なんです。お許しください。

 親父さんは、誰か第三者がいるときには、私のことを「宝徳さん」と呼んでくださいました。

 私は、誰かがいる時には「社長」と呼んでいました。

 二人きりの時には「宝徳」「親父さん」と呼び合っていました。私が出光興産株式会社を辞めてから私の家に電話をくださるときは、たいてい、かみさんが出ます。その時も「宝徳さんは、いらっしゃいますか?」と呼んでくださいました。かみさんは、面白がって「また、宇佐美です〜、さんから電話あったよ。あなたの彼女から」と言って私をからかいました。

 ある二人きりの時のことです。「宝徳なあ、昔、社用車で、集金に言った所長がいてなあ。そいつが、社用車の助手席に彼女を乗せていたんだ」

寳「へ〜、で、親父さんどうしたの?」と言ったら「ただ黙っています」。

 こういう時に親父さんはいろいろ考えがています。そして私に考えさせるのです。親「どうしたと思う?」。

 寳「怒ったんですか?」 親「お前は、相変わらず単純だなあ」

 寳「いいから教えてくださいよ」

 親「助手席を取り払ったんだ笑笑。そうするとな、その所長がもう二度としませんから助手席を戻してください」と言ったんだ。

 親父に難しい話をしたら絶対に「そんな言葉は知らん!」と怒られるのですが、この人がやっていることは「アウフヘーベン」なんです。

 アウフヘーベン:止揚と言って、部下と同じレベルでマネジメントするのではなく、相手が予想しない高いレベルの回答を出す。これが

アウフヘーベン

です。

 また、親父と話をすると、いつも、最新の経営手法を言ってきます。経営学とかではなく、彼の頭はおそらく筋肉です。

 すごいなあ!といつも思っていました。でも、そういう言葉を言うと「お前は大学で学んだ言葉を俺に言うな!」と一蹴されます笑笑。

 当時、キャッシュフロー経営など、世間の人がほとんど知らない頃に親父はやっていました。

あるとき、親父がバブルの時に買った3億円ぐらいの土地がありました。それを親父さんが、15千万円で売るというのです。

寳「親父さん、そうしたら15千万円の損失が出ます」というと。

親「お前は馬鹿か。その損失がでたら、節税になるだろう。だから実質15千万円ぐらいの損失だ。寝かしておくよりも、その15千万円を投資に当てて回収した方がいいだろうが」と言われました。キャッシュフロー経営です。この言葉は親父さんには伝えませんでしたが、最新の経営手法をすでに筋肉の脳みそでつかんでいたのです。

 銀行員でさえ、いまだにこの感覚がない人が多いものをです。

 は・は・は

【拙首です】
筋肉の 頭をそなへる 親父にて いまだ見てない 考えをしる
 ※お断り:事情があって、ブログを書く日時が確定できません。ご容赦ください。このルーティンだけは絶対にやりたいので。このブログは私の生き甲斐なんです。お許しください。

 昨日は、親父さんが現金安の掛け高をした話まででした。当然ですよね。賭け売りにかかるコストは当時で、5円〜7円/ℓでした。最近は、取引先によってはこれにクレジット手数料が3円/ℓぐらいかかりますから、当然、合いません。でも掛け売り主体のところは、現金を安くするとそれを基準に掛け売り価格が決まるのでどんどん掛け売り価格が安くなるのです。だから、現金を高くします。

 出光興産株式会社も特約店から突き上げをくらいます。宇佐美に価格表示をやめさせようとします。

 これがなかなか至難の業です。仲の良いWさんという統括所長がいました(当時)。この人に電話をします。お願いだから今日と明日だけでもいいので、看板下げて。と、そうしたら下げないので現地まで行ってWさんに講義します。「下げるってい言ったやん」と、するとWさんは「えっ、10cmさげたで」と、サインポールに挙げてある看板をおろせというときも同じです。約束したのに下ろしてないから文句言ったら、「1m下ろしたで」と言います。

 本来、商売等のはこれぐらいしつこくないといけません。だから「そうやってもいいから、やる時には私に連絡して。できるだけ助けるから」と言いました笑笑。この人とは、いろんなことをやりとりしたのですが、それはまた後日。

 私がまだ出光興産株会社に入社する随分前のことです。宇佐美が、この看板を撤去しないので、出光が頭に来て、もうアポロマークのサインポールを撤去します!!! と宇佐美に通告しました。これもだめですね、下手くそ。

 親父さんはそれを上回りました。

出光のサインポールのアポロマークにヒゲを書いたのです

 そして、出光の担当者が来た時に「おい、あれは出光のマークではないぞ『ヒゲミツ』だからマークは持っていけないぞ」と言ったのです。

 それを楽しそうに担当になった私に話すのです。よくやりますよね爆笑。

  こういう風に、日々出会ういろいろなことを簡単に面白くトンチを聴かせて、処理をするのが親父さんなのです。厳しくされても憎めないんです。さあ、親父さんと私のやりとりに移ります。


【拙首です】
日々起こる ほんの小さな 出来事を 面白おかしく する親父さん
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  今日は明治節です。文化の日なんていう名前は我國の歴史にありません。

 明治天皇は嘉永五年(1958年)にお生まれになられました、第百二十二代天皇陛下です。

 「君子は包丁を遠ざく」という孟子の言葉がありますが、明治天皇は、どんな献上品でも生物はお召し上がりになりませんでした。「鳥ならば飼っておけ、魚ならば池へ放せ」と言って。あるとき、側近が「陛下が生き物の命を惜しまれるのは誠に恐れ多いことですが、献上致す者は、なるべく新鮮なものを召し上がっていただきたいとい気持ちがありますので、どうか調理の方へ回されて、少しでもお召し上がりくださいますようお願いいたします」と申し上げたら。陛下は「よくわかった」とおっしゃり、その後も相変わらず召し上がりにならななったそうです。ただし、「飼っておけ」「放せ」とは、おっしゃらなくなりました。[おあずけ」という言葉に変えて。献上品の目録のみをご覧になって。まさに「君子は包丁を遠ざく」です。

 また、陛下は一生のうち和歌を十万首も詠まれたそうです。いつも、心を美しく保たれていたのですね。

 あの明治という激動の時代には大変な、我が国危機存亡の事件がたくさんありました。見事にそれらを切り抜けられても、必ず和歌をお読みになって、心を元に戻したのです。

 まさに、我國にしかない「残心」の精神文化です。

 明治大帝がいらっしゃらなかったら、我國の明治とその後の時代はなかったでしょう。

 天皇陛下は、政治に口を挟むことをしません。立憲君主とはいざ國が危機に陥る時以外はそれが当たり前です。主権者でありながらその権限を放棄しています。そして、國が危機存亡に陥ったらまず自らが率先して前にでます危機き存亡の危機とは、内閣も軍もが機能しなくなった時です。

 昭和天皇は、二・ニ六事件で、内閣が機能しなくなり、軍が暴動を起こしました。その時に自ら近衛兵を率い乱の鎮圧にあたりました。また、終戦にあたって、その結論が出ない時に、鈴木貫太郎首相が、陛下に「お願いします」と言いました。そして終戦となり我國が守られました。

 他の国では、内閣も軍も機能しなくなったら革命が起こりますが、立憲君主国家は、最後に陛下が命を投げ捨て國を守られます。この規定が日本国憲法「典」にはありません。(立憲君主がもつ権利は「英国憲政論:バジョット」で、①意見を述べる権利、②奨励する権利、③警告する権利の3つだとしています:参考)

 おそらく最も優れた統治方法は、立憲君主でしょう。立憲民主主義なんかありえません。 誰も最後に命を捨てて國を守るの? 政治家の愚かさがここにも出ています。

 明治大帝はいつもそれを考えられていつも和歌で心を美しくされていました。

皇弥栄(すめらぎいやさか)

 明治大帝を一万円札の方にすればいい。そうすれば日本人は永遠に勇気を得られます。


 もういちど申し上げます。本日は、明治節です。この「節」を機会に我國の在り方をもう一度見つめましょう。


                            皇弥栄(すめらぎいやさか)


【拙首です】
数々の 國難乗り越え 和歌を詠み 心豊かに 大帝過ごされ

【教育勅語が下賜されたときの大帝の和歌です】
世の中の 真の道の ひとすぢに わが國民を をしへてしがな
 読者の方から「また宇佐美の親父さんの話を書いてください」とリクエストがありました。しらんからね笑!私の宇佐美の親父さんの話をさせたら止まらんからね。

 宇佐美の親父さんの話をし始めると、かみさんがいいます。「はいはい。また彼女の話ね爆笑」と。

 出光興産株式会社時代の平成八年(1996年)から平成十年(1998年)まで出光興産株式会社最大の取引先 宇佐美の担当をしました。最初は、あんな安売りの会社いやだなあ。って、思っていました。でも、当時、有限会社宇佐美は、トータルで200ヶ所のガソリンスタンドを保有し、その販売量たるや出光興産株式会社の2割を卸しなしで販売していました。

 でも、お会いした瞬間に「石油業界唯一の真実がここにいた」と思いました。当時の石油業界は嘘ばかりです。そして、通産省(現 経済産業省)の規制が厳しく、ひん曲がった経営を元売(石油会社)もガソリンスタンドもしなければならなかったのです。
 
 私が、石油業界に入ったのが昭和五十八年(1983年)です。その年に大協石油と丸善石油が合併しました。丸善石油は特約店の北関東のM社をコントロールできずにかなり経営が悪化していました。当時、元売は13社ありました。

 宇佐美の親父さんの話をする前に、石油業界の歪みの話から始まりました。この話はまたこの章でしますね。

 ガソリンスタンドはみんなその歪みの中で、必死に生きていました。まだ、オーナードライバーがすくなく、法人の賭け売りが主体の頃でした。

 なので、現金高の掛け安の商売をしていました。

※お断り:事情があって、ブログを書く日時が確定できません。ご容赦ください。このルーティンだけは絶対にやりたいので。このブログは私の生き甲斐なんです。お許しください。


 さて、第一次安倍政権ができたとき、私は、日本が変わるというか、元に戻ると思いました。でも、共産主義左翼リベラルと、朝日新聞の「安倍の葬式はうちでだす」という言葉に民衆が煽動されました。

 でも、あの時に、安倍さんが官僚支配を終わらせようと、事務次官会議をやめました。それまでは事務次官会議の承認がなければなにも決まらなかったのです。各種省庁は(特に財務省)、厚生労働省が年金問題を表に出しました。財務省が怖いメディアは、それを明らかにしませんでした。

 もう一度言います。メディアほど、業界コンセプトた明確なところはありません。

真実を報道するそれが唯一の民主主義を守る方法である


 です。これを守っている報道機関があります????????

 皆無です。
 今も政治は与野党とメディアと官僚の癒着政治です。

 官僚も楽なので、自民党が政権をもってくれて自分たちのいうことを聞いてくれたらそれでいい、と、考えています。最低ですね。

 政治家も無能です。例えば石破が政権運営能力がないので、森山幹事長と岸田にそのノウハウを教えを乞うたのでしょう。そうしたら今まで党内野党だった石破が与党になってしまいました。これは保守が離れるどころか、石破を支持していた人がどんどん離れました。

 閑話休題。

 石破よ!一体あんたは何のためにあんなに早急に選挙に持っていって過半数を割るため?笑笑。

 皆目検討がつきません。安倍政権と麻生政権が選挙で過半数を割った時に、あなたはなんといった。「選挙で負けたら責任を取れ」といったよね。

 吐いた唾を飲まんとけ。やめろよ。それが男の矜持だろう。人は歴史を学ばないので同じ失敗を何度もします。

  でもいいですね。たまに議会がハングパーラメントに(どこも多数をもっていない)状態になればいい。 

 その時の憲政の常道は、昨日書いた通りです。今一番大好きな讀賣新聞が、「憲政の常道」の言葉を誤って社説に書いていました。お願いだからもう少し勉強してね。

 ダイシーの「憲法諸序説」かバショットの「イギリス憲政史」は最低メディアは読んで下さい。

 彼らは何百年かけて憲政を創造しました。

 例えば、選挙をやって内閣の長を議会が作ります。それを王が拒否したら、イギリスに革命が起きることです。それほど彼らは憲政の常道を大切にしました。それを今のイギリスは・・・

 イギリスが不文憲法であることの意味がありません。

 またまた閑話休題。

 今の日本のこのハングパーラメント状況いいですね笑笑。

 財務省も反対できない状況を玉木さんが作っている。

 それを林が、「減収するから財源がない」とほざいています。

要は、税の弾性値を読めばいいだけだろう

残念ながら、日本の政治には、官僚がじゃまをして、シンクタンクにその是非を確認する仕組みがありません。これも国民が声をあげなければな。

【拙首です】
官僚が 國を壊す という説は 確かにただしい ことを知らない

 消費が伸びたら税収は増えるだろう!!!!!
 誤解を恐れず言います。いじめはなくなりません。

 いじめをなくす対策をずっと打ってきていますが、まったく無くならないどころか増えています。

  子供の頃「喧嘩をしてはいけません」と育ってきた先生たちには無理です。

 喧嘩と暴力の違いもわからない大人たちにはいじめをなくすことは無理です。

喧嘩とは大切な人やコトを守るためにするものです。

  暴力とは、相手を傷つけることです。「喧嘩をしてはいけません」と教え始めた頃からこの暴力がひどくなりました。

 私たちの子供の頃の基本は、ステゴロのタイマンでした。今では、大勢で徒党を組んで暴力を振るいます。しかも獲物(武器)を持って。殺すまでやります。こんなのはいけません。

 昔は、本当に大切な人やコトを守るためにやった喧嘩は、その喧嘩が終わると相手と仲良くなることがよくありました。今は、ありません。

 私は、静岡県駿東郡裾野町(今は、静岡県裾野市)から福岡県遠賀郡芦屋町に転校した時に、こんなひどい小学校・中学校があるのかと思いました。毎日が恐怖とリスクの連続でした。いろいろなこともさせられたりしました(転校生なので)。この街の小中学校だけでなく、周りの中学校もそうでした。学校に行くのが嫌で嫌でたまりませんでした。冬などは毎晩わざと掛け布団をかけないで寝ました。そう、風邪をひいて学校を休みたかったのです。

 その上、先生たちの多くは福岡県教職員組合(福教組)です。素晴らしい先生もいましたがほとんどがドン腐れのこの先生たちに、いじめをなくすことは不可能です。

  つたない私の経験を申し上げると

①とにかく力が欲しかった。私の力なんかでは、とてもではありませんが、どんなに鍛えても「喧嘩に勝つ力」は無理でした。いざという時に負けないできれば逃げられる(大切な人を逃す)ことができる最低限の力です。質屋に行って、安い木刀を買い、それを毎日100回振りました。若い時剣道をやっていた父に素振りの方法を教えてもらって。腕立て伏せ(まだ中学生でしたから)20回やりました。ボクシングの本や合気道の本を読んで、そのコツを探りました。そこで気づいたのは、1)相手を殴る時に腕をひいてはダメだ(特に負けない喧嘩をするときには)。2)相手のパンチやキックを受ける時は、引くんではなく前にいきながら受ける。でした。そして、喧嘩の強い相手と対峙したときは、絶対に組んではいけない(負けない喧嘩をやるときは)ことでした。

②外交力・政治力
 私がこの中学で学んだことは
力なき正義は正義にあらず
 でした。力とは腕っぷしだけではありません。新聞配達をやりました。当時は、まだ、日本は貧しく、中学生の新聞配達、俗にいう「新聞少年」がたくさんいました。ここには結構悪そうがいます笑。その人たちと仲良くなる。少年野球チームに入りました。当時、野球とサッカーをする中学生は、悪そうと相場が決まっていました。地区ごとにチームが区切られています。私の地区には、なんと中学N0.1の番長がいました。この人は、周辺の中学にも恐れられている人です。どんなに頑張っても絶対に勝てません笑。この人がとても私を可愛がってくれました。

 そして、上の人の弟たちも野球チームに入ってきます。その弟たちが、何か知らないけど私のことを慕ってくれました。これがどれだけ助かったか。
 
 あと私の姉貴が結構不良たちに人気があって、それも助かりました。「宝徳の弟」ということで。最初は、喧嘩の強い兄貴が欲しいなあと切に思いましたが。弱い兄貴よりモテる姉貴の方が大切です爆笑。卒業して数年が経った時姉から電話がありました「芦屋中学の同窓会に行ったばってん、みんなあんたにあいたがっとったよ」と。「みんなやくざとかになっとっちゃないと?」「何いいよんね。もう、みんなとっくに足洗っとるよ」どんな会話やねん。芦屋町は工藤会系草野組です。それは怖かった笑。


 こうやって、最低限の腕っぷしと外交力・政治力をつけた私は、徐々に、存在力をつけていきました。

③それでもダメなら
 勉強を嫌いにする今の学校なんかに行かなければいい。もっと面白い勉強のしかたがあるはずです。ただし、人のせいにする後ろ向きな不登校はだめですよ。親が子供と旅行して一緒にその土地のこととかを学ぶ方がよほどためになります。

④それでもだめなら
 戸塚ヨットスクールです。まだ、あるのですね!!!

 楽をしていじめから逃れることはできません。誰かがいじめから救ってくれることはありません。

 自分の意思決定次第です。

【拙首です】
苦しくて 怖くて仕方の ないことは 自ら力を 身につけるしか
※お断り:事情があって、ブログを書く日時が確定できません。ご容赦ください。このルーティンだけは絶対にやりたいので。
 
 今日は古典の日です。寛弘五年(1008年:1016年前)十一月に紫式部日記にはじめて源氏物語の記載がありました。なので、それを記念して「古典の日」としています。

当時は、欧州では(アメリカはまだなかった)、女性が詩や小説を書くことは絶対に考えられませんでした。女性の地位がとても低かったのです。我國では、1250年前から女性も和歌を呼んでいます。そして、もう一千年以上前から女性が小説を書いていました。

 我國では、男女の差というのは体の構造の差であって地位の差はありませんでした。つまり、男女区別があっても男女差別はなかったのです。

わかったかね国連なんと委員会。

 オタクらとは歴史が違うんだ。まだ歴史も固まっていなかった時代です。あの暗黒の宗教戦争の時代ぐらいですかね。ローマ帝国をキリスト教がぐちゃぐちゃにしていた時代でしたっけ?

 「ひかる君」を大河ドラマでやっていますが、大切なのはあの内容ではないんですよね。

紫式部が源氏物語に千年かかっても解けない謎を書いたことをいまだに我々は解けきっていない

 ことなんです。いろいろな方(僧侶、武将、文学研究家等)がその謎の解明に千年ずっと取り組んでいます。

 私ごときも源氏物語を読んでいますが、十回目ぐらい読んで、ようやく輪郭が見えてきました。

 全五十四帖(章)がだいたい3つに分かれているのですが、女性がたくさん出てきて最初読んだ時は頭が混乱してしまいました。でも、特に最初の方では「桐壺」と「藤壺」という二人の女性が軸になっています。

 和歌も七百九十五首書かれています。「泣く子も」だまると覚えます。

 光源氏が政争から逃れ明石に逃げました。その明石にも源氏物語ゆかりの地がたくさんあります。

 私が好きなのは、大津にある、石山寺です。寛弘元年 (1004年)、紫式部は、新しい物語を執筆するために石山寺に参拝し、湖面に映る月を見て源氏物語の着想を得ました。

 ここのしじみご飯やじじみ汁は美味しいんですよね〜。

 歴史が続くということは、こういう文化も継承されるのですね。

【拙首です】
魅せられる 紫式部に 魅せられる 源氏の世界に 泳ぐ身として

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