宇佐美の名前は全国区ですから、名前は存じ上げていましたが、親父さんと初めて会ったのは本社地下の喫茶店です。
隣の課のT課長(後の名古屋支店長 私の敬愛する上司です)に「寳德くん、地下一階の喫茶店に宇佐美社長がいらっしゃるからお連れしてくれんか。まだ、俺は、席を立てないんだ」と言われました。見ると隣の課には課員さんが誰もいません。
迎えに行きました。まだ、お会いしたことがないので、スーツを着て、バリッとしている方がいらっしゃるのだろうなあ、って思って向かいに行きました。
喫茶店に行ったら、小汚い服を着たしょぼくれた人が一人いました(親父、ごめん)。この人ではないだろうなあと思いながら、ぐるぐる探していたが、そのおっさんの他には誰もいません。
仕方なく「失礼ですが、宇佐美社長ですか?」と聞いたら・
「おお」とおっしゃいました。
本社までお連れしました。これが(失礼)石油業界最大の小売ディーラーか。と、思いました。これが宇佐美の親父さんとの出会ひです。
その後まだ、私が宇佐美の担当ではないときに、宇佐美の親父が業界紙 燃料油脂新聞に「石油業界に対する痛烈な批判だけと怒れない」記事を一面に掲載しました。通産省(現 経済産業省)の規制に対する痛烈な批判でした。そのとき、この人に会ってみたいという気持ちが湧き上がりました。
その記事を燃料油脂新聞は、保存していないのです。なんたることや。上京したときに国会図書館で探してまたご披露しますね。親父は、ほとんど人に喧嘩を売ることはしません(厳しいけど)。そのめったにしない喧嘩を売ったのです。
宇佐美の親父は背が小さいのです。だからよく学校の不良達にいじめられました。そうすると親父は斧を持ってその日のうちに自分をいじめた家の玄関を斧で壊しに行くんです。
今だったら「喧嘩をしてはいけません」ですよね。でも、これは「喧嘩であって暴力ではない!!!」
その不良共は二度と親父をいじめませんでした。
今だったらどうでしょう。大勢で宇佐美の親父をいじめるという「暴力」を使いますよね。
そうです。もう、宇佐美の親父が育たない社会になってしまったのです。
これでいいんですか?「喧嘩をしてはいけません」の親達へ!
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