ある日、親父さんと車で仕事先に向かっていました。なんの仕事かは忘れました。どっちが運転していたのかも忘れました。
だいたい親父さんの車で最初は親父さんが運転するのですが、後で私が運転を代わったことが多かったような気がします。
一緒に車で走っているときに、工場が見えてきました。その工場の屋根には会社の名前が書いてありました。すると親父さんが言いました。
親「宝徳、あの会社はなんであの名前なんだ」
寳「知りませんよ。そんなのわかるわけないじゃないですか」
と答えたら、親父さんが大激怒ですs。
親「俺がいつお前に正解を求めた。こういう時はなあ『なんであんな会社名なんだろう』と考えることが大切なんだ。そうするとなあ、ここの経営者はどんな目的で会社をやっているんだろうとか、もしかしたら、可愛いお子さんの名前かなあ、とか、色々考えていけて楽しいだろう。お前は知識はあるかもしれないが、ものを考えない。もっと考えろ、考えろ。考える題材は街にいくらでもある!」
親父さんはそうなんですね。確かにいつもたわいもないことを見つけたことに喜んで同じものを見るのでも人とは違う観点を見つけ出します。
これが親父の私に対する教育なんです。私は、まったく嫌ではありませんでした。パワハラなんかと思ったこともない。ではなくて、いつもワクワクドキドキです。
宇佐美と出光興産の取引は莫大なので、よくもめました。でも、そんな物事があるときでも「宇佐美に言ったら親父に会える」と楽しみにしていました。
一番揉めるのは金庫番のT女史(経理課長)でした。この人、すごい人で、親父さんから実印を預かって、3,000億円から4,000億円を動かしている人です。でも、どんなにもめても、18時になると「ああ、こんな時間?はい話は終わり。宝徳さん、ご飯行こう、鰻がいい?焼肉?」と言います。
宝「Tさん、まだ結論出ていないよ」
T「もう後はあんたに任せたわ。信頼しているからね」
と言われたらいい加減な仕事はできません。親父さんは二人の結論には何も言いません(報告はしますが、いつも「おお」だけです)。
閑話休題。先ほどの会社の名前に戻ります。「わかりました」というと、いきなり道端の花を指さして。
親「宝徳、じゃあ、あの花はなぜ枯れている」
と聞かれました。
寳「えっ?」
親「ほうらみろ、ただみているだけだろう、正解を出そうとしているだろう。正解が初めからわかる奴がいたらそいつは億万長者だ。しかたがない、物事の考え方を教えてやろう。あの花は枯れているが、では、なぜ、その両隣の花は枯れていないんだ。そして、その原因を考えるんだ」
一言もありません。
こんな教育を受けて、親父さんを好きにならない人はいますか?
【拙首です】
道端に あるものみんな 教科書に 考えること いくらでもあり
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