宇佐美の親父さん4:ころばないようにするから(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十一月八日)2

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 あるとき、親父さんに、「宝徳、経営って何んだかわかるか?」と聞かれました。「それがわからないと販売店(出光興産株式会社だけは特約店ではなく販売店と言っていた)の経営指導などできないだろう」と。

 恥ずかしながら私は答えられまえせんでした。すると親父さんが「どうせまた小難しいことを考えているんだろう。だからお前はダメなんだ。いいか物事を考える時には原理原則に戻るんだ。経営はなあ、顧客を愛し、社員を愛し、事業を愛することなんだ」とおっしゃいました。

 親父さんと会うと、一回会うごとに最低一回は涙が出そうになります。

 この話もそうです。

 親父さんは、ある年の冬、SSのオープンに出席して凍つた地面で転んでしまい、頭を強く打ちました。親父さんは、歩く時にポケットに手を突っ込んで歩く癖があります。なので、私が一緒にいるときは、少し後方を歩いていました。でも、この時は、ご一緒しませんでした。

 その大怪我は、頭蓋骨の半分ぐらいををとりはずすくらいの重症でした。もちろん一時、本人は意識がありませんでした。ある年の12月です。集中治療室で個室に入りました。

 親父くらいの人間となると、たくさんの人がお見舞いに訪れます。私も、ある程度、いろんな人のお見舞いが一巡したときに親父さんの好きな、うす皮饅頭をもって名古屋 (当時)からお見舞いに行きました。

   お見舞いに行って、会った瞬間は私のこともわからない様子でした。30秒ほどして、「おつ、寳德か、よく来たな」とおっしゃいました。そうとうひど い怪我だったことが推察されます。しばらくして、

「寳德、頭に骨がはいっとらん。触ってみるか~~」。と言はれても触れませんよね。そのうち、部屋の中にいた、宇佐美の社員さんが何かの 用事で部屋からいなくなりました。そのときの会話です。

親「寳德、頼みがある」 

私「なんですか? 私にできることならなんでもやりますよ」

 親「オープンしたSSが気にになってしかたがない。俺を連れて行ってくれんか。社員の誰に頼んでも連れて行っ てくれない」 

私「あたりまえでしょう。この部屋をどこだと思ってるんですか。集中治療室ですよ。それに、出かけて今度、転んだりしたらら、ほんとに死んでしまい ますよ」。

 親「ころばないようにするから(氏はこういうかわいいところがあります)」 

私「そういう問題じゃないでしょ。ダメです」

 
親「お前までそんなことを言うのか。もうお前とは一生口をきかない・・・」 と言って不機嫌に黙り込みました。

 私はこのときも、話している途中でなきそうになりました。そして心の中で、「この人は、ほんとうに事業を愛しているんだなぁ。事業が成功するということはこんなにも純粋になるということなのか」と思いました。

 今、盛んに心の経営が叫ばれています。もちろん経営の技術は必要なのですが、日本人が本来得意としてきたことをもう一度見直さなければならないのではないでしょうか。非常に難しいことなのですが、とても単純なことです。事業と社員と顧客を愛する誰よりも強い心。経営のスタートなのでしょうね。


【拙首です】

逢ふたびに 涙でくる ことがある 心に染み入る 親父のことのは

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このページは、宝徳 健が2024年11月 8日 08:58に書いたブログ記事です。

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