この前、ある方と、梅田で昼に会いました。この方は「とにかく宝徳先生の言葉のシャワーを浴びたい」と仰って、北陸から来てくださいました。とにかくいろいろな話をしました。会話が楽しい!
ただの会話がこんなに楽しいのかと思いました。
その会話の中で、「あっ、宇佐美の親父ってまだ生きているんだ」と強く感じました。いいなあ、こんな大人になりたいなあって。 親父が亡くなったのが71歳。私は66歳。もしかしたらあと5年・・・。
私は社長室でだまって座っていました。好きなことをしながら。
親父さんおルーティンが終わると私の話しかけてきます。たわいもないことを笑。
親「宝徳なあ、昔、急いでいて、車で、ある踏切を急いで渡ろうとしたんだ。そしたらなあ、いきなり遮断機が降りて、いそいでブレーキをかけたんだ。そうしたらなあ。俺の車の目の前を、電車が通り過ぎて、その車輪がぐるぐる俺の目の前を通過するんだ」
寳「何をやってるんですか。とにかくいいかげんにしてください。今や、親父さんは、親父さん一人の体ではないんですよ!」
親「はっ?今の俺から変われというのか?」
寳「ではなくて、親父さんに何かあったらどうするの?」
親「大丈夫だ、もう二度とその踏切は通らないことにしたから」
私は、その時は笑いを堪えたので次の言葉がでませんでした。
後日、親父さんが、名古屋支店に遊びにきてくれた時に親父さんの大好きだったT支店長と歓談していました。私も呼ばれました。親父さんの大好きな「破れ饅頭」を女性に買いにってもらって。
帰り際に、支店長と私がエレベータに親父さんを送っていきました。
寳「社長、気をつけてお帰りくださいね。あまり飛ばしすぎないでくださいね」
というと、親父さんがしばらく沈黙して(あまり、そんなことを出光の担当者から言われたことがないんでしょうが)。
爆笑している支店長に向かって。
「支店長ねえ、こいつこの前、運転させたら飛ばしてたんですよ。宝徳なあ、お前の方が飛ばすだろうが!」
っと言って、3人で大笑いしたのを覚えています。
二度とあの踏切は通らないことにしたから
その言葉が出てくる親父さんは素敵だなあ、って思いました。一つ一つの言の葉が、人を動かし、和やかにする。そんな親父が大好きでした。
【拙首です】
観点を 変へ人の心も 変へていく 親父の言の葉 染み入る言の葉
ご無沙汰です。
今日、連絡受けたんだけど、出光聡が11月7日に亡くなったんだって。オイラは10月で退職したんで、会社の訃報連絡が入らないんだわ(光友会は入るけど)。
半年前から闘病生活を送っていたらしいよ。
残念。。。
ご無沙汰しています。お仕事お疲れ様でした。私は、澤田さんから智さんの訃報を聞きました。私も詳しい情報を知りたかったのですが、澤田さんも知りませんでした。とても残念です。合掌。連絡ありがとう。