読者の方から「また宇佐美の親父さんの話を書いてください」とリクエストがありました。しらんからね笑!私の宇佐美の親父さんの話をさせたら止まらんからね。
宇佐美の親父さんの話をし始めると、かみさんがいいます。「はいはい。また彼女の話ね爆笑」と。
出光興産株式会社時代の平成八年(1996年)から平成十年(1998年)まで出光興産株式会社最大の取引先 宇佐美の担当をしました。最初は、あんな安売りの会社いやだなあ。って、思っていました。でも、当時、有限会社宇佐美は、トータルで200ヶ所のガソリンスタンドを保有し、その販売量たるや出光興産株式会社の2割を卸しなしで販売していました。
でも、お会いした瞬間に「石油業界唯一の真実がここにいた」と思いました。当時の石油業界は嘘ばかりです。そして、通産省(現 経済産業省)の規制が厳しく、ひん曲がった経営を元売(石油会社)もガソリンスタンドもしなければならなかったのです。
私が、石油業界に入ったのが昭和五十八年(1983年)です。その年に大協石油と丸善石油が合併しました。丸善石油は特約店の北関東のM社をコントロールできずにかなり経営が悪化していました。当時、元売は13社ありました。
宇佐美の親父さんの話をする前に、石油業界の歪みの話から始まりました。この話はまたこの章でしますね。
ガソリンスタンドはみんなその歪みの中で、必死に生きていました。まだ、オーナードライバーがすくなく、法人の賭け売りが主体の頃でした。
なので、現金高の掛け安の商売をしていました。
その時、反旗を翻したのが宇佐美の親父です。親父のやることはいつも単純です。何をやったか。
現金安の掛け高です。
現金高の掛け安をやっていた業者はたまったものではありません。宇佐美は「安売り」のレッテルを貼られ、全石油業界から総スカンを食いました。
私が担当した時も、私が大阪支店に転勤した時(平成13年:200年)もまだそんな現状でした。
親父さんによく言われました「俺は間違ったことはしていない。間違ったことをしている人間たちになぜ、そんなことを言われなければならないのか」と。
SNSなんかがあったら炎上でしょうね笑。
でも、私は、そんな親父さんが大好きでした。よくこの決断をされたなと。
これまで書いた親父さんの記事ともダブルかもしれませんがご容赦ください。でも、石油業界の不合理を重ねて書きます。
2年間、実の子供のように可愛がってくださいました(うるさかったけど:笑)でも、愛情いっぱいに。親父さんのことを思い出すと、今でも、涙ができます。平成十七年(2005年)七月二十日に亡くなりました。享年七十六歳。今年で生誕九十一歳です、親父、早すぎるよ。親父さんの教えは遺していきます。
厳しいけど、優しさが厳しさの100倍ある人でした。
【拙首です】
親父から 厳しく学んだ かずかずの 教へを思ひ 涙溢るる
コメントする