※お断り:事情があって、ブログを書く日時が確定できません。ご容赦ください。このルーティンだけは絶対にやりたいので。
今日は古典の日です。寛弘五年(1008年:1016年前)十一月に紫式部日記にはじめて源氏物語の記載がありました。なので、それを記念して「古典の日」としています。
当時は、欧州では(アメリカはまだなかった)、女性が詩や小説を書くことは絶対に考えられませんでした。女性の地位がとても低かったのです。我國では、1250年前から女性も和歌を呼んでいます。そして、もう一千年以上前から女性が小説を書いていました。
我國では、男女の差というのは体の構造の差であって地位の差はありませんでした。つまり、男女区別があっても男女差別はなかったのです。
わかったかね国連なんと委員会。
オタクらとは歴史が違うんだ。まだ歴史も固まっていなかった時代です。あの暗黒の宗教戦争の時代ぐらいですかね。ローマ帝国をキリスト教がぐちゃぐちゃにしていた時代でしたっけ?
「ひかる君」を大河ドラマでやっていますが、大切なのはあの内容ではないんですよね。
紫式部が源氏物語に千年かかっても解けない謎を書いたことをいまだに我々は解けきっていない
ことなんです。いろいろな方(僧侶、武将、文学研究家等)がその謎の解明に千年ずっと取り組んでいます。
私ごときも源氏物語を読んでいますが、十回目ぐらい読んで、ようやく輪郭が見えてきました。
全五十四帖(章)がだいたい3つに分かれているのですが、女性がたくさん出てきて最初読んだ時は頭が混乱してしまいました。でも、特に最初の方では「桐壺」と「藤壺」という二人の女性が軸になっています。
和歌も七百九十五首書かれています。「泣く子も」だまると覚えます。
光源氏が政争から逃れ明石に逃げました。その明石にも源氏物語ゆかりの地がたくさんあります。
私が好きなのは、大津にある、石山寺です。寛弘元年 (1004年)、紫式部は、新しい物語を執筆するために石山寺に参拝し、湖面に映る月を見て源氏物語の着想を得ました。
ここのしじみご飯やじじみ汁は美味しいんですよね〜。
歴史が続くということは、こういう文化も継承されるのですね。
【拙首です】
魅せられる 紫式部に 魅せられる 源氏の世界に 泳ぐ身として
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