明治節(皇紀二弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十一月三日)

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  今日は明治節です。文化の日なんていう名前は我國の歴史にありません。

 明治天皇は嘉永五年(1958年)にお生まれになられました、第百二十二代天皇陛下です。

 「君子は包丁を遠ざく」という孟子の言葉がありますが、明治天皇は、どんな献上品でも生物はお召し上がりになりませんでした。「鳥ならば飼っておけ、魚ならば池へ放せ」と言って。あるとき、側近が「陛下が生き物の命を惜しまれるのは誠に恐れ多いことですが、献上致す者は、なるべく新鮮なものを召し上がっていただきたいとい気持ちがありますので、どうか調理の方へ回されて、少しでもお召し上がりくださいますようお願いいたします」と申し上げたら。陛下は「よくわかった」とおっしゃり、その後も相変わらず召し上がりにならななったそうです。ただし、「飼っておけ」「放せ」とは、おっしゃらなくなりました。[おあずけ」という言葉に変えて。献上品の目録のみをご覧になって。まさに「君子は包丁を遠ざく」です。

 また、陛下は一生のうち和歌を十万首も詠まれたそうです。いつも、心を美しく保たれていたのですね。

 あの明治という激動の時代には大変な、我が国危機存亡の事件がたくさんありました。見事にそれらを切り抜けられても、必ず和歌をお読みになって、心を元に戻したのです。

 まさに、我國にしかない「残心」の精神文化です。

 明治大帝がいらっしゃらなかったら、我國の明治とその後の時代はなかったでしょう。

 天皇陛下は、政治に口を挟むことをしません。立憲君主とはいざ國が危機に陥る時以外はそれが当たり前です。主権者でありながらその権限を放棄しています。そして、國が危機存亡に陥ったらまず自らが率先して前にでます危機き存亡の危機とは、内閣も軍もが機能しなくなった時です。

 昭和天皇は、二・ニ六事件で、内閣が機能しなくなり、軍が暴動を起こしました。その時に自ら近衛兵を率い乱の鎮圧にあたりました。また、終戦にあたって、その結論が出ない時に、鈴木貫太郎首相が、陛下に「お願いします」と言いました。そして終戦となり我國が守られました。

 他の国では、内閣も軍も機能しなくなったら革命が起こりますが、立憲君主国家は、最後に陛下が命を投げ捨て國を守られます。この規定が日本国憲法「典」にはありません。(立憲君主がもつ権利は「英国憲政論:バジョット」で、①意見を述べる権利、②奨励する権利、③警告する権利の3つだとしています:参考)

 おそらく最も優れた統治方法は、立憲君主でしょう。立憲民主主義なんかありえません。 誰も最後に命を捨てて國を守るの? 政治家の愚かさがここにも出ています。

 明治大帝はいつもそれを考えられていつも和歌で心を美しくされていました。

皇弥栄(すめらぎいやさか)

 明治大帝を一万円札の方にすればいい。そうすれば日本人は永遠に勇気を得られます。


 もういちど申し上げます。本日は、明治節です。この「節」を機会に我國の在り方をもう一度見つめましょう。


                            皇弥栄(すめらぎいやさか)


【拙首です】
数々の 國難乗り越え 和歌を詠み 心豊かに 大帝過ごされ

【教育勅語が下賜されたときの大帝の和歌です】
世の中の 真の道の ひとすぢに わが國民を をしへてしがな

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このページは、宝徳 健が2024年11月 3日 06:42に書いたブログ記事です。

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