二公八民(皇紀弐千六百八十四年 令和六年(2024年)十一月二十四日)5

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 私は、親父が転勤族でしたので、いろいろなところで育ちました。最初は大阪府豊中市です。次に大阪府枚方市牧野です。次に静岡県駿東郡裾野町(現 静岡県裾野市)。次に、福岡県遠賀郡芦屋町です。

 そして、一番好きな福岡県宗像郡原町(現 福岡県福津市)です。高校はここから行きました。なので、福岡県立福岡高校という県下の名門校に入れました。この高校のある地区は、とれもガラが悪いのですが、そんなことは遠賀郡の芦屋町ですごしていたので、なんちゃなかでした。

 博多は楽しかった。那珂川の東が博多です、西が福岡です。

 博多は町人の街で(幕府直轄地)、福岡が黒田藩です。

 税金は、博多が二公八民でした。つまり、幕府区直轄地は2割を税金で取られて8割は自分達のものだったのです。

 福岡は四公六民です。藩に4割取られて6割が自分達のものです。

 だから博多が商人の街になりました。栄えました。

 今は、国民負担率が5割です。つまり、五公五民なんです。

 経済発展がするわけない。江戸時代の人は、それでもわかっていたんです。減税の必要性を。

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このページは、宝徳 健が2024年11月24日 12:43に書いたブログ記事です。

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