2025年1月アーカイブ

中小M&Aガイドライン(第3版)遵守の宣言について

 

 (M&A支援機関名)は、国が創設したM&A支援機関登録制度の登録を受けている支援機関であり、中小企業庁が定めた「中小M&Aガイドライン(第3版)」(令和68月)を遵守していることを、ここに宣言いたします。

(M&A支援機関名)は、中小M&Aガイドラインを遵守し、下記の取組・対応を実施しております。

 

 

  このシリーズは、母と叔母の掛け合いを書こうと思っていたのですが、叔母からいただいた母の手紙集の中には、とても言葉では言い表せない素晴らしい手紙が入っているのです。私の大叔母さんにあたる「前野のおばちゃん(と呼んでいました)」が入院している祖母に宛てた手紙まで入っています。もう祖母が亡くなる前なのかな? 小さい頃、前野のおばちゃと自分はどういう親戚関係なのかなあと思っていましたが、それも解明されそうです。そう、叔母(洋子)が送ってくれた手紙の束は、秋武の親族、友人関係を解き明かす宝物なんですね。こういう時には生成AIが役に立つのでしょう。しまった父から私に宛てた手紙をすてるんではなかった(父が亡くなった時に捨てた)。それにしても昔の方は達筆です。読むのに一苦労です。そして、通信手段がなかった時代です。手紙をたくさん書いています。叔母からいただいた束には一体何百通入っているのだろう。ライフワークが増えました笑笑。


 また、祖父(璋二)に宛てた友人のハガキまであります。昭和三十七年十月十日です。まだ葉書の切手が5円です。今は葉書が85円です。郵政事業はダメですね。サービスがどんどん落ちてくるのに値段だけ高くなります。

 今日は、その祖父に来た祖父の友人岸本さんからのて葉書です。なんと、裏が出光興産株式会社の日章丸です。昭和二十年代後半にイラン石油を輸入し、敗戦に打ちひしがれていた日本国民を感激のるつぼに巻き込んだ出光興産株式会社の人気はすごかったのです。

この写真の日章丸は三世号かな。昭和三十七年十月七日竣工です。この葉書の三日前です。

 当時は、世界最大のマンモスタンカーでした。真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与えることが土性骨がある明治生まれの昭和男たちにはできたんです。

 今が、皇紀弐千六百八十五年だから皇紀参千年はあと十五年。今私が六十六歳だから八十一歳ですね。また、バリバリ仕事をしている頃です。やった。人生の楽しみとして生きていこう。

 携帯電話の電話番号を変えて、皆さんに連絡した時に、「85歳ではなく、105歳まで現役でいてください」と言われ魔ました笑笑。私の父は百三十五歳まで生きると言っていたのに、九十四歳で亡くなりました。この四十年に及ぶ差異はなんでしょうか笑笑? 105歳か〜。世の中はどんな風景になっているのかなあ。若者たちが伸び伸びと仕事を想像している世界かなあ。働き方改革=働かない改革をしていている今でも、侵食を忘れて働いて働いて働き抜く若者はたくさんいます。彼らが中心の世の中ですね。きっと。

 百五歳まではあと四十年。今から四十年前というと私が二十六歳。まだ、インターネットもスマホどころか携帯もありませんでした。なので、女の子と待ち合わせしてお互いが伝え方を間違えた時など、もう、どうしようもありませんでした。

 学生時代は、駅や銀行の黒板やホワイトボードは貴重な情報伝達手段でした。約束した人と会えない時は「今日は帰りますね」とメッセージを残しました。家庭教師のバイトなんてその黒板やホワイトボードに書いたら結構反応をいただきました。「家庭教師します。当方◯◯大学生 名前は宝徳健といいます。(あとは条件面など)」。今では考えられないですね。

 さあ、明るい未来になるか? 今回の日銀のような金利アップや財務省支配の緊縮財政では無理ですね。なんで歴史に学ばないんだろう??? 教科書が褒めちぎる江戸時代の三代改革は緊縮財政ですべて失敗しています。田沼意次が正しい経済政策なんです。官僚も政治家も馬鹿ばかりです。

 減税したら地方財政が破綻すると馬鹿なことを言っている知事もいました。では、我が国は、減税政策は取れない国なの?

 今回の植田日銀総裁の金利アップ決定は、愚策です。理由を何も示していないのもありますが。日銀というのは世の中がどうあれ金利を上げたがる人種なんです。一番重要なのは民間経済が発展するかどうかでしょう。それを全く無視しています。このままの政治・官僚・日銀・経済界・メディアのあり方では、四十年後を想像することが怖くなります。

 私たち年配者の使命は、日本の利権構造を崩していき、若者たちがしがらみにとらわれず伸び伸び生きる社会をサポートすることです。今の利権みたいに、若者たちの生き方を阻害することではない!

 ニュースを見ていたら嫌になります。政治力学だけで総理大臣になった素人 石破。タレント問題で嘘を書くメディア。それを10時間以上もフジの人間を拘束した、猛獣の社会部記者たち。相変わらず、民間の金を吸い上げ続ける財務省。吸い上げられているに、金利まで上げる日銀。それに無知が故にしたがってします政治家。それを利用し自分たちの利権構造を手放さない政官利権構造。馬鹿勢揃いの経団連や経済団体友好会等の経済団体。各業界の利権集団(医師会やJAや弁護士会など)。これらを後に十年で破壊していかないと若い人たちに申し訳ない。

 鈴木敏文氏が現役の頃ある講演会でおっしゃっていました。

「社長としての私の仕事はただ一つです。社内の成功体験を潰していくことです」

 そうですよね。
 (平成二十五年四月九日掲載分)

日本武尊を裏切った息長氏ですが、娘を后として送り込むことでヤマト王権の北陸進出を手助けしようとしたのでしょうか?

 ところが、息長氏は再び裏切っています。今度は、その娘とその子を・・・。

 琵琶湖周辺は政治的な要素にあふれています。また、情緒にもあふれています。私は滋賀県と岐阜県が大好きです。岐阜県も同様に政治的な要素、情緒にあふれています。


 でも、共通するのが、両県の県民があまり自分の県のことを知りません。残念です(笑)。

 以前述べましたが、神功皇后は朝鮮に出兵しています。異国の地での長い戦いを終えて、戦いが終わった後にすぐに生まれた子(後の應神天皇)を抱いて都を目指した神功皇后を待っていたのは義理の息子である忍熊王(おしくまおう)たちの反逆でした。

 忍熊王たちは凱旋する義母が産んだ弟に帝位を奪われることを恐れました。

 反乱軍は、播磨(兵庫県明石市)で、母子を待ち受け「東国から兵」を集めました。ところが戦闘前に首謀者の皇子の一人が事故死したため、難波の住吉に軍を退きました。

 神功皇后は反乱を知り、瀬戸内海を東進する主力と四国の南を迂回する搦め手の二手に軍勢を分けて、反乱軍を攻めました。反乱軍は宇治へ撤退しました。

 神功皇后は都へ入り、朝廷を掌握し、翌月、数万という大軍を動員して反乱軍の壊滅に着手しました。兵力の差はすでに大きなものでした。

 忍熊王はボロボロになりながら宇治川を上り近江を目指しました。しかし追撃はやまず、ついに琵琶湖のほとりの瀬田の渡しで身を投げて死にました。

 その年の冬に、ヤマトの群臣たちは神功皇后に「皇太后」の尊称を与え、神功皇后は幼い應神天皇を補佐する「摂政」となりました(日本書紀)。

 ここで不可解なのは、反乱軍が東国の兵を集めたことと、撤退した忍熊王があえて神功皇后の父親たちがいる近江に撤退したことです。そうです、息長氏は反乱軍に手を貸したのです。

 う~ん、面白いな~。歴史を知ると、その地を訪れるのがまた楽しみになります。この息長氏のなぞは少し研究してみる余地がありそうですね。

  天皇家は、地方を征服したことはありません。平定しています。征服ならやさしい。すべてぶち殺せばいいからです。平定は大変です。こんなしんどい思いをし てながら、天皇家は統治していったのですね。神功皇后の功績はとても大きいのですが、戦後、歴史から消されました。左翼によって。

 正しい歴史を否定する者は、歴史によって裁かる日が来るでしょう。

秘められた 古代の動きを 知りながら 近江の国の 謎解き明かす

 

  (平成二十五年四月七日掲載分)

竹生島(ちくぶじま)を説明してゐます。

 この島は、平安時代に国家に公認された「式内社」の都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)と宝厳寺が鎮座します。神社に祭られてゐるのは、すべて女性です。

 さて、竹生島はどうやつてできたか。ある神話を紹介します。

 滋賀県と岐阜県の県境に伊吹山があります。私はこの山が大好きです。

  竹生島からも伊吹山はよく観えます。伊吹山は男神です。近くにある浅井岳は女神です。あるとき、伊吹山と浅井岳が背比べをしました。伊吹山は敗けてしまゐ ました。敗けて怒った伊吹山は、浅井岳の山頂を切り落としてしまゐました。切り落とされた山頂が琵琶湖に落ちて竹生島になりました。

 さて、息長氏の本拠地は米原氏です。今はあまり栄えてゐませんが、この地は立地的にとても重要な土地でした。そこを息長氏が抑えてゐたのです。

 ここには鏡などの出土品で知られる山津照神社などの息長古墳群があります。そして、神功皇后の父親の墓と言われているものは前方後円墳です。息長氏の勢力がみてとれます。

 ちょっと話はそれますが、古代に都を防備する関所が三つありました。不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)、愛発関(越前国)です。その一つ不和の関が米原から東に行ったところにあります。

 米原は壬申の乱の激戦地でした。

 不破の関跡

 勝利者の天武天皇(大海人皇子)が設けた関です。


 話を戻します。日本武尊を裏切った息長氏がどうして娘を天皇の后として送り込んだか。つづく。

ひっそりと たたずむ関に つけられた 不破という字が 平和を求む 

 今、宇佐美はUOSという会社を作っています。人手不足に悩む、宇佐美の高いレベルの人材を内部だけでなく外部からも求めて。さすがですね。新規商品というより、自分たちがやっているビジネス周辺を新たなビジネス化しています。これは親父さん作った商売でないとできないことですね。

 こういう商売をやって、たとえば他のガソリンスタンドに派遣したとします。既存の人手不足に悩む経営者の多くはこう言います。「UOSは、高い」と。

 ほうとうにそうなの? 採用広告に高い金を出しても効果なし。入ってきたら入ってきたらで、採用した従業員の能力なし。すぐやめてしまう。労務管理に多大なコストがかかる。そういうのを考えたら安いよね。

 まあ、こういう発想をする経営者の経営はうまくいっていません。悪しからず。親父さんのDNAが残っている宇佐美はすごいなあ。
   (平成二十五年四月六日掲載分)

仲哀天皇は、父の日本武尊を死に追いやった息長(おきなが)氏からなぜ皇后を迎えたのでしょうか。


 仲哀天皇にはもともと后がいて、息子も二人いました。それでも、天皇に即位したあとに、神功皇后を正妻としてめとっています。

  その後、仲哀天皇は、敦賀(福井県)に赴き、そこで王宮を設置しています。大和にいられなかったのか、それとも東アジアを見据えて戦略的に日本海側に進出 したのかは定かではありせんが、北陸の敦賀は、琵琶湖の北西部、つまり、息長氏の勢力下を越えればすぐのところです。息長氏の娘である神功皇后との結婚 と、北陸進出は無関係ではないでしょう。

 琵琶湖の北部に竹生島(ちくぶじま)があります。聖なる島「竹生島」です。「ちくぶ」という名は「神が斎(いつ)く」が語源とされています。「いつくふすま」「つくぶしま」「ちくぶじま」と転化したといわれています。

 

琵琶湖の北部に竹生島(ちくぶじま)があります。聖なる島「竹生島」です。「ちくぶ」という名は「神が斎(いつ)く」が語源とされています。「いつくふすま」「つくぶしま」「ちくぶじま」と転化していったと言われています


 この島を聖なるものとして信仰の対象としたのは、はるか縄文時代にまでさかのぼります。


  島の対岸の海底に、縄文時代から弥生時代にかけて島をあがめるために貢物をつめて深さ1070メートルの海底に沈めた湖底遺跡「葛籠尾崎(つづらおざ き)海底遺跡」があります。戦国時代には、岐阜から近江の安土城主になった織田信長が、この島を訪れて参拝しています。竹生島は、何千年もの間、祈りが捧 げられた聖地です。

 なぜ、突然、竹生島の話になったか。 つづく

君が代の 千代に八千代に 遺された 祖先の祈り 今に続かん

 トラックステーションの話は、宇佐美の親父さんの話と重複(ちょうふく)するので、このシリーズでは割愛します。直営店には、何もありません。窓を拭くタオルは使い回しです。洗濯機を中古屋さん(今のリサイクルショップのようなもの)で買ってきて、強力洗剤で洗って白くしました。私たちが実習を受けた直営店(私は広島、O君は門司だっけ笑)では、毎朝、ドライブウェイに洗剤を巻いてデッキブラシで声を大きく「一、二、一、ニ」と出して磨く、棒擦り(ぼうずり)というものをやっていました。この直営ではやっていません。また、棒擦りが終わると、二階の事務所の人がスタンドに降りてきます。全員でラジオ体操をしたあと、国旗掲揚です。半旗なんてやろうものならぶん殴られてしまいます。そのあとは、皇居遥拝と宗像大社遥拝です。そのあとスタンドで朝礼です。これらもやっていませんでした。これって道路の人みんなに観られているので、かなり、恥ずかしいのですが。慣れると「いいもんだな〜」って思います。大切なスタンドの朝の儀式です。

 ということで、二階人たちのお力添えももらい、この朝の儀式をスタンドでやるようにしました。するとびっくりしたのは、スタンドの先輩たち(かなり年の差があります)が、率先して大きな声でやってくれるのです。そうなんです、職場に白けていただけで、自分たちも本当はやりたかったのです。

 人間には
自然型
可燃型
不燃型

の三種類があります。自然型は自分で燃えられる人、可燃型は誰かに火をつけられると燃える人、不燃型はどんなにやっても燃えない人です。先輩方はみんな燃えたくても燃えられないでヤキモキしていた可燃型なんです。ある先輩から言われました。「いい人にきてもらった。仕事が楽しいよ」と。

 昭和五十八年(1958年)八月にO君から「なんか楽しいイベントができないかなあ」と言われ一緒に考えました。O君は絵が上手いのです(私は図画工作は壊滅的に下手)。企画を作って二階の事務所の総務担当のHさんに稟議を上げました。たった二十万円の予算です。するとHさんから書類が帰ってきました。「不可」と。同時にHさんが二回から私たちの元に降りてきました。「お前ら、俺が却下したからってもう諦めるのではないだろうな。通るまで何度も何度も申請するんだ」と言いました。やった〜と思って、何回申請したかは忘れましたが、通してくれました。

 当時の出光興産株式会社は、これが楽しいんです。私たち若者がやりたい仕事ぐらいだと、よほどプアーな提案でない限り、必ずやらせてくれます。それも成功しなければならないので、成功の確率が上がるプランになるまで、先輩たちがダメ出しをするんです。二階で仕事をするようになってからもそうでした。楽しかったなあ〜。

  これが「働きがい改革」です。「働き方改革=働かない改革」ではありません。現に私は二階の事務所で仕事をするようになったとき、平均月間総労働時間は350時間以上でした。そのことに対して、何も不満はありませんでした。当時の出光興産株式会社は残業手当などありません。社員が放棄する形になっていました。

 これもいなあ〜。と思いました。残業手当をもらうと仕事が会社の仕事になってしまいます。今やっているのは、社会に貢献するためにやっている自分の仕事を出光興産株式会社という場を借りてやっているんです。だから月350時間の(労働時間なんて言葉は大嫌いです)仕事の時間は楽しくて仕方がありませんでした。どんなに嫌な目にあっても。

 そのイベントも大成功でした。3日ぐらいやったのですが、売上は通常日の3倍ぐらいになりました。

 当時はスタンドでイベントをやるなんていう発想は他社系列も含めてありませんでした。誤解しないでください。その後スタンドで花盛りになる巨額の資金をかけたもの上げイベントではありません。

 O君と二人で、スーパーにいったり、安売り店に行ったりして景品を見繕い、そして、きれいになったタオルと最高の元気で、最高の笑顔のおもてなしをして、進化した私たちのスタンドをお客様に観ていただきたかったのです。このイベントは関係ありませんが、さあ、ここで一つ業界の一つの課題が解決されます。DMを出したり新分広告に入れたりするには予算が足りません。なので、イベント前1週間はポスティングをしました。
 私の母の兄弟姉妹は、伯母(堯子 たかこ:朝鮮から引き上げ時に死亡)、伯父(舜一:しゅんいち)、母(汎子:ひろこ)、叔母(雅子:まさこ)、叔母(洋子:ようこ)の六人です。

 祖父(母方)の祖父は秋武璋二 昭和四十四年十一月一日没。私が小学校四年生の時でした。祖母 アヤ子昭和三十八年九月八日没。私が五歳の時です。あまり覚えていないのですが、驚くほど優しい方で、怒ったのを見たことがありませんでした。八月十五日になると堯子伯母さんを思い出して仏壇に向かって泣いていたのだけは覚えています。

 我が家は父方母方両家とも北朝鮮からの引揚者で這う這うのていで38度線を超えてきました。この辺の事情を知りたい方は、

 藤原亭さんの「流れる星は生きている」


「竹林はるかとおく(別名ようこものがた)」をお読みください。軍備がなくなった国民は、生きていくことができないです。それなのに戦争反対と叫び戦争を防ぐ軍備まで否定する国民が多いことに悲しみを覚えます。



 昔の親は大したものですね。今のキラキラネームとは全く違いま。堯子の堯と舜は支那古代の理想の王です。次に、子供が産まれていたらおじいちゃんは禹とつけていたのかなあ笑笑。

 その中で、母 汎子と叔母 洋子はとても仲が良かったのです。私たちは洋子姉ちゃんと呼んで慕っています。母は福岡県遠賀郡芦屋町で生まれ育ちました。叔母はずっと、福岡県遠賀郡芦屋町です。母はそれから父と結婚して大阪府豊中市の日本アルミという会社の社宅で姉と私が生まれました。(幸:みゆき)だけが大阪府枚方市牧野で産まれました。

 叔母 洋子はよく我が家に遊びにきていて、私の幼稚園の遠足の写真にも写っています。また私を、街に遊びに連れて行ってくれたそうです。その時、道に迷ってなきそうになりながら私を家まで連れて帰ってくれたそうです。

 優しい優しい叔母で、いつも私たち姉弟妹を気にかけてくれます。その叔母が、終活に入ったみたいです。これまで、ずっともっていた母が叔母 洋子宛に書いた手紙を、私にくれました。もっとあったのですが、以前私にくれて、私が読んだら破棄しました。

 半分はまた届いたので、母から叔母に溢れた愛情たっぷりの命の手紙を次回からブログに書きますね。

 母は、中学の時、学校で一番の成績でした。地区でNO.1の東筑高校を受験する予定でした。でも、受験の朝に祖父と祖母に「お金がないから合格しても行かせててやれない。今日の受験はやめてくれ」と言われました。悲しくて悲しくて風呂桶の中に入って泣いていたら、中学校の先生が「秋武! 出てこい!まだ間に合う!先生が自転車の後ろに乗せて連れていくから」と家の外で叫んでいたそうです。祖母が外に出て「汎子は出かけています」と伝えました。

 そんな悲しい時代もあったのです。母は昭和七年生まれですから、受験の年は昭和二十二年です。だけど、母は、そんなことにめげず、とっても明るく底抜けに優しい人でした。私が日本男児として情けないことをしない限りは。

  どうぞご覧いただければ幸いです。
  前回のブログで伊勢湾台風の凄さをお伝えしました。親父さんは、ことあるごとに私に伊勢湾台風の凄さを語ってくれました。

※2ヶ月以上水が引かなかったのこと
※ねずみや蛇がいなくなったこと

 そして、伊勢湾台風の救援物資が全国からどんどん運び込まれたこと。これが親父さんが宇佐美の核となるトラックステーションをどんど創った理由です。

 「これからはトラックだ」と脳みそが筋肉の親父さんは、気付きます。誰も救援物資が運ばれたことしか考えていない時に。

 「商売とは常にチャンスなんだ」と私は思いました。

 そして、その時には、親父さんの頭の中には、トラックステーションの図面があったのです。トラックの運転手さんがどうやったら喜ぶかの(次回描きます)。

 しかし、元売である、出光興産株式会社は(というか担当者は)、強くそれを否定しました。「そんなの一時的なものでしかない。トラックステーションなんて作っても成功するわけがない」と。

 まだ誰も作っていないのに、成功しないなんてわかりませんよね。

できるかどうかよりやるかどうか

 です。当たり月の宝くじなんてありません。できない人は、すぐにこの理屈を言います。

 詳しくは覚えていませんが、こういう話があります。

 郷里から東京に出てきた二人の男がいました。二人は東京では水を売っていることをしってびっくりしました。

 一人のびっくりは、「東京は水でさえ金を出して買わなくてはならないのか」と、田舎に帰ってしまいました。

 もう一人は「東京はなんと水を売っているのか。ビジネスの可能性はすごいな」と、東京に残りました。

 後者の人は、なんだかとてもお金持ちになったそうです(有名な人なのに名前を忘れました)。

 さあ、親父さんの真骨頂の始まりです。

 新しい時代に親父さんは入っていきたった一件のガソリンスタンドから400ヶ所のスタンドのオーナーとなっていきました。
 今は、二十四節気の大寒です。とても寒い日が続きますよね。夏はあんなに暑くて、いきなり冬になりました。私が大好きな空きがなかったような。

 でも、天のなりわいです。季節に文句を言うなんて、天に唾するようなものです。楽しみましょう

 七十二候は、大寒 次候 水沢腹堅です。

 厳しい寒さで沢を流れる水に厚く氷が張り詰めている頃です。年案で最も寒い時期です。このころの旬は鍋料理に欠かせのに、脇役なシュンギクです。年中変えますが、この頃が一番柔らかくて香りもいいですよね。さすが自然。ちゃんと鍋料理にシュンギクをプレゼントしてくれています。

 さて、この寒い寒い大寒のころの和菓子は・・・。
 まだまだ、紹介したい西宮はたくさんあるのですが、それはいろいろな本にも載っていますので割愛します。私の住んでいる鳴尾を中心に紹介しました。はっきり申し上げて、鳴尾は西宮の中心街からみればとても田舎です。郊外です。英語で言うと「suburbs」です。「uaban」が都会といういいですから、その「sub」にある地区となります。

 
 一度、遊びに来てくださいね。あいみょんがよくいく、お好み焼き屋さんもあります。春夏の甲子園の時はいきなり人口が増えます。タイガースの選手も歩いています。タイガースのOBがやっている店もあります。

 西宮神社は、十日戎もあります。それ以外でも、西宮神社では、(西宮はお酒の産地なので)、酒造メーカーが西宮神社で出前を出して出店してみんなを楽しませてくれます。最近では、再開発された阪神甲子園球場で、各酒造メーカーのイベントがあります。

 西宮中心以外は結構田舎なのですが、日常と非日常のバランスがきちんと取れている本当に楽しい街です。

ご覧いただいて感謝申し上げます。
感謝合掌

(平成二十五年(2013年)三月三十一日掲載分)

大和を救った琵琶湖の女神③

 

仕事で滋賀県にはよく行きます。なぜ戦国武将がこの近江を狙ったかがよくわかります。水と陸の交通の要所です。ここを抑えないと全国を抑えられません。北へ進めば日本海、陸路では街道沿いに東へ向かって大きな壁があります。滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山です。この大きな壁を越えないと東に行くことが出来ません。

 

 息長氏(神宮皇后の実家)の源泉はこの伊吹山です。

 伊吹山で思い出すのが日本武尊ですね。

  父の景行天皇の命による熊襲征伐、東国平定の重責を果たした日本武尊は、恋人がいる熱田で休息します。一方、景行天皇の御子はたくさんいました。もちろん 異母兄弟も。異母兄弟の母の一人が日本武尊の功績をねたみます。このままでは自分の子が帝位につくことができません。一計を案じます。

 日本武尊は騙されて、神に祈るために伊吹山に登ります。神聖な山に登ると言うことで、日本武尊は剣を外しました。そして途中、刺客に襲われ致命傷を負います。一旦、熱田に戻りますが、寝込んでしまいます。その後、伊勢経由で都に帰ろうとしますが、途中で命を落とします。

 この刺客を放ったのが息長一族ではなかったかという話があります。

 実は、日本武尊は神宮皇后の義理の父親にあたります。仲哀天皇は、父である日本武尊を死に追いやった息長氏からなぜ后を迎えたのでしょうか。

壮大な 史実が眠る 近江の国 ひとつひとつが 今につながる

 和は、高校生の時にテニスをやっていました。当時は、お嬢さんスポーツとも言われバカにされていましたが、プロのテニスでは、「テニスの5セットマッチはフルマラソンよりきつい」と言われました。5時間に及ぶ試合などザラです。高校生でも3セットマッチです。これでも試合時間が2時間を超えることはザラです。

 私たちは、高校生の時にみんなで力を添えあってなんとかインターハイ(全国大会)に出場することができました。監督もコーチもいない部で高校生だけで全国大会に出るのはとてもしんどいことでした。

 高校や大学のスポーツは指導者によると言われています。確かにそうです。技術は磨けても、私たちはインターハイに出場を決めた時は、心がボロボロでした(特にキャプテンの私は)。必死になって訓練をしてきた相手に勝つのは技術だではないのです。これ普段の習慣でもそうです。オリンピック選手は四年間これらを最高レベルで追い続けています。

心(こころの強)
技(全てに打ち勝つ技術)
身体(勝ち抜けつ身体の力)
生活(普段からの高度な生活習慣)

 これらの今のその選手のそれぞれの最高レベルが1とします。でも、この四つの能力は足し算ではなく、掛け算なんです。だから四つが全て1で合計4ではなく、1なんです。尚且つ掛け算ですから、一つでも小数点があると合計は全て小数点以下なるのです。

 なぜ、こんなことを書くか。昨日書いた、ソーシャルエンジニアリングとは、相手の心を揺さぶる外的要因のテクニックで揺さぶられるからです。

 適当な知識とトレーニングを受け、セキリュティ意識が高いに人間に攻撃を仕掛けてもなかなか成功しません。
 
 でも、プロやオリンピンク選手や軍人は、「雨が降ったから負けました」とは、言えないんです。この4つをすべて1にする努力をしています。

  適当な知識とトレーニングを受け、セキリュティ意識が高いに人間になっても、それを常に維持していないと、ブラックハッカーにやられてしまいます。

 情報システムの世界では、「脅す・賺(すか)す・煽(あお)る」という手を使います。相手に一つでも、この気持ちをもたせるために攻撃をします。

 さあ、このテクニックだけではない、サイバーセキュリティの世界に、明日からみなさんと入っていきましょう。
 (平成二十五年(2013年)三月二十八日掲載分)

大和を救った琵琶湖の女神②

 

 

戦後の過った自虐史観で、私たちは、史実までもが嘘としている社会に生きています。それを神功皇后(じんぐうこうごう):息長足姫(おきながたらしひめ)を通して検証していきましょう。

 古墳時代に我が國が朝鮮半島に軍勢を連れて渡ったことは史実です。

 日本書紀・古事記によると、仲哀天皇・神功皇后は、九州の熊襲征伐のために筑紫(福岡市)に滞在していました。神功皇后には神がかりなところがあり、半島にある新羅を征服するように仲哀天皇にすすめます。しかし、仲哀天皇はそれを無視しました。

 すると、仲哀天皇が急死しました。替わって神功皇后が海を渡り新羅を征服し、その後、新羅はヤマトに臣従するようになりました。

 古墳時代前期ですから、四世紀後半です。

  古墳の副葬品といえば、三角縁神獣鏡などの銅鏡が有名ですが、この頃を境に、副葬品の主流は鏡から武器へと替わります。この頃の我が國は内戦状態にはありませんでした。つまり、我が國に新たな武器は必要ありませんでした。そうです、半島側に我が國の武器を渡す必要があったのです。

 左派お得意の侵略論ですか(笑)?

 その頃、高句麗が大陸の方から朝鮮半島南部諸国を圧迫してきて、我が國に救援を求めてきたのです。


 これは高句麗の広開土王碑に明記されています。「391年以降倭が渡ってきて百済や新羅を破り臣下にした」と。

 神功皇后は、朝鮮出兵から帰ってきてすぐに、應神天皇を生みます。この應神天皇が、政権をヤマトから河内に移します。 つづく

万世に その一系を 受け継ぎて 千代に八千代に すめみまの國

 園部八奏さん、全豪オープンJr.の優勝おめでとうございます。14歳!!!すごい。日本のテニスが世界並みになった証拠です。私たちの時は、せいぜい、全日本ジュニアとかインターハイが最高峰でした。そして、一流プレイヤーの試合など、デビスカップが日本である時以外、ほとんどありませんでした。一度、ジョンニューカムとジミーコナーズのウィナーズテイクオール(買った方が賞金を全部もらう)をTVで見た時に、「俺たちのテニスは遊びや」と思いました。でもその中も強くなっていくために、テニスマガジンやスマッシュとい本に載っている海外有名選手の写真を切り抜いて、一コマ一コマ真似をしてました。

 すごいなあああああ。本当におめでとうございます。日本はかつてテニス王国でした。欧米が恐怖した、世界ランキグ三位の佐藤次郎さんを筆頭に、清水 善造、熊谷 一弥、その他にたくさん。みんな日本の独自プレースタイルでした。それが敗戦後 欧米のスタイルを真似て、どんどんテニスが弱くなりました
。テニスだけではなく他のスッポーツも。園部さんはご自分のスタイルを見つけていらっしゃるのですね。出ない世界で勝てない。

 上地結衣さん、グランドスラムの全豪オープ優勝おめでとうございます。年間グランドスラム達成おめでとう! グランドスラム九勝目おめでとう。車椅子テニスってきついよね。聞いた時は涙がでました。

 かつてバカなメディアが、ジョコビッチ選手に「日本で世界のトッププレイヤーが育たないのはなぜか?」と聞いたらジョコビッチ選手が「何を言っているんだ、日本には国枝がいるじゃないか」メディアの不明を戒めました。

 今度は、上地さんですね。

「日本には上地がいるじゃないか」

 そして小田凱人(ときと)さん、惜しくも準優勝でしたが、あなたのテニスに惚れています。素晴らしいテニススタイルです。ミスを恐れずライジングを叩く。車椅子テニスであんなことができるなんて、信じられません。どんな苦境にあってもそのスタイルを貫く精神力には感服します。次の全仏はとってください

 私たちの若い頃のスポーツは、さきほどの理由で本当に弱かった。

 アスリートの皆さん、かつては、日本はスポーツ大国でした。その誇りを胸に、また、楽しませてください。感謝合唱!!!
 さて、親父さんが飛躍的に事業を拡充した伊勢湾台風についてです。決して認証制度亜ぢ震災の時のちんぴらのように儲けるだけ台風を活用したのではありません。それは、これまでの親父さんの記事を見てもお明かりいただけると思います。シリーズで書きます。

【伊勢湾台風】 総務省データです。

 1959年(昭和34年)9月26日夕刻に紀伊半島先端に上陸した台風15号(伊勢湾台風)によって、台風災害としては明治以降最多の死者・行方不明者数5,098名に及ぶ被害が生じた。
 この台風による犠牲者は全国32道府県に及んだが、その83%は高潮の発生によって愛知・三重の2県に集中した。これによって、その後の高潮対策が大きく進展したが、それに留まらず「災害対策基本法」制定の契機となるなど今日の我が国の防災対策の原点となった。

  •  伊勢湾台風によって伊勢湾奥部に既往最高潮位を1m近く上回る観測史上最大の3.55mの高潮が発生し、それが不十分な防災対策のまま市街化して来た日本最大のゼローメートル地帯に来襲した。加えて、大量の木材が貯木場に集積していたことやそこが高潮災害の危険地帯であることの自覚や警戒心の不足、さらに来襲が夜間であったことなどが加わり、災害が激甚化した。

  伊勢湾台風は、我が国観測史上最強・最大の上陸台風である室戸台風(1934年)に比べ、台風のエネルギーとしてはその半分程度でありながら、これを格段に上回る被害をもたらした。その原因は、未曾有の高潮の発生と臨海部低平地の堤防の決壊にあり、愛知・三重両県における建物の全壊・半壊・流失数の全国比は犠牲者数の全国比83%に近い73%に達していた。高潮氾濫によって人と建物の被害がほぼ同じ割合で増大し、この関係は地域や時代を問わず共通していることを示した。

【宝徳より】
 すごいでしょ。インフラが今と比べてはるかに劣っていたとはいえ、阪神淡路大震災並みの被害です。親父さんに聞いたのですが、台風の水が2か月以上ひかなかったそうです。

 小学生の時、伊勢湾台風や狩野川台風の話を聞いて「怖いなあ」と思うと同時に、「日本人は偉いなあ。また先輩たちはこんな台風の被害を乗り越えて、日本を復活させてくれたんだ〜」と思ったことを覚えています。当時のことはあまり覚えていません。被害の状況なんかは、生まれた次の年ですから、覚えているはずがありません。

 でも何年にもわたって、災害の復興を常に繰り返している日本人の在り方には敬意を表します。

 さあ、親父さんは、どのようにしてこの伊勢湾台風の逆風をプラスの変えていったのでしょうか。

  これから数日間は、ソーシャルエンジニアリングについてIT素人の私が、素人なりに解説してみますね。

 ちょっと用語解説。

※ソーシャルエンジニアリングとは
 総務省の定義では「ネットワークに侵入するために必要となるパスワードなどの重要な情報を、通信技術や使用せずに盗み出す方法です。その多くは、人間の心理的な隙や行動のミスにつけ込むことです」

 この太枠で少し字を大きくしたところが本とです。「騙して聞き出す」「脅して聞き出す」「買収して聞き出す」「心理学的に聞き出す」などなども入ってくるからです。

 人間の心理の隙をつくため、高度なコミュニケーション能力と高度なコミュニケーション「脳力」が必要となります。

 最近流行りの「コンプライアンス」。これは「法令遵守」では、ありません。法令遵守は、官僚が民に自分たちのいうことを聞かせたいために、アホな政府とアホな政治家騙す手段」です。だから本来の意味は

愚民化政策

です。古代、ローマ帝国で国民の目をそらすためにグラない娯楽をやりました。それ自身が愚民化政策なのです。


「なんとか詐欺」とかが花盛りです。メールにもフィッシングメールが送られてきます。「相手の立場を想像する能力」が一番大切なのが、ソーシャルエンジニアリング能力です。なので、

サイバー攻撃などには経営陣だけが机上で講じていても他の関係者の信じる状態を作りやすいのです。

 ソーシ「限りなく黒に近いグレーな心理術」という本があります。この本はまだ、「白詐欺」と「赤詐欺」のレベルなのですが、素人にはそれで十分です。規則正しく生きてきた真面目な鬱陶しい人間がそれに引っかかってしまいがちです。

【中古】限りなく黒に近いグレーな心理術/DaiGo(著者)【中古】afb

弊社蔵相書より

真面目に生きちゃいけないんか?

と、よく聞かれます。でも、自分が真面目に生きることと、だからといって相手に黙れない生き方をすることは別物です。自分の選択したものに対しては、自分しか責任が取れないからです。「そんな人とは思わなかった」「親切に説明してくれたのよ」は、真面目に切ることと何も関係がありません。自分しか責任が取れないからです。

 「黒詐欺」という言葉があります。白詐欺(真面目な人を騙す)と赤詐欺(女を使って人を騙す)を騙す、超高度な詐欺師です。私たちが黒詐欺に出逢うとしたら(もちろん白詐欺赤詐欺もありますが)、心理学をフル活用した

広義のITの世界なのです

 それが企業を取り巻くサイバーセキュリティの世界です。

 だって、どんなに情報技術が発展しても、どんなにセキュリティ対策が強固になっても、一番弱いものはなんですか?

真面目な人間

なんです。そこに対策を講じるのが

サイバーセキュリティ

なんです。

 では、どんなに情報技術が発展しても、どんなにセキュリティ対策が強固になっても、一番強いものはなんですか?   つづく
   神功皇后(じんぐうこうごう)の名前さえ知らない日本人ばかりになってしまいました。これも不埒な日教組による戦後の過った教育の弊害です。これについては、おいおい。


 さて、日本一の湖は琵琶湖です。綺麗なんですよね〜。特に、湖北がもう幻想的です。それに、大阪から近江今津までの新快速で見る朝日を浴びた湖西と夕暮れの個性は、息を呑みます。


賀県は古代には「近江國」と呼ばれていました。琵琶湖は都に近いので、「近淡海(ちかつおうみ)」がなまって「おうみ」となったと言われています。

 

 この近江出身のある女性が日本書紀、古事記に登場します。御名前は「神功皇后」です。息長足姫(おきながたらしひめ)とも言います。

 十四代仲哀天皇の后で、「八幡神」で有名な十五代應神天皇の母です。

 息長氏は、琵琶湖北東部を勢力とした地方豪族です。神功皇后をはじめ多数の后を天皇家に送り込んでいたことから、古墳時代や飛鳥時代にかけて、息長氏が湖北東部の広い地域を影響下に置いていたことがうかがえます。

 私はこの神功皇后が大好きです。こんなに優しく、強く、意志が強い方は歴代天皇でもそういらっしゃるわけではありません。やはり日本の(かつての)女性というのは世界一優秀ですね。


 日本書紀は、天皇ごとに章立てがあります。なんと神功皇后は、単独の章があり、天皇の一人に認められているのです。


 ところが、戦後一転して、伝説上の人物だとされてしまいました。情けない。なぜか。


 詳細は追々述べますが、神功皇后は朝鮮半島に出兵したからです。戦前のことはすべて悪とされたので、学界の歴史の見直しで、半島を臣従させたことが、日韓併合と同一視され、神功皇后はその業績どころか存在さえも消されてしまいました。

 みなさん、どうですか? これが私たちの受けてきた教育なのです。後日書きますが、NHK(日本破壊協会)が國会中継で都合の悪いところを削除してしまいました。

 学問とは真実を学ぶことです。「誰が正しいかではなく、何が正しいか」を学ぶことです。歪曲された嘘を学ぶことではありません。でも、私たちが受けてきた戦後教育は、ほぼすべてが「歪曲された嘘」でした。

 神功皇后をシリーズで紹介します。ほれぼれとする女性です。歴史上我が國は、世界で一番女性の地位が高い國でした。 つづく

  西宮市の「西宮」という地名のいわれは、諸説ありますが私の知っていることも書きます。地名の由来となったのは廣田神社です。創建は、なんと201年!!! 神功皇后(本当は神宮天皇)は、三韓征伐から帰国する際に、沖合で船がぐるぐる回りだし、先に進めなくなりました。その時、神功皇后が天照大神のお告げを受けました。神功皇后は若い時からそういう能力があったと言われています。

 

 戦の先鋒(せんぽう)を担った天照大神の荒魂(あらたま)を廣田の地に祀りました。広田神社以外でも、兵庫県伊ある生田神社、長田神社、住吉大社は、その天照大神のお告げお生まれになった場所に創建されました。

 

 京都より、そして、伊勢神宮より、西にあることから西宮と呼ばれていると言われています。我が國の歴史において、神功皇后の功績は英雄ですね。

 

 ご長くなるので覧いただかなくても結構ですが、次のブログに神功皇后のことを書きますね。ちなみに偉人とは、偉大なる仕事をされた方、英雄とは、國を救った人です。

 

 ねっ、西宮市の歴史は、我が国の歴史と切っても切り離せないでしょう?

 MOTという言葉があります。Moment of  Trouth)です。真実の瞬間という意味です。昔、ヤン・カールトンという人がスカンジナビア航空を建て直した時のことです。それまで広がり過ぎていたターゲット客を絞り込んで、新しく設定したターゲットに、その瞬間・瞬間でどのようなサービスを提供していくかに我が社の真実をわかっていただくというものです。

 

 いま、スカンジナビア航空がどうなっているか存じ上げませんが、少なくとも、私みたいに長々とブログを書く人ではなかったようです🥲

 

 石油業界が、通算産業省に始まり、利権の中で、ぐだぐだの世の中という濁流の中でもがいていました。今、考えると酷い世界でした。

 

 私も石油業界の失望しかけました。本を何冊も読みました。特に、佐三店主の「出光五十年史」「出光七十年史」や戦後の荒廃の中で我國をまた立ち上げようと命をかけた明治から昭和一桁の男たちの。

 

 知りたかったのです。世の中の不合理を味わっていた方々が何をしたかというより、なぜ、しらけなかったかを。

 

 そして、知りたかったのです。細かい社会の動きに一喜一憂するのではなく、世の中の大きな流れ(森羅万象)がどうなっているのかを。いまだにつかめていません。私は、これを掴めるまで、一生を終わることができない。

 

 そうこうしているうちに、こんな石油業界で愛知県の宇佐美の親父さん(まだお会いしたことがない)、熊本県のBさん、大阪府のTさんなどの(まだまだいらしゃいますが)、素晴らしい人たちのことを知るようになりました。Bさん、Tさんのことについてはまたいずれ。

 

 親父さんのことをいろいろと聴いていると、決して順風満帆な生き方ではありませんでした。

 

 まず、親父さんは現金安の掛け高という油の売り方をはじめました。当たり前のことですよね。でも、他のガソリンスタンドは、現金高の掛け安です。かつて我が国には、マイカーを変える余裕が多くの国民にありませんでした。なので、掛け売りの法人かお金持ちがガソリンスタンドの主流でした。それが池田勇人総理大臣の所得倍増計画で、国民の所得が向上し、国民もあこがれのマイカーが持てるようになってきました。まだ、クレジットカードはそう発達していないので現金客です。

 

 ところが現金客を安くすると、「それまで」主流だった掛け客が黙っていません。その頃、だいたい現金客vsかけ客では、掛け客の方が7円か/ℓら10/ℓガソリンスタンドにとってはコストが高かったのに。なので、看板を出す現金客の価格を安くすると、掛け客まで、それに合わせろと言ってきます。ガソリンスタンドはそれではたまらないので、現金の看板価格を高くするか看板を出さない商売をします。寿司屋(当時は回転寿司はなかった)ではあるまいし、たかだか消耗品のガソリンスタンドでそんなことをするなんてあり得ませんよね。

 でも、この業界は、私が、平成十年に大阪に赴任した時、兵庫県石油組合はまだやっていました。信じられません。こういうのを時代錯誤と言います。こういうのをパラダイムシフができない人たちと言います。

 

 宇佐美の親父さんは、スタンドを作ってすぐに現金安の掛け高をやりました。至極当然です。それが商売人です。それをみんなが寄ってたかって(元売りである出光まで)、宇佐美に「安売り」というレッテルを貼ります。

 

 私が宇佐美を担当した時に親父さんに言われました。「宝徳、当たり前のことをやっているのになぜ、この業界では非難されるんだ」と。

 

 宇佐美の親父さんは、燃料油脂新聞のトップに、「通称産業省、元売り、石油組合、関有製品販売業者(ガソリンスタンド)さんへ」という痛烈な批判記事を載せます(この記事を欲しくて燃料油脂新聞の編集長クラスの人に頼んだのですが、燃料油脂新聞社には保存されていませんでした。なんたるアーカイブ)。普段は喧嘩を人に売る人ではありません。とても穏やかな優しい人です。でも、売られた喧嘩は買う人です。ものすごいレベルで、そして、人が考えもしないやり方で。

 

 正常なやり方で販売を拡充させようとすると、レッテルを貼られる。そのくせ自分は何百万円も掛けてイベントばかりを行い、相変わらず現金高の掛け安をやる。

 

 たった、こんなことでさえ、自らの改革でできなくなってしまった業界だったのです。情けなくてしかたがありませんでした。

 

 一度、あるスタンドが市場から撤退する時に、近くにある宇佐美のスタンドに掛け客を紹介しようとして所長が訪問しました。価格リストを見せると宇佐美のガソリンスタンドの所長さんから「ああ、うちは掛け売りのお客様にこんなに安く売りませんから」と即座に断られ、這う這うのて体(ほうほうのてい)で帰ってきました。

 

 まったく、安売りとは、どの口が入っているのか。宇佐美以外のスタンドです。

 

 さあ、宇佐美の親父がトラックステーションを始めるきっかけになった、次から、伊勢湾台風という超大型台風の話をします。これでも業界は宇佐美を目の敵にしました。

  宇佐美の社長室には、入ってすぐのところに、親父さんの大きな机がありました。そこを起点に部屋が長くなり、親父さんの机の前には来客用の椅子とテーブル。一番奥にガラスケース付きの棚がありました。そこには、親父さんがいろいろな方にもらった、とても良いお気に入りの品物がたくさん置いてあります。

 

 私は、その中である茶器がとっても気に入りました。

 

茶道の心得があるわけではありません。高校時代は硬式テニス部でした。かなり、ハードな練習をしていました。その練習の途中で、ある部屋を窓から覗いたら、なんか変なことをやっています。「何だろうこれ?なんか飲んだり食べたりしているぞ。よし、いってやれ」と思って入りました。それが茶道との出会いです。「ようこそ茶道部へ」とみんな素敵な笑顔で出迎えてくれました。疲れた身体だったので、上品な和菓子がとても美味しかったのです。お薄(おうす)も私好みです。男性が釜でお薄を作っています。Uくんと言いました。それからとても彼とは仲が良かった。なよなよしていたので、時々からかいました。「このお釜(オカマ)はU君です」と言って。彼はいつもニコニコして聴いていました。

 

母に茶道部のことを話したら「よかったわね〜。自分のお小遣いの範囲内でいいから、きちんとお返しをしなさい」と言われました。言われたままに和菓子屋さんに言って事情を話すとその季節にあった素敵な和菓子を選んださいました。

 

 

人数より少し多く和菓子を持っていきました。持っていったときは、この前はいなかった茶道部の先生もいました。

 

「あなた茶道部にはいりなさい」

「いえ、それは無理です。テニス部の練習がありますから」

「では、この前はなぜ茶道部にきたの?(優しい笑顔で)」

「なんだかとても興味がわいたので」

「それが一期一会です。来られる時でいいから来なさい。私たちみんな大歓迎です」

「でも、私は茶道の素人です。茶道の作法など何も知りません」

「みんなにそのとき会いに来てくれればそれでいいのよ。みんな大歓迎です。それも一期一会です」。

 

茶道はなんて素敵なんだと感動しました。

 

 「そうなんです。私はその後も時々出没する茶道部の幽霊部員だったのです笑」

 

 深く茶道をおさめたわけではありませんが、それから私は大の茶道ファンになりました。和菓子と茶道の発展の歴史も知りました。大人になって、「あんどーなつ」という漫画に出逢いました。若い女の子の「安藤 奈津(あんどーなつ)さん」が両親を亡くしたのに、本当に素晴らしく浅草で生きる物語です。そして、あんどーなつは、大会社の会長と日本一のお茶の先生と出逢います。

 

 なんと。ふたりは、若い時に結婚を約束した恋人同士だったのです。結婚を約束した二人には赤ちゃんができます。でも、両家の反対にあって別れ別れになってしまいました。その子も二人から引き離されてしまいました(二人はその後は別々の人生を歩んだ)。なんとその子が、あんどーなつのお母さんなのです。そう、二人は、あんどーなつの祖父母だったのです。この漫画素晴らしい。季節ごとの和菓子も紹介されています。ちなみに、あんどーなつが働く浅草の和菓子屋さんは、規模は小さいけれど、創業から260年の老舗です。


あんどーなつ 江戸和菓子職人物語 1|無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア|テリー山本/西ゆうじ 

 

 また、前置きが長い🥲。そんなこんなで私の茶道はど素人ですが、たまらなく好きです。そんなこんなを考えていたらその茶器が欲しくなりました。ある時、親父さんが機嫌がいい時を見計らって言いました。



   最終契約の際に、「譲渡し側の経営者が保証人となっている場合は、その扱いを慎重にする必要」が生じてきます。「経営者保証のガイドライン」では、金融機関に経営保証人に依存しない融資の推進を求めていますが、現場を見ている専門家の私としては、かなり、ハードルが高いと思わざるを得ません。

 

    金融機関問題

官庁が叫ぼうがどうしようが、ある通達を担当省庁がかなり金融機関に強力に要請(命令に近い)をしてもそれが浸透するまでには何年もの期間を要します。金融機関の様子見、能力が原因です。そして、企業に対してガイドラインよりハードルを上げてくるのに遂行できない状態となります。ほとんどの金融機関は、業務管理能力は高いのですが、施策遂行能力はお粗末というしかありません。

 

    企業の経営者側の意識の問題

金融機関の保証を解除することは経営者にとって、大きな問題です。しかし、経営者保証のガイドラインのハードルをクリアしようという意識を持つ中小企業経営者は多くありません。経営者保証のガイドラインを解除する意識が高く、実際に金融機関と交渉し解除できた企業とそうでない企業の差はこれからますます拡大していくでしょう。

 

 

    弁護士

これを実行するためには、弁護士の力添えが必要になります。強い代理権がもった資格だからです。しかしながら、どの弁護士も経営者保証解除の実務に携わったことがあるかどうかは疑問です。また、弁護士が他の士業とタイアップしていきながら実務をこなすこと(全体統括マネジメント)が得意かどうかは私にはわかりません。

 

 これが3つの課題をクリアして初めて経営者保証解除は可能になるのです。

 

でも、M&Aにおいては、企業再生と違い、経営者保証解除の可能性は高くなると考えます。次回からは、それを見ていきましょう。つづく

 平成の御代になって、Windowsが出た時は、なんて便利なものなんだろうと思いました。一枚一枚画面を開けなくていいのですから、

 

インターネットが出たときに、ネットサーフィンが出てきて、調べたらなんでもわかります。これまでは、一つ一つ本を読んでいたのですが、本を持ち歩かなくてよくなくなりました。私は、出張に行く時に、本を10冊〜12冊は持っていっていました。それがパソコン一つで済んでしまう。ビジネスの仕方も我々の若い頃では考えられないようなものが出てきました。そして、以前は、有線のコードとたくさん繋いでいたのが、無線でできるようになりました。今やWi-Fiは当たり前です。

 

しかし、それと同時にリスクに常にさらされる世界となりました。

 

 インターネットが出た時は、お金がかかりました(従量課金制度)。つまり、つなげばつなぐほどお金がかかっていたのです。そこで出てきたのが「ただ乗り」です。インンターネットを無料もしくは、安く使うための手法を悪い奴らがいろいろ考えたのです。

 

 それは固定料金性になって下火になりました。

 でも、Wi-Fiになって、この手法が別の形で再び現れたのです。他人の無線ネットワークに不正に接続し、自分の帯域をなるべく使用しません。そうすることで課金されたり遅くならないようにできます。Wi-F技術が進んでこの不正はあまり使われなくなりました。

 

 さて、悪い奴らは、どんどん悪いことを考えます。です。ゴルゴ13という漫画でエシュロンでしたっけアメリカの盗聴機関は、電波をキャッチして暗号をどんどん、そこの天才博士が解読して、ゴルゴ13というスナイパーを追い詰めます。でも、最後はゴルゴ13にアーマライトM16というライフル銃で目を撃ち抜かれ殺されてしまいます。でも、これも遠い昔です。今や、Wi-Fiは今やアクセスポイントを利用した盗聴が主流です。これは後述します。

 

 このように

ただ乗り

盗聴

とあるのですが、もうひとつ

 

バックドアというものがありま。アクセスポイントと併せて明日解説します。

 昨日も書きましたが、技術は向上しても、そこに安全性が担保されているかどうかは、私たちの年代ではわかりません。きっと解決されていないのでしょう。そして、新しい技術が開発されると、ブラックハッカーはすぐにその攻撃を始めます。普及を急ぐあまり、セキュリティの脅威を怠ったことで、事例は無線ネットワークをはじめ多々あります。問題は解決されているのではなく、むしろ積み重なっているのです。

  ガソリンスタンド業界に対する、通商産業省の最大の愚策です。愚策で済ませていいもだろうか!!! 戦略商品である石油にはいろいろな利権がからみます。その利権に通商産業省もきっと絡んでいたのですね。政治を利用します。

 

嫌いではありませんが浜幸(浜田光一)という衆議院議員など、千葉県一手に石油利権を持っていました。千葉県で工事用の油をうろうとしると浜幸の会社を通さないとだめなんです。当時は、まだまだ東京湾の工事需要がありました。それはそれは大した量の油使用量でした。ℓ2円でも抜こうものなら浜幸の莫大な利益となります。でも、選挙のとき、浜幸の事務所に行くとご馳走がたくさん。ちょうど営業担当の地区だったので、喜んで食べ行きました。これも油を売ったお金で買っただからいいよねとか思いながら。

 

なんて名前だったかな、北朝鮮に重油を売る団体。ああ、確かMEDOです。六カ国協議で北朝鮮に対する重油の供給量を決めます。日本のヤクザはそれを逆輸入します。A重油って98%が軽油なんです。軽油に残炭分を2〜3%ぐらい足すとA重油になります。だから、違法ですが、トラックは十分走るのです。経由には軽油税が32.1/ℓの軽油税がかかります。でも重油にはかかりません。重油ですから32.1/ℓの軽油税かかりません。日本のヤクザはを抜が入ってない軽油を運輸業者に売ります。経由税がかかっていないので、15円ぐらい重油の価格にプラスして。日本のヤクザと金正日は、その上前(例えば買い手に10円を乗せるとしたら、儲けは22.1円/ℓです。それをを山分けします。量が凄まじいですから巨額の利益になります(しらんけど)。今、北朝鮮には核があるからそんなことはやっていないと思います。

 

石原慎太郎がこの違法経由を都内から追い出したので、再び東京からも富士山が観えるようになりました。

 

閑話休題。マーク替え。例えば日石(現 エネオス)のガソリンスタンドが、一日で出光ガソリンスタンドに替わるというものです。昨日、述べた、スタンド枠で自分の系列でひとつスタンドを潰さないとひとつスタンド建設ができないので、元売りは積極的にマーク替えを推進しました。ガソリンスタンドには、マーク替え費用というものを元売りはその会社に渡しました。安くて10,000千円/スタンドです。ポータブルと言って地下タンクがなく、スタンドにのせているだけのスタンドでも枠の対象になるので、最低3,000千円で売れました。

 

 マークを変えられると、元売りの担当支店長の首が飛んだぐらいです。私も他社マークのガソリンスタンドよく訪問していました。自分の担当地区の他社系列のガソリンスタンドの所長は、名前も含めて、すべて知っていました。元売りからの請求書もよく見せてもらいました。「副販売店は、欠減補助(ガソリンは蒸発するのでその分の補助がでる)が、でないんだ」ということを知りました。なんてことを行った他社系のスタンドには教えてあげたりして結構可愛がってもらいました。

 

 マーク替えってどうやってやるのかって?

 

 金曜日の夕方に「(元売り)に。あなたの系列の◯◯スタンドのマークを替えます」と内容証明郵便を元売り支店に郵送するのです。昔の郵便は、配達が早かったので土曜日に着きますが、元売りは出光除いて、みんな週休二日でした。出光は土曜日は出勤なので。それを土曜日に受け取れます。なので、マーク替えを阻止できる可能性が高くなります。他社は月曜日までわからない。月曜日になったら別の系列のガソリンスタンドになっています。

 

 サインポールを切って、すぐさまそれぞれの元売りカラーに塗り替えます。残っている在庫などは、相手元売りに送ります。機械等を入れ替えます。油を替わる元売りのものに替えます。支店男性総出で金曜日の夜から日曜日までスタンドに張り付きます。徹夜です。

 

 もし、相手元売りバレた時は、そのお元売り担当者は「俺ごと切れ!」って、サインポールにしがみつきます。ヤクザが邪魔をしにきます。怖い怖い!

 

簡単に申し上げましたが、一度14ヶ所の丸善(現 コスモ)のガソリンスタンドを出光のガソリンスタンドに全部替えたことがありました。私も参加しました。目の前に他の会社の出光のガソリンスタンドがあります。そこを出光にすると、事前説明に行った担当者は一升瓶で頭を殴られ、抜き身の日本刀で切り付けられたようです。そう、その出光のガソリンスタンドは、その土地の親分のような人でした。私もよく可愛がってもらって海辺のガソリンスタンドなので、新鮮な魚をよくくれました。

 

通商産業省の愚策がこんなアホなことを現場で起こしてしまったのです。どこにマーケティングがあります? 生産枠で上流を絞り、価格で油種間格差をつくり、そしてマーク替えで、流通を阻害する。誰が考えても業界は発展しませんよね。

 

元売りの若者が育たなくなりました。入社三年目だった私は、石油業界ってこんなところかと思い失望しました。「何が『真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える』だ。でも、それは人のせいにはしてはいけなかったのです。白けてはいけないと自分に言い聞かせながら仕事をしていました。


そして、「石油業界唯一の真実 宇佐美史郎」にお会いした時でした三年目社員から10年近くがかかりました。宇佐美の親父さんは、マーク替えが盛んな時には、どんなご商売をしていらったのでしょう。

 

  全国の八幡神社の祖は、宇佐八幡宮です。神功皇后(本来は神功天皇)は、三韓征伐にでて、見事勝利を収めまた。朝鮮半島は、古代から我國の災いなんですね。どの戦も、他国に頼んで自分たちは戦いません。

 

 神功皇后は、帰国時に福岡県に到着しました。そこで應神天皇を生まれます。生まれた地が「宇美(うみ)」と言います。おしめを変えた地が、「志免(しめ)」と言います。今でも実際にその地名が福岡県糟屋町に残っています。そして宇佐神宮に祀られます。道教の天皇家乗っ取り事件の時に、和気清麻呂が行って「うけひ」をした地です。

 

関西には岩清水八幡宮があります。源義家が元服したところです。なので八幡太郎義家といいます。

 

 八幡宮は、戦いの神様なのです。出光佐三店主が、イランに日章丸二世号を派遣しました。列強の英国を恐れて、どの国もイランの石油を買いに行きませんそれに敢然と立ち向かったのが出光興産株式会社です。日章丸を派遣する時に佐三店主は悩みに悩みます。もし、従業員の命は大丈夫かと。それと、出光興産には当時タンカーが一隻しかありません。もし、イランを植民地支配して石油の領有権を主張しているイギリスの軍艦に拿捕されたら出光は石油を運べなくなり潰れてしまいます。佐三店主は岩清水八幡宮で弓矢を買い求めます。そして、言いました「準備は十分してきた。矢は放たれた」。


みごと石油製品をつんで、日章丸が川崎港に入港しました。あつまったメディアに佐三店主は言います。

 

我俯仰天地に愧ず(われふぎょうてんちにはぢず:なにもはずかしいことはしてな)

 

 明治の男たちの胆力は凄まじいですね。

 

 そして、鳴尾の氏神様は、鳴尾八幡神社です。かなり歴史のある神社なんですが、数年前までは誰ものこないような、神社でした。女性の神主さんがいい加減だったのです。それが知らないうちに素晴らしい神社に変わっています。神主さんが変わったのです。地域のボランティアも大活躍です。出店も出始めました。今まで、初詣といえば、西宮神社か広田神社に行っていたのですが、最近は、鳴尾八幡神社ですませています。おみくじもお札も売っています。お守りも。

 

 我が家から10分もかかりません。こういう変化を創造する方々って素敵ですね。

  このスモールM&Aの記事は、中小企業庁 M&支援機関の第三次ガイドラインに従って、弊社で加筆修正しながら書いています。今回は最終契約です。

 相手が初めての方とかの場合は違いますが、中小零細企業のスモールM&Aでは、基本合意書とか、最終契約書の時に、「まあ、なんかあったら言えばいいやろう」というなあなあのケースが多いのですが。この二つの時は、喧嘩になってもいいので、FAや仲介も入れてしっかいれて、相手としっかり話し合ってください。

 私の経験から言うと、知り合いとかとのM&Aだと、相手にもともと相手に甘えがあります。その甘えがベースにあって、何か、揉め事が派生すると、いざ始まると、その喧嘩がすごいレベルになってしまうのとが多々あります。親しき中にも礼儀ありをぜひやってください。

 最終合意で決めることは(株式譲渡、事業譲渡両方において)以下の通りでです。

 この項目は長くなるので、3回ぐらいに分けて書きます。


譲渡対象(何を譲渡するか)

譲渡時期(いつ譲渡対象を譲渡するか)

譲渡対価(代金をいくらにするか)

支払時期・方法(譲渡対価をいつどのような方法で支払うか)

経営者・役職員の処遇(経営者による引継ぎ期間や、従業員の雇用継続の努力

義務等を設けてあるか)

経営者保証の扱い(譲り受け側による譲り渡し側の経営者保証の解除又は引継

ぎに係る義務、解除又は引継ぎがなされなかった場合に、譲り渡し側の経営者

保証に基づく請求が発生した際等の契約解除や補償等)

表明保証条項(双方が取引を実行する能力を有していることの確認等を含め、い

かなる事項を保証することが求められているか)

補償条項(表明保証条項に違反した場合等に、いつまでの期間、どの程度の補

償が求められるか)

クロージングの前提条件(クロージングまでに何を行う必要があるか)

競業避止義務(譲渡後に競合する事業を行うことがどの程度禁止されているか)

契約の解除事由(どのような場合に契約を解除できるか) 等


なお、譲渡対価は、クロージングを迎えて初めて支払われることが通常であることをご理解ください。


 私は、この最終契約書をよくご説明した後に、1週間ぐらい機関をおいてクロージングに入ります。関係支援者も全て呼んで、当事者同士に調印していただいて、握手をして解散としています。このような儀式をした方が良いと考えているからです。















 昔、ガソリンスタンドには品転という決済操作がありました。売掛帳がPOSから出るようになるまでは、帳簿がかなり改竄されてその操作はわかりにくかったのですが、POSになって、改ざんが無理になりました。売掛帳や在庫帳に載ってくるからです。

 

 品転とは、例えば、宇佐美のようなトラックステーション型のスタンドは、トラックの運ちゃんが、スタンドに置いてある軍手や食べ物やはたまたかなり高額な機械などを買う時に、それをガソリンや軽油で伝票を切ってくれと(会社では落としにくいお金)頼んで、スタンド側がお得意様などには逆らいにくいので、やってしまうことです。

 

宇佐美では、ありませんでしたが、ひどい時には、油を納めに行った工事現場の人間がガソリンスタンドの人間に高級車を品転でよこせと要求することもありました。

 

宇佐美の親父は、こういうのが大嫌いで一切応じませんでした。すると、拒否されたお客は「もう、お前のところなんかで油を入れないからな」という捨て台詞とともに去っていきます。でも、宇佐美のスタンドにはネットワークがどんどんできますからその利便性で客はまたやってきます。するとこんなことが起きました。

 

 そのドライバーが偉くなった(例えば課長や部長)時に、宇佐美はずるいことをしない偉い会社だというのは、みんなに知れ渡り、自分の部下に「宇佐美で油をいれろ」と言ってくれるようになったのです。

 

宇佐美の商売が正しいかどうか一例を紹介しました。

 

こんな事件が宇佐美社内で起きました。宇佐美は売掛回収がとても厳しいのです。1円でも1日でも遅れたら大変。各地の専務さんたちに、ちーちゃんから電話がかかってきます。どなりごえで。「あんた、歳いくつね!!!。すぐに回収に行きなさい!!!」何度も何度も。ある専務さんのところに仕事で行った時に、専務さんがちーちゃんに怒鳴られていました。

 

そして、あるスタンドで・・・。ある所長が大切なお客様にどうしてもと頼まれる売掛金入金のサイトを伸ばす交渉を受けました。宇佐美では決められたサイトから一日でも伸ばすことは許されていません。

 

所長は悩んだ挙句、その延ばしたサイト分を自分のお金で立替ていました。それが本社にバレました。クレームを放置することと、売掛の回収遅れは、宇佐美では、どんな言い訳も通じません。


「なんだか、このお客の売掛の入金がおかしい」とその所長が呼び出されました。所長は社長の前でガタガタ震えて顔は真っ青です。そのお金は、所長に対し、会社が建て替えることで仕舞いがつきましたが、そのお客様との取引は停止です。(後述する税務調査では、社員が自腹を切ってそういうことをすることが信じられないと言っていました。すごい会社ですとも)。←税務署とんなコメントやねん。

 

こんな風に宇佐美以外のガソリンスタンドは、不正がたくさんあったのです。もう時効のものが多いので追々書きますね。当時は、タブーで人に言えませんでした。

 

そんなことですから、不正がないことやルールを守らないことがないことには自信を持っていた親父さんでした。

 

そんな宇佐美にあるとき税務調査が入りました。あれこれあれこれ若い調査官(税務調査は、だいたい入りたての職員の仕事)に指摘され親父は怒り心頭で頭から湯気がたっています。「俺には不正はない」と。

 

調査官が、「すません。申し訳ないのですが、何かお昼をとっていただけますか?なんでもいいので」と言います。

 

腹が立っていた親父さんは地域で一番のフランス料理の店(愛知県津島市は本当に食が豊かで良い店がたくさんあります)でフォークとナイフつきのフランス料理のフルコースを注文しました。三万円ぐらいする(爆笑)。それも親父さんお自腹で。そして、調査官にホラッと出します。

 

インド人もびっくり(こんなカレー会社のCMのセリフは、みなさん知らないですよね涙)では、ありませんが、「税務調査官もびっくり」です。もう、この話を聞いた時は、私は、腹を抱えて転げまくりました。しかも、親父の負担で食べしまうとそんな価格では贈賄になってしまいます。若いのでそんなお金も調査官はもっていなかったんでしょう。「なんでもいいとお前たちたいったんだろう?」と親父さんは言います。調査官は平身低頭ですが親父さんは受け取りません。みかねた、ちーちゃんが親父さんを取りなし調査官から後日払いで(お金の徴収は税務署に電話して明日にしました)領収書を渡していました。税務署に電話するちーちゃんもいい迷惑ですが、そこはちーちゃん。税務署にも顔がきく。なんせ、宇佐美は優良納税者ですから。税務署長の直接電話です。お互い爆笑で話していたそうです。「そうですか。親父さんらしいですね」と。

 

次の日から調査官はお昼を頼む時「カツ丼をお願いできませんか。価格も事前にお知らせいただいた時には、先に、こちらでお支払いしますから」というようになりました。その税務調査は、調査官にとって、針の筵だったと思います。思い出してもおかしくてわらいながら書いています。

 

「調査官さんたちよ。当たり前だ。相手を誰だと思っている。宇佐美史郎だぞ。器が違うよ。人を見てものをいえ!!!」(これは私の心の中)。あーーー面白かった。

 

宇佐美の親父さんは、こんな人が考えないようないたずらを平気でします。

  私の息子は、上級デジタルアーキビストです。博物館法の改正により、かなり博物館の自由度が高くなっているみたいです。政府はなかなな予算を出さないようですが、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡に國の我國では、古文書などが豊富に遺ます。

 

 それらの古文書等をアーカイブしていくわけですが、アーカイブとは書類整理ではありません。それらを関連づけたり、研究したりして、我國の歴史遺産を活性化させることです。ひいてはそれを今後の國家の球に役立てたい。

 

 私は、企業をコンサルティングするときには、必ず「歴史DD」をやってくださいと言います。例えば老舗の永い歴史の中で、おそらく、今苦しんでいることや喜んでいることなど、当に経験しているかもしれないです。そしてそれを乗り切ったり次に生かしたりしたことも。でも、今、なかなかできません。そこに価値を経営者が求めて田舎、それだけで手間取ることはすぐには決断できないでしょう。

 

 私の息子も、予算がなく、仲間もいない(現在若手を育成中)の中で四苦八苦していると思います。

 

 その時に、フル稼働しているのが。AIや生成AIだそうです。私のような素人でさえ、ある程度までは、イメージが湧きます。彼に言わせると、もう生成AIは古文書等のデジタルアーカイブには欠かせないものなだそうです。出ないと、古文書のような分析を人間の手でやり、そして、それぞれを関連づけるのは気の遠くなる作業が求められるからです。

 

 面白い世の中になってきましたねえ。私は、平成元年に出光興産株式会社の本社販売部に転勤になりました。そのとき、情報システム室から「宝徳、頼みがある。パソコン通信をやりたいので力を貸してくれ」と言われて富士通OASYSというワードの機械を机の上に置いて、電話のジャックを繋げました。その時、課長から言われました「そんなおもちゃは返してこい」と😆。隔世の感がありますね。ウィンドウズはまだなく、もちろん、インターネットなんてどこかよその世界のことかと思っていました。確か、富士通のエポカルクという表計算ソフトとエポワードというワードソフトを使っていました。社員の机の上に、パソコンのようなものはありません笑。まだ分煙がなかったので、灰皿だけは置いてありました(爆笑)。

 

 ウインドウズが出るのが1996年ですからその数年後です。インナーネットはクリントンが経済を活性化したかったので、米軍の軍事技術を公開しました。そして、シリコンバレがでて、いまやもう、政府のコントロールが効かない世界になってしまいました。

 

 便利な世の中になりました。もう、スマホやインターネットがないと生きていけなくなっています。一方で、技術は向上しても、そこに安全性が担保されているかどうかは、私たちの年代ではわかりません。きっと解決されていないのでしょう。そして、新しい技術が開発されると、ブラックハッカーはすぐにその攻撃を始めます。普及を急ぐあまり、セキュリティの脅威を怠ったことで、事例は無線ネットワークをはじめ多々あります。問題は解決されているのではなく、むしろ積み重なっているのです。

 

 私が、ホワイトハッカーの勉強を始めたのは、常にそのような脅威にさらされている中小零細企業や、これからどんどん独立していく若者を「じじいが微力」なりにも力添えしたいいからです。

 

 「ど素人のそんなジジイがそんなことできるか」と皆さんはおっしゃるかもしれません。でも「できるかどうかよりやるかどうか」が、今までのテーマに生きていくテーマdした。

 

 この先もそうやって生きていきます。この分野は、私にとって、かなりハードルが高いのは事実ですが。

  若い人は知っているのかな? オイルショックは第一次:昭和四十八年(1973年10月)第四次中東戦争)と第二次:昭和五十三年(1979年10月)OPEC(石油輸出国機構大幅値上げ)が起きました。メディアが「大変だ」と喚き、そうでもないのに、みんなスーパーに行ってトイレットペーパーを買い漁りました。私は十歳でしたが、「みんなバカだなあ」と思っていました。

 この時、石油資源を持たない我が国は、アラムコ格差というメジャーとの価格差を受けざると得なかったのです。民族系石油会社は、大変な思いをします(当時は、出光興産株式会社が民族系最大手でした。他社は、通産省が共同石油をつくるまで、すべて外資の資本を受け入れていました)。

 

 価格は跳ね上がります。その時に、通商産業省が何をやったか。


 ガソリン・灯油・軽油等を白油と言います。A重油・B重油・C重油を黒油と言います(軽油は黒油に入れることもあります)。産業の停滞を極度に考慮した通商産業省は、黒油の価格を大幅に引き下げ、その下げた分を白油に乗せました。これが有名な油種間格差です。ガソリンと軽油にはこれにガソリン税・軽油税が乗りますので、とんでもない油種間格差になります。これが後々、この格差をなくす時にとんでもない苦しみを石油業界に与えるのですが、通商産業省は知らないふりです。それどころか、石油業界がガソリンの利益がありすぎると司法に訴えられたとき、通商産業省は、「自分たち知らなかったことだ」としらを切りました。よく言いますよ。

 

 石油製品は連産品なので、ガソリンだけとか、重油だけとか取り出すことが不可能です。でも、元売り各社は白油、特にガソリンでしか儲けられないので、製油所装置の白油化を進めます。また、黒油の赤字を解消したいためにガソリンの増販を図ります(灯油は冬だけなので)。それに昨日申し上げた生産枠があります。販売量よりも生産量の方が多い元売りは大儲けです。逆もまた言えます。

 

 さらに通商産業省は、バカなことに激化するガソリンスタンド業界を守るためにスタンド枠を設定します。一つガソリンスタンドを潰さないと一つ建設をしてはだめだ、というものです。次には、同じ系列(出光興産なら出光興産のガソリンスタンド)で一つ潰さないと、新しいガソリンスタンドの建設は、できないという規制も作りました。官僚というのは、自分たちの仕事を楽にするために規制を作るのが好きですね。油種間格差で利益を縛られスタンド枠で一番儲かる油種を制限された元売りは、どんどんおかしな運営に迫られました。

 

 お金ふんだんに使ったイベント花盛りです。週末になるとどこかのガソリンスタンド、パンや卵などをお客様わたすので、主婦は大喜びです。

 

 そしてさらに、最も愚かな施策「マーク変え」をし始めました。マーケティングのマの字もない石油業界は、若い人が育たなくなりました。我國はまるで社会主義国家のようになりました。その時にまともな商売でネットワークを拡充させていったのが宇佐美の親父なんです。ぐだぐだの石油業界へ反旗を翻したのです。石油業界唯一の真実の登場です。つづく

  私が西宮に来たのは、平成十年です。名古屋支店で出光興産株式会社から転勤を命じられ大阪支店販売一課長として赴任しました。住んだのは今のマンションとは違う社宅でした。甲子園八番町です。甲子園筋の阪神甲子園から南に200mぐらいのところにありました。

 

 まだ、あまり都市開発はされておらず、今のららぽーとがあるところは、阪神パークでした。フラミンゴやカミツキガメがいましした転入手続きは、西宮市役所鳴尾支所でやります。

 

 この支所すごいんです。大典記念の碑があるんです。つまり、第日本帝国憲法発布記念です。


 それと鳴尾小学校は日本一古い歴史があるとか(知らんけど)。森繁久彌さんも卒業されています。一面がいちご畑だったそうですが今はその面影はありません。鳴尾町になったのが明治二十二年(1889年)です教育勅語が明治二十三年ですからそれより古い。いちご狩りが始まったのが大正八年(1919年)です。すごい歴史ですね。

 

 鳴尾や甲子園近辺にはとても住みみやすい。学校が近い。大きな病院がいくつかあるのでクリニックもたくさんあります。医療の質も高い。そして、買い物がとても便利です。つまり、住みやすさ三種の神器が揃っています。

 

 私の息子など、小学校・中学校は歩いて3分。高校は歩いて5分です。

 

 それと、上鳴尾墓地には、なんと、鳴尾村初代領主 佐々成政の十三供養塔があります。すげ〜。知らなかった。佐々成政は、秀吉に運命を翻弄されました。でも、決して暗愚な武将ではありません。

 

 明日観に行こうっと。ねっ、鳴尾って素敵でしょ?私は、鳴尾と甲子園しか知らないから。だって、西宮っ広いんだも。

 

 あっ、一つ訂正。この前、太平洋と日本海の両方があるのは兵庫県しかないと書いrたら、読者からクレーム。山口県もでした。修正してお詫びします。申し訳ございませんでした、

  宇佐美の親父さんは、古いものを捨てられません。出張先で拾い物をしてきます。古いものを手に入れたがります。

 

まず、古いものを捨てられない。旧宇佐美の本社前のスタンドに2階はまるでガソリンスタンド博物館です。創業からの計量器やらなんやらがたくさんしまってあります。もう処分したのかな。へー、これは初期の計量器から〜とか私はとても勉強になりました。一度しか入ったことはありません。なかなか連れて行ってくれません。

 

次に、出張先で拾い物をしてきます。特に、石を。東北に出張の行った時のことです。花巻空港で降りて青森まで、業者の車でスタンド用地を探しにいきました。河原に大きな石がありました。生半可な大きさではありません。それをトラックを雇って、自宅の2話まで運ばせるのです。何十万円もかかります。まあ、酒は飲まないし、博打もしないし、女遊びもしないからいいんですが。

 

最後に・・・。

 

ある時、また、支店に電話がありました。「宝徳、すぐ来い」。また野菜かなと思いましたが、その時は、野菜の植え付けや刈り取りの時期ではありません。いきました。「今度はなんですか?」「大変なんだハイオクが出たんだ」。「ハイオクが出た?」「バカ、ガソリンのハイオクではない。廃屋だ。槙の木とか良い気がいっぱいあるし、古い家だから古物なんかも残っているかもしれんぞ」「出て行く時に金目のものはもっていったでしょう」「なんでお前は、確かめもしないでそんなことを言う。とにかく今から調べに行くぞ」「って、勝手に入ったら怒られるでしょう」「・・・・・」

 

「まさか親父さん、その廃屋を買ったんでは???」「とにかく来い」「あっ、買ったな」まあ、いいけど。

 

「なんで私がそんなことで、こっちまで出て来なければいけないんですが」

「頼む。付き合ってくれ」

「(どうせ、社員の方々には頼めなかったんでしょう)」

 

と向こうを見てみると、社員の方々が何人も、遠くから私の方を見て手を合わせて拝んでいます。特に、ちーちゃんの部下が😆

 

 着きました。ボロボロの家です。出て行ってから数年が経っているみたいな。確かに、槙の木は、見事です。槙の木は、葉に水分が大量に含まれています。その歯も、とても言う良い具合に生い茂るので、隣家が火事の時に延焼を防ぎます。千葉県館山市に行くと、ほとんどの家屋が槙の木です。

 

 家の中に入りました。巻物とか、屏風とか、古文書らしき物とか、陶器とか・・・。

 

 親父さんは、それをかき集め、車に載せます。「宝徳、行くぞ!!」

 「どこにですか?」「本社に帰るのに決まっているだろう」

 

 宇佐美本社に帰りました。一番大きな会議室に「獲物」を入れます。親父さんは「なんでも鑑定団」に大変身。社員の方々もみにこられますが、すぐに会議室を出ていきます。とうとう会議室には、親父さんと私だけ。二人はこのオチのない展開をどう納めようかと必死です。

 

 えっ? この事件はそれでどうなったかって?二度とこの件に関しては誰も口にださなくなりました。

 

 それにしてもあの、大量のゴミ、いえ、獲物はどなったのだろう?あの廃屋は、どうなったのだろう?まあ、親父さんは可愛いからいいや。今回は、落ちを無理やり作ってる😀。親父さんにもこんなことがあるんです😆

 昨日、あまりにも前置きが長かった記事です。何が言いたかったか。勉強とは、勉強そのものの知識の習得をしようとしても無理があります。それに子供達を勉強嫌いにしている現在の学校と教師では、ますます勉強したくなくなるでしょう。要は興味を持たせ自分なりの「勉強方法」と身につけること、これがコツなんです。この記事は、それを説明するために出口から入り口へ向かって書いています。

 

大体、中学以上は、国公立学校なんていらない。適塾のように民間に任せればいい。教育事業は活性化するでしょう。そして、くだらない文部科学省を廃止し、今の、国公立学校を民間に売却すればいい。売れるかしら笑。文部科学省や国公立にかかっている予算の削減です。減税の財源にもなります。えっ、そんなことをできるのかって?ハーバードもMITもUCLAもみんな民間です。そして研究費を出すのも民間です。利権が欲しいだけの官公庁はやめた方がいい。


我國が、明治時代に数少ない失敗した事例は、支那の科挙をかたくなに否定していたことを、天皇家に反して導入したことです。まだ、武士が残っていた時代は良かったのですが、昭和の軍事が官僚化し、海軍のハンモックナンバーとかをつくり、敗戦に追い込みました。

 

そして、もっと日本に陸海空軍を民主主義に対抗できる高貴な存在にします。文部科学省などを廃止し給付型の奨学金を拡充し、前に向いて勉強をする人間だけに支給します。なんで、高校無償化とか言って、ズボンをずり下げたりおかしな格好をする高校生に私達の払った税金を与えなくてはならない。

 

おっと、また前置きが・・・。今日は、クラウドでしたね。クラウドには2種類あります。

Cloud」と「Crowd」です。ITを勉強し始めると言葉を覚えるのが大変です。それと同じ言葉なのに、普段使っている言葉と意味が違うとこれまた混乱します。 図解しますね。


ドロップボックス チャットワークなど。      クラウドファンディグなど。

 みんなに提供                   みんなから提供


 この2つが合体してAIができました。ネットワークの進化がAIを可能にしたのです。 

 

  

手くそな図🥲。では生成AIは? (つづく)

 生産調整の話でしたね。別名、生産割り当てです。

 

 アップストリームは儲かるので原油からガソリンや灯油等を作る製油所が雨後の筍のようにできました。本当に小さな製油所まで。過剰供給になるので、通商産業省(現 経済産業省)が規制に入りました。

 

 過剰供給でいいのです。経済成長を図りながら、少し多めの過剰供給の社会を作ると、国民は、稼いだお金で、通常より安い製品を買うことができます。すると需要も供給もより盛んになりさらに経済が発展します。それこそ格差も少なくなります。

 

 かつて日本の家電メーカー市場がそうでした。家電会社の数が多いので、競争が激しく、どうしても販売価格が安くなります。そこに1億総駐中流社会になった、民間消費経済が、三種の神器と言われる家電や車を求めて購買にはしります。「豊かで幸せ」です。家電メーカーの社員もやりがいを感じました。

 

需要が豊富に存在する我國 日本では、企業はあまり外に打って出るということはしなくてもすみました。

 

 そこで得た利益を海外に投資をしました。なので、我が国は、世界最大の債権国家となっています。官僚がいらんことをせんでも民に任せておいたら、民は自然と自らで再編していきます。今は、官僚の豊かと幸せです。ふざけるな。

 

 さて、生産枠石油業界に何が起こったか。

 

 例えば、我が出光興産は、シェアが15%ぐらいあるのに、生産枠は13%しか持ちません。逆にエクソンなどは、6%ぐらいしか販売シェアは持たないのに、生産枠は8%ぐらい持ちます。その2%を業者間転売玉(業転:ブラックマーケット)に流して出光は日本石油は、その高い市中玉を買うのです。小さな精油所会社もブラックマーケトに流します。

 

自らの製油所で精製した方が遥か安いのに。さらに余ったものは、余っている業転玉を卸業者などが買って、ガソリンスタンドの直接売りいきます。スタンドは買います。これを他社外と呼んでいました。元売りがガソリンスタンドに売る「卸価格(建値:たてね)よりはるかに安い。買わないまでもこの価格を示されて元売り担当者は、価格交渉をせざるを得なくなります。極端な話をすると、「いい仕事」ができなくなる機会費用が発生します。そうです、業界全体でコストアップします。まさに、数日前にこのブログでお伝えした「合成の誤謬」です。」

 

佐三店主が「石油業法は天下の悪法」と呼んだ理由がわかります。

 

さて、その生産枠に、オイルショックが拍車をかけ、そして、マーク替えという本当に情けない仕事が出てきます。では、次回はこの仁義なき戦いを。つづく

 

 繰り返します。政治とは、

 

国民を豊かで幸せにする導き

 

 今の政府・財務省・日銀は、

国民を貧乏で不幸せにする導き

 

です。なぜかわかりますか? 日本のあり方より、」自分ちのイデオロギー(利権と大衆迎合主義)でミクロ経済ばかりに目が入って、マクロ経済をほとんど知らないからです。まあ、最も戦中から戦後にかけてマクロ経済をしっていたのは、高橋是清、池田勇人、安倍晋三ぐらいです。昭和恐慌の時でも、バブル崩壊時でも、その対策の打ち方はいくらでもありました。宮沢喜一なんで平成の高橋是清などとメディアが持ち上げましたが、とんでもない。ただの東大文科Ⅰ類を鼻にかけるただのじいさんです。おっと、また前置きが長くなる。

 

※みのり:西宮市役所鳴尾支所の東隣にある、小さな小さな持ち帰り弁当の店です。今回紹介しているお店は、みんな撤退して欲しくないお店です。よくありますよね。ガーと店を解体しているところに出くわすと「あれ? ここ何があったっけ」て思うことが。今回紹介しているお店はみんなわかります。私だけではなく、鳴尾町の住民なら。

 みのりもそうです。ご年配のご婦人二人と若い方一人でやられています。この若い方たが注いでくれればいいのですが・・・。

 

 美味しいんです。安いんです。愛情がいっぱい。数ヶ月前少し値上げされましたが、ご飯おかず。おかずセット。いなり寿司(いなり寿司好きの私にはたまりまえん)。などなど、種類は少ないですが優しい優しい接遇と共に「ああ、来てよかった〜」と思う店です。私は、かみさんが出かけている時は必ずここで買います。

 

※おきらくや:鳴尾の隧道を駅方面から降って国号43号線を潜ったら東側にでます。2jほど歩くとあります。お好み焼き屋さんですが、鉄板焼きの種類もたくさん。お姉さんが一人でやっています。味は、なかなかです。ひとつまみしながら1杯やるのが楽しいです。時々お姉さんと会話しながら。

 

※不思議な居酒屋その1:鳴尾駅の北側に出て、う〜ん、案内できない笑笑。その名も「ごはん」。お昼しかやっていませんが、また、民家みたいなところですが味は抜群です。そして、温かい接遇も、いってらしてみてください。見つけた人には私から素敵なプレゼント。この店いいんですよね〜。

 

※不思議な居酒屋その2:それを言うならうちよ、と言われそう今度は鳴尾駅の北側に出て西に言ってください。ここも見つけられるかな。「ごはん処さわ」。先ほどの「ご飯」もそうですが、そもそも一人でできるメニューの量ではない。火曜日定休日です。「なんでもできますが、できないものはできません」がコンセプトなのかなあ。そうやって書いてある」

お酒もあるでよ。

※カレーその1:ナナイカフェ。鳴尾駅南口から降りて、あれ何線なのだろう。とにかく南東へ。そうだ!ヤクルトのすぐ南にあります。ベジタリアンのカレーです。小さな小さな店ですが、ママさんが自信を持って私たちにカレーを食べさせてくれます。

※カレーその2:淡路島カレー&Cafe ストロベリーフィールド

 何線って言うんだ。学文道筋?を北側に行って国道43号線越える歩道橋を西側から渡ってすぐのところにあります。ビルの中だからわかりにくいかな?淡路島の玉ねぎを使っています。私のかみさんがファンの店。私もこっそり行ったけど、うまいわ。まあ、鳴尾にまずい店を作ったら、高齢化の前に潰れます。やっぱり玉ねぎとうには淡路島が一番うまいね。

 

※アルバトロス:鳥の名前なのかお母さんがゴルフ好きなのか。一つ前の淡路島カラーと学文道筋を挟んでトイメンにあります。汚い喫茶店。でも料理は抜群です。ここもお母さんが一人でやっているのに、よくこれだけのメニューをこなせます。お昼時は結構いっぱい。11時半からだから早めに入ってね。

 

まだまだ私が知らないだけで、たくさんあります。また、気づいたら紹介しますね。ねっ、鳴尾は田舎だけど豊かでしょ?政府・財務省・日銀がこんな政策をしても。

 

 なぜ。個店のB級グルメを書くか。それは「民が豊かに幸せにやるか」住んでいる人が決めることで、政治家や官僚が自己満足を味わうことではありません。評価基準を変えたら?

 

 年寄りは、若者の邪魔をするのではなく、若者が生きやすい世の中作りにをサポートしていくことです。

出光興産株式会社最大の取引先(それも卸売ではなく小売で)、宇佐美との取引は結構揉め事もあります。親父さんは、揉めるのは好きではないので・あまりませんが、一度怒るとすごいのです。私は、厳しく教育されたことは多々ありますが、怒られたことはあったかなあ。

 

 T課長(女史)とはよくやり合いました。この人宇佐美の4,000億円の資金を一手に回しています。だから銀行の扱いがすごいのです。東京ドームのVIP席なんかもらうんです。

 親父さんは実印まで預けています。「もし、社員が裏切ったらそれはそれで俺の責任だ。信頼してなかったし、それなりの処遇をお願いしていなかったからだ」。と。よくできますよね。私は、最初、T女史は、親父の女かと思ってました。それとなく親父さんにいうと、「いくらお前でも許さんぞ」と言われました。だって・・・・・

 

 T女史は、親父さんの仕事に惚れて結婚もしなかったんですもの。親父さんは、娘さんが専務を養子に娶るまでは、彼女がいたらしいのですが、その後は、一切女の影はなかったそうです(知らんけど)。

 

 また、ある時、スタンド用地の買収折衝にT女史がいきました。相手との折衝の中で、相手がカマをかけて裏金を取ろうとしました。T課長(面倒だから愛称のちーちゃんでいきます)が、「はい?、お金?1,000万円、1,500万円?どっち」と言ったら相手はびっくり。本当に出したかどうかは知りませんが。その迫力たるやすごいのです。ちーちゃんがヘソを曲げたら社内外問わず、金が一銭も出ません。各地の宇佐美の専務さんたちもちーちゃんには優しかった。あの恐ろしい連中が笑笑。

 

 あと、ちーちゃんは経理課長なんですが、肩書きは「課長」です。親父さんに「なんでですか?」と聞いたら。そういえば営業部長も「部長」なんです。「名前をつけたらその仕事しかしなくなるだろう」とそれだけ。

 

でも、優しいんです。親父さんと出張に一緒に行く時なんか、ちーちゃんは、私に「はい」と言って毎回五万円くれるのです。「これは、もらえないって、ちゃんと会社から日当とか出るから」。「いいのいいの。親父さん一人で行かせるよりあんたがいてくれたらどれだけ安心できるか。いつもありがとう。なんかあった時は使ってね。そのために渡すお金だから。親父さんはさあ、財布を持たないんだよ。でも、もっている時は裸のボケットに百万円ぐらいあるけど、持ってない時は0円なんだよ笑」と言ってくれます。

 

出張から帰って、その五万円を返そうとすると、「なんの話?そんなの渡したっけ?」と言います。さすがですね〜。

 

もめる時もそうです。「ものすごい迫力」でもめるのですが、18時になったら、「はい、終わり。ご飯行こう。親父さんと言ったらジョナサン(この頃は不味かった)だから、私と行こう」。と、デートに誘ってくれます。友人の美熟女も誘ってくれて笑笑。

 

 ちーちゃんと行くとうなぎとか焼肉とか美味しいものばかり。それも抜群に。

 

 ある時、親父さんが、「宝徳な、近くに京都料理の店ができたらしいんだ。一緒に行かんか」。親父さんと京都料理でデートです爆笑。

 

「えっ、ジョナサンではなくて」と言ったら。

 

「なんのことだ?」と言われました。自覚がないのかも。

 

その京都料理で、鯛の兜煮を親父さんも注文しました。「わーい」と思っていたら。突然、親父さんがまたまた。

 

「宝徳、これは、鯛の兜煮ではない!!!」と言い始めました。

 

「でも、美味しいですよ」

「鯛の兜煮は、もっと濃いだしがチュンと鯛に味が染み込んでいるはずなんだ!店長呼んでこい!」

 

 また始まります笑。この頃の私は、親父免疫療法でだいぶ抗体がついています。店長を呼ばずに済ませました。

 

私「(これは京都料理やん)」 親父さんこの味を楽しみましょう」

 

というと、「おー。でも、俺は本物の鯛の兜煮がたべたい」

 

私は心の中で「これ「も」本物の鯛の兜煮やんか」と思いました。でも、親父さんと食べた京都料理はおいしかった。

 

次の日、ちーちゃんが、「昨日、何食べた?」と聞いたので、「◯◯の京都料理」と言ったら、ちーちゃんは知っていました。親父さんより早く。 

 もめることが怖かったり嫌だったりしない会社っていいですね。やっぱりヒューマンシップで大切だ。

 ITはど素人の私が偉そうに書いています。このブログ記事は、とてもしんどいです笑笑。でも、こういう風に勉強しないと、「勉強方法」が見つからないのです。

 

 試験勉強などは、どうしてもインプットという「入口」が主体になります。それはとても大切なことなのですが、素人にはそれだけではかなりきつい。

 

 私の出身高校(福岡県立福岡高等学校)は、進学校なのですが、ガリ勉を否定します。かなり自由に本人の責任で生徒に自主的に勉強させます。先生は、進路の話は聞きますが、何人かは「東京大学理科Ⅲ類」でいいとですか?と平気で聞きます

 

 担任は大笑いしながら、「なんばいいよっとか!!! お前の成績でどげんしたらそんなところに合格するとか。 馬鹿な考えは捨てて他のところにしやい」。


 生徒は「高校の成績で自分の生きたかところを考えないかんとですか? 未来はかわるっちゃろうもん」というやりとりが平気で起きます。馬鹿ですよね。

 

 受験対策用の授業はなかったような。予備校に行く人間は当時はほとんど皆無です。「なして塾に行かないけんとや。そげんやったら高校に来る意味がなかろうが」と。今は、知らんけど(大阪弁)。高校の横に現役の教師が、アルバイトで講師をする予備校のようなものが食堂の2階にありました(今は知らんけど笑)。みんなそこで浪人していました。ばってん、先生が「受験のために高校三年間を過ごすのはやめやい。三年間高校生活を楽しんでくさ、一年間で必死に頑張ったらお前らの頭やったらどっかに入れようや」と言っているんです。だから受験勉強を始めるのは三年の10月からでした(今は知らんけど)。福岡高校生が命をかける体育祭が9月下旬にあるからです(今は知らんけど)。

 

 私は、おそらく東京や大阪で受験期を過ごしたら、大学に行けてなかったかも知れません。

 

その代わり授業が楽しい

 

化学(それも有機化学)の先生「はい、それとそれをフラスコに入れて〜。はい、舐めてみて〜。死ぬけん」と言います。でも、この方は、教科書はつあらん(つまらん)といってご自身で手製の教科書を作成していました。200ページぐらいの。今でも持っています。ありがたくて捨てられません。お名前は小林先生でした。私の一番好きな授業。

 

英語:二人先生がいて、一人は、熱心に教えてくださいましたが、受験指導は、全くしませんでした。他の教科もそうですが、全体的に私たちの成績が落ちると教師総揃いで体育館に集められて30分ぐらい「もっとがんばりやい」というだけで、はい解散、です。


もう一人の英語の先生、英語なんか習ったことがない。いつも、話が脱線して、その話がとても面白い。特にこの先生に受験というのは期待していませんでした


あっ、もう一人いましたテニス部顧問です。何を話しているか皆目見当がつきません。でも、この人のお嬢さんが、テニスの全国大会選手なんです!超絶美人なんです。私なんか歯牙にもかけてもらえてないかなあ、と思っていたら、一回も話したことがないに声をかけてもたったのです!!!


同じ福岡県東公園です。じの東公園のコートで試合をしていてその途中に話しかけてくれたのです!!!!。「ねえ、どうだったの?試合は?」と声をかけられたのです!!!!!!!!


天にも昇る気もでした。「優勝しました」と答えると、「わあああああーおめでとう!!」と言ってもらえました。女性のことを何もしらない私の初恋です笑笑。私は朴念仁です。無茶苦茶うれしかったのですが、それに応えることが・・・。ただのバカです。


閑話休題。

 

地学:旅行の話ばかりします。でも、その場所その場所のことがわかって(歴史も含めて)、なぜこんな建物があるかなんかもわかって、とても楽しかった。私の大学生時代の一人旅好きは、この先生のおかげです。

 

歴史:この人も裏話ばかり。これがまた面白い。「マホメットはくさ、イスラム教を作る時に二十六歳年上の金持ちの女の人ばたらし込んでくさ、その人の金で布教したとばい。


 とか、なして大航海時代が始まったか知っとるや。オスマントルコがでけたけん、アジアからスパイスが欧州に入って来んくなったったい。そやけん、それを取るためったい」。本当かどうかネットがない当時は、調べる術もありません。

 

 こんなの枚挙に暇がないのですが、勉強に興味を持たせる人間性豊かな先生たちが活躍していました(今は、知らんけど)。

 

 何を言いたいか。「勉強に興味持てば、その人間は、育成した豊かな人間性で、自らの『勉強方法』を見つける」ということを高校で生んだのでした。「自分で考え、自分で決めて、自分で責任を取る」という考え方も。

 

 えーい、私のブログは、前置きがながすぎる。これも高校時代に学んだことったい笑。

 

 明日は、前置きはなしにして、今日のテーマのクラウドを書きますね🥲。すみません。

  今日は、「基本合意」です。N&A前半特に「スモールN&A」では一番重要となります。決定ではないものの「大体の方向性、スケジュール、価格(まだ正規決定ではない)、守秘義務契約、FAや仲介(昨日説明)などなど、大枠の事項を「こうやって決めていこうね」を合意します。まだ、バリュエーション(企業・事業の価値評価)やDD(デューデリジェンス:事業・財務・法務・不動産等の精査)が終わっていないケースが多いので「こうやって決めていって、そのスケジュールはこうしましょう」と合意するのが基本合意です。

 

 私の関わった案件で、こういう事例がありました。

 

 「基本合意」で「◯千万円」と書いたのですが、そこから譲渡し物件にある不備が見られ、一時は、MAが不成立となるかという事態に陥りました。譲渡し側はある事情でとうしても売りたい。譲り受け側は、事業時代のキャッシュフローの高さからどうしても書いたいという気持ちが強かったので、価格交渉の前に何か打開策がないか話し合いました。結果としては、譲り受け側が講じた対策で、なんとか合意にいたり、当初の6割の価格で決定しました。

 

 もし、この事実を譲渡し側が隠していたりしたら、最終契約のときにとんでもないことになったでしょう。

 

 なので、バリュエーションやDDは、絶対に必要です。何千万円の取引をするのにこれらの費用を惜しむのは得策とはいえません。

 

 本当に小さな企業のM&Aなら、FAや仲介とよく相談してください。規模が小さければ簡易DDも検討できるでしょう。

 たこ焼き屋の話の前に、為政者とは、民を豊かに幸せにすることと申し上げました。

 

 西宮市は、それに近いと思います。みんな幸せそうに生きています。

 

 問題は、国政です。いくら地域で尽力しても民間経済を豊かにしないとその地域の尽力は、ほぼ無駄になります。私たちの若い頃は、経済を成長させていた(経済は勝手に成長しない)ので、三公七民でした。つまり、国が吸い上げる金は3割で、民間に任せるのが7割です。なので、民間消費経済がGDP6割以上ありました。今は、六公四民なりつつあります。

 みんなん消費経済は、5割に近づきつつあります。

 

 繰り返し申し上げますが、かつて日本は、世界一高い物価でした。でも、経済が伸びているので、おの物価高が気にならなかったのです。だって500万円稼いだら3割負担として350万円使えるのと500万円稼いだら250万円しか使えないのとでは、違いますよね。かつては、女子でも(変な意味ではないですよ)少し働けば、500万円ぐらいはゆうにに稼いでいました。経済が伸びていたからです。それを実現したのが池田勇人総理大臣です。おそらく敗戦後最も優れ田総理大臣でしょう。彼がいなかったら、日本は共産主義のようになっていたでしょう。今は、そうなっています。

 

 経済が伸びてもメディアは重箱の隅つつきます。何も考える力がない野党はそうだそうだと騒いでいました。格差が広がると。経済成長とは、底上げです。これまで所得が低いった人が上がるのです。底上げするのです。1人あたりGDP世界第三位でした。上位はルクセンブルグと(後、どこだっけ)とかの2位は、小さな国です。大きな国では日本しかない「1億総中流社会」という資本主義にとっては夢のような国をつくりました。今では、韓国の後塵もはいしています。

 

 昨日の読売新聞に、アホな財務官僚が「国の経済は破綻寸前である」と言っていました。「お前らが使いまくっている『政府の経済』の間違いだろう」「お前らの金の使い方が悪いからだろう」「吸い上げて分配するな」「民間のことは民間に任せろ」「あんなに申請が複雑化している補助金なんか、誰も使わなくなる。なら一律減税をしろ」

 

 日本の官僚は、かつてとても優秀でした(官僚特有の癖はありましたが)。俺たちが日本を背負っているという自負もありました。今は、利権だらけです。官僚はかなり頭が悪くなっています。もう、東大生も国家公務員なりたくない時代となりました。なってもすぐに辞めてしまいます。その馬鹿な官僚の言うことに経団連とか経済団体同友会の「新浪(という漢字でしたっけ?)が同調します。リーダーが育たない国になりました。

 

 これでは、地元でどんなに美味しい料理が開発されても、それを買う資金が民間にないので、デフレ経済ではどうして価格を安く抑えます。すると従業員の給料が減ります。政府は自分たちに原因があるのに「給料をあげろといいます」。これが共産主義唯一の世の中を衰退させ戦争の原因になる価値観

「労働価値説」です。

 共産主義で崩壊しなかった国はありません。

 

 ここまできて閑話休題です。すみません。長くなりましたので、美味しい鳴尾の店は明日紹介します。

 

※美味しいカレー二件

※アロバトロスというおばちゃんがやっているお店

※お好み焼きの店(名前を失念しましたので今日見てきます)

※隠れた秘密の店(なんか不思議な店)

※鳴尾駅北側の店(これも隠れた名店)

 

 これは私の出光興産株式会社時代の伝記ではありません。今の世の中でも、十分考えなければならないことです。

 私たち大人が、そして、政治や官僚が、自分たちの都合だけで、為政をしては行けないことを伝えています。


 昭和三十八年(1943年)十一月に石油業法が施行されました。石油は、ダウンストリーム(小売)よりアップストリームが儲かるんです。一番儲かるのは、国際石本(メジャー)です。ですから、欧米各社は血眼になって、油田を開発しました。

 油田開発とまでは行きませんが、消費地精製主義(他国から石油を買ってきて日本で石油製品にする)の日本は、それでも、小売するより、精製をしたがります。なので、昭和30年代に、製油所(油作る工場)が、小さなもの含めて、たくさんできました。当時通産省は、数が多くなりすぎたので、規制かけようとします。それが石油業法です。自然淘汰に任せて非採算のところは潰れればよかったのに、

生産割当て

というとんでもない規制を作ったのです。今でも、官僚は規制を三つ/日ぐらい作ります。

 トランプは、前政権のときに、「1プラス2ルール」というのを作りました。1つ規制作ったら2つ規制を廃止しろ、というものです。みんなトランプのことを酷く言いますが、彼はやることはやっています。メディアも絶賛する狂人大統領「ウッドロー・ウィルソン」「フランクリン・ルーズベルト」の作った世界を壊すスキームを元に戻そうとしているのがトランプです。ちなみに、アメリカ大統領でまともな人はあまりいないのですが、もう一人挙げて三大アホ大統領をつくるなら「ビル・クリント」です。彼は、第三次世界大戦を起こす寸前まで行きました。日本のメディアは、報道しませんが、これを止めたのは日本の高村さんです。

 それなのに、クリントンは、嘘八百訴訟を起こしまくって多数の日本企業から賠償請求を召し上げました。自分もおこぼれに預かるために。

 閑話休題。石油業法の話です。佐三店主は「これは天下悪法だ」と言って、石油連盟脱退したのです。

 さあ、この生産割当ての歪みがどうでだでしょうか(つづく)。




消費者本位
 私は、担当者としての宇佐美の仕事は(実務的には)あまりしていません。本社と組んで宇佐美に当たっていたこともありますが、ものすごい経営再建の販売店を2店抱えていました。本来なら、宇佐美の担当というの、宇佐美だけの担当になるのですが、前の担当課長が、その2店に対して、「今度来る宝徳というのをつけるから」と約束したそうです。それと課の次席としてのまとめ役があります。出光では、権限が現場にかかなり委譲されます。現業にプラスして、ステップアップいしていくと1つか2つ上位の仕事も出てきます。現に私が名古屋支店から大阪支店に新任課長として赴任した時、大阪支店販売一課長の私には、約一億円ぐらいの決済は自分でやっていました。上の人?ちゃんと仕事をすれば何も言いません。これが出光の良さなんですが、仕事は(本気でやろうとすれば)どんどんキツくなります。偉そうに言っているんではなく。これが佐三店主がおっしゃっている「一人一人が経営者たれ」かもしれません。

 宇佐美の親父さんや、専務、部長、T経理課長やSS所長の人にはいつも「 申し訳ないなあ」と思っていました。

 大阪支店に転勤が決まった時、もちろん、宇佐美にもあいさつに行きました。親父さんとは、何時間話したかわからないくらい、いろいろな思い出話をしました。すごいのですが、一緒に行った出張のことを親父さんはちゃんと細かく覚えているんです。嬉しくて涙がでそうです。

 その時、親父さんが言いました「宝徳、お前、◯◯さんの会社をよく立て直したな。出光の担当者が本気を出せば、販売店は立ち直るな」と。

 私はこの会社のことを親父さんに言ったことはありません。「(なんで知っていらっしゃるのだろう)」と思いました。

 「いや、本当にすごいぞ。よくやった」と。もうこの時には、私は、涙で顔がくしゃくしゃです。

 「親父さん、たくさん、ご指導をありがとうございます。2年という短い時間でしたが、私のこれまで全ての人生よりも、生きていることが充実していました。それどころか、コレからの人生の糧にもなりました」。

 「別にこれから別れになるわけじゃない。これからもよろしくな」

「こちらこそよろしくお願いします」

 現に親父さんは、大阪支店に行ってからも、出光興産を退職した後も、しょっちゅう電話をくださいました。

 親父さんが癌になられた時も、電話をくださいました。「宝徳、俺の命があるうちに一度会いにきてくれ」

親父さんが言いました。でも、私は行けなかったのです。一生悔いが残ります。なんであのとき・・・

 葬儀に向かう途中、車を運転しながら、声を出してわんわん泣きました。途中で警察に車を止められました。「どうされましたか?」「今、大好きな方が亡くなって、命あるうちに会いに来いと言われていたのに行けなかったんです。今、葬儀に向かっているんです」

「そういうご事情でしたか。実は、スピードが出過ぎていてどうされたのかなと思っていました。今回は、違反にしませんので気をつけていらしてください。別の県までは無理ですが、◯◯県のうちはパトカーが先導します。」

 親父にまた助けてもらいました。ダメな担当者ですね・・・。

 宇佐美史郎 平成十七年(2005年)七月二十日 巨星落つ。享年 七十六歳。早すぎるよ。また天国に行ったらたくさん、怒ってね。

 宇佐美の親父さん話はまだまだ続きますが、なんだか思い出して。

 この西宮市って、広いんですよね〜。兵庫県自体がすごい。私の記憶では、日本海太平洋の両方に面している件は兵庫県しかありません。西宮市も広さでいうと、一概に自分の住んでいる地域だけではありません。TVで天気予報を聞く時に、兵庫県とか、西宮市とかの地名を出されもさっぱりわかりません。


 それと私たちの住んでいる鳴尾は、以前、武庫郡と言っていました。どうも、天皇家の武器庫があったみたいです。古事記でも「国の始まり淡路島」とあるように、この兵庫県海は、国防上重要な地域だったみたいです。なので、寒冷期になって神々が東北地方にあった日髙見の国からだんだん南下してくる時に
「国産み」と「国づくり」を始めました。淡路島がいかに国防上重要かをは把握していた古代の人々は、「最初の国産み(つまり、国防上の対策」をイザナギとイザナミに命じました。今のに本よりよほど優秀ですね。それにしても、こんな昔から支那は、我が国のとってやかいだったのですね。

 西宮市と尼崎市の間に武庫川が流れています。私の後輩の西宮市出身の男性は「宝徳さんもし、武庫川がなかったら、西宮市は、絶対に尼崎の人間に蹂躙されていました」と言います。わかるわかる笑。

 閑話休題。B級グルメでしたね。今日は、たこ焼きで。
 
 前はたくさんあったんです。私が一番好きだったのが「たこみつ」というたこ焼き屋さんです。うちから、出て行ったらすぐのところにあります。息子も行ったことがあるそうです。元気の良いお母さんがいて、いつ気持ち良いネギマヨを頂いていました。でも、物価高騰で二十年の歴史に幕を閉じました。久しぶりに「たこみつ」に行くか〜と思った日がちょうど閉店の日。なんと超満員。お花もたくさん。みんな涙を流して食べていました。もう少し早く相談してくれればいくらでも手があったのに。
  この店で、陸自超エリートである陸上自衛隊習志野一空挺団の隊員3人と知り合いました。今では、もう空挺レンジャーか特殊戦闘群になっているのかもしれません。ここまでくると、自分の所属さえ家族にも言えない特殊部隊になります。秘密の任務を何度も完遂している日本が世界に誇る部隊です。涙なしには語れません。この店がなくなって、すっかり私はたこ焼き難民です。

 鳴尾駅の近くにもたこ焼き屋はあるのですが、なんか美味しくない。ララボートにも千ぼうがあるのですが、柔らかすぎる。ひとつだけ、臨港線沿いのローソンの近くにある「たこ一」たこ焼きやが今、鳴尾で一番美味しいでしょう。昔ながらのたこ焼き。昔、銭湯の横の屋台で売っていたのと同じ。少し、家から離れて食べるのですが、美味しい。私が心臓病の手術から退院した時に一番先に行った店です。

 パン屋とラーメン屋の倒産が相次いでいます。小麦粉をとりまく環境は厳しい。
  IT人材の育成といっても、社員の皆さんは、業務に邁進されていますので、なかなかその勉強の時間を取ることは難しいでしょう。それに、経営者や経営幹部にITリレラシーンの向上を求められても、その目的・価値・とったらどうなるか・給料や上がるのかなどなど、といったなかで「不満が先」に出てくるでしょう。特に、最近の働きから改革ならず「働かない改革」が横行してしまったのでは、それはきついでしょうね。本当は「働きがい改革」で、将来のモチベーションを作ってやらなければなかったのに、政府いらんことをしてくれます。もう一度、「はた(まわり)」を「楽にする」本来の我が国に戻ればいいですね。今のj日本はまるで、共産主義・社会主義のようです。


 まずは、昨日までの神戸の隈病院のように、最初から社員に努力を求めるのではなう、トップ強烈なリーダーシップを中心に、無理やり「どうだ。こうやった方が現場にもいいだろう」という成果を見せるしかないでしょう。

 入口として、そのために良い選択肢があります。IPAが行う情報処理 技術者試験のひとつである「情報 セキュリティマネジメント試験(以 下、SG)」です。Gは情報システム利用部門のセ キュリティ対策に特化した国家試 験で、組織の情報セキュリティ確 保に貢献し、脅威から継続的に組 織を守るための基本的な知識とス キルを認定するものです。試験応 募者の9割が社会人で、その勤務 


 先は金融・保険、製造、サービス、医療等といった非IT企業が半数以上だそうです。

 私は今、「応用上処理技術者」といった、情報処理技術のどちらかというと、「入口」に位置している資格試験を勉強中ですが、このSGも同時に受けます。

 七十歳まで間に合わないし。同時、コレまでのコンサル経験をまとめて、いろいろな業界事情にも対応できるようになります。

 すごいプレッシャー😆

  今日は、マッチングです。

 今では、中小零細企業向けにM&A専門会社とは違った意味でんのマプラット不フォーマーいくつかあります。私は、「BATONS バトンズ」というプラットフォーマー会員をしています。


https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

これがバトンズの私のUTLです。ゼビ、ご覧下さい。
 

 以前は、マッチングといってもかなりハードルが高かったのです。売りたい中小企業が多いのですが、それが本当に勝ってもいいのかどうか大手がわかりません。また、それら中小企業が買うにあたうするかどうかとしても、M&A,の場合、費用を抑えたいのでDD(デューデリジェンス:事業・財務・法務・不動産等の企業の精査がかなり不十分なので、判断がつきにくいことがあります。実際に不十分なDDでは、買った後に「しまった」と思うことが買い手には多いのです。

  M&AのアドバイザーであるFA(買い手か売り手のどちらかのアドバイザー)や仲介(売り手書いての両方にアドバイスをする)にもDDノウハウがないケースがほとんどです(DDに技術にははかなりの訓練がj必要)。

 ケースにうよっては、何百万円、何千万円、何億円と言ったケースも考えられる中で、DDの数十万円をケチる必要はないと私は思います。
 
 実際にプラっt〜フォーマーでも、DDあっんせんはしていますが、かなり安価で、「価格で使いやすいだけの状態」となっています。これでは、どれだけよいセカンドオピニオンをしてもらったとしても良いマッチングは起きません。

 このマッチングばまだ、売りも買いもまだ選定されていないケースがほとんどですが、特に買い手の方は、売り手のDDはしっかりとやっていただくことをお勧めします。

 マッチングって「お見合い」です。デートも重ねないで、お使いすることはないです。
 ドラコンって、わかりますか? 

 ドライブウェイコンテストの略です。スタンドのドライブウェイでやる社員のパフォーマンスを披露するコンストです。宇佐美は、普段はケチだったんですけど、こう言うときは、豪華な景品を出す。

 支店でよく開かれるのですが、あまりにもパフォーマンスが過度で、支店でも ドライブウェイコンテストを今後続けるかどうかが意見は拮抗です。でも、いいじゃん、私は結構好きです。大いなるマンネリっていいですよね。

 宇佐美でも、時々、(当時の)下の駐車場でそのコンテストをやります。

 もちろん私も見に行きます(私自身は大阪支店のドラコンには参加していた)。

 当日宇佐美本社に行くと


「宝徳、あんなものはなあ、ただのコンテストだ。実際には役に立たん。やることが大袈裟なんだ」

と、言っていました。

「ふ〜ん」というと、

「何が、ふ〜んだ! お前は俺を嘘つきだと思っているのか」

「今まで親父さんを嘘つきだと思ったことはないですよ。鬱陶しいと思ったことはたくさんあるけれど笑笑」

というと「馬鹿にするな!!!」と怒ります。

その時、何をしているか、知っていますか?カメラを大切そうに磨いているのです。

「なんですかそれ笑笑」というと

「せっかくみんなが頑張っているからな。写真ぐらいはとってやらんと」

「へ〜、親父さん、写真が撮れるの?」

「馬鹿にするな」と、普段なら激昂する話をニコニコしながら聞いています。

「早く、撮りにいってあげてください」

「お前も、来るんだ」

「なんで?」

「現像は誰がするんだ!!!」

「社員に頼みなよ」

また同じことを言う。それがわかっていて聞く私もずるいですよね笑

「社員が誰も言ってくれないからお前に頼むだ」

もう、どうでもいいや笑。

「親父さん、行こう」

「おー」

ドラコンの写真を撮りたいんではなくて、必死に頑張っている社員が可愛いんです。

 もうこの頃になると、少しだけ冗談混じりに親父さんをからかえる宝徳君でした。

これも、かみさんに話すと、馬鹿ウケ。

親父さんは私が仕事に出ている土曜日か日曜日に、出光興産株式会社をやめてからもお電話をくださいました。

「宝徳さん、はご在宅ですか?」と。
「宇佐美さんですか? 主人は今、仕事て出ています」

「そうですか〜。そうですか〜。宝徳さんも土日に仕事をしているのですか〜』

「(何を言っているの親父さんあなたと二人きりで話したいときは、土日祝日か、年始か盆休みだったやん)」と思いながらかみさんの話を聞くと。

「今日も独特の声で『宇佐美です』から電話があったよ。あなたの恋人から(受け過ぎの大爆笑)」

もっと若い女性がいいなあ(苦笑)。大好きだなあ、親父さん。素晴らしい方にはたくさん会ったけど、こんな人には初めて会った。

 市政でも県政でも国政でも、そればかり各業界団体でも、企業でも、省庁でも、その経営にあたるものの目的は、

 

民を豊かで幸せするための導き

 

です。

 

 戦国時代の寺は。博多の寺、滋賀県琵琶湖周辺の寺、奈良の寺、石山本願寺、比叡山等は、設けた金で地域の中央銀行としてその地域を牛耳っていました。では、なぜ、信長はそれらを攻めたのか。 

 

 戦国武将で「天下統一」の考えを持っていたのは、信長だけでした。他の戦国武将は、天下を統一するなど、その考えも持ちませんでした。なので、他の地域で誰が何をしようと放っておいたのです。

 

 信長だけ(あまり戦はじょうずではなかったが)は「天下布武」を掲げましたから、その寺の存在が障害になります。また、放っておくと諸外国に攻められてしまます。日本の国を強くするためには当たり前の経済原則である「人・物・金・情報」の国の経営資源のサイクルを「大きく太く早く回す必要があったのです。なので、全体最適ではなく部分最適である寺は、かえって庶民を苦しめることをしているのです。数日前にこのブログに書いた「合成の誤謬」ですね。

 

天下統一に向かっている信長には、他の武将はそうみえました。まさに、

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや

(燕や雀のような小さな鳥はワシのような大きな鳥の気持ちなどわからない)

です。

 

 信長のコンセプチュアルスキルに気づいた秀吉と家康は、天下を統一しました。

 

 閑話休題。

 

 繰り返し申し上げます。兵庫県って、県民の誰かを幸せにしていますか?政治は政治家の都合、行政は官僚の都合、企業は経営者の都合などなど。

 

もう一度言います。支那人は理想論だけ語っていますが、なかなか含蓄があります。

 

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや


 おっと店の紹介だった。明日ね。

出光興産株式会社に入社市、福島県郡山市の 郡出張所に赴任しました。小さな小さなガソリンスタンドの2階が、事務所です。ガソリンスタンドは出光興産株式会社の直営です。

 

この本来なら販売店の手本になる直営なのに、それはそれは酷いものでした。私たちをのぞいて全部で5人いました。少ない販売量だったのに、今では考えられないぐらい大人数です。やはり資本財の発達ってすごいですね。

 

古代から、人類は、労働生産性を資本生産性に置き換え、労働力を別の産業に置き換えることやってきました。それが人材の流動化です。今の人を辞めさせてはいけないという、労働関連法規は、経済の原則かはずれています。省庁というのは馬鹿ばかりです。

 

例えば「紙の発明で」す。それまで暗号でしかなかった支那の文字はどうしていいかわからなくなったでしょう。今の、ネット社会への変革などとは、比較にならないぐらいの変化でした。

 

 青銅器から鉄器への変化もそうです。鉄器が出ていた時には相手側は、凄まじい恐怖だったでしょう。その後も枚挙に暇がありません。この技術革新の動きを止めようとすると必ずその人間集団は滅んでいます。

 

 石炭から石油への変化もそうでしょう。

 でも、石油は戦略商品でありすぎました。石油産業が産声を上げてから、一度も豊かな石油産業であったためしがありません。今、需要が減退して、衰退産業になってからが石油業界にとって一番良い時代ではないでしょうか?それを書いていきますね。

 

 それにしてもこの郡山直営は酷かった。所長が全くやる気がないので、みんなしらけていたのです。5人がショップルームの中に入って、座ってタバコを吸っていました。

 

 その日、独身寮に帰るときに同期のO君と「明日からはガソリンスタンドの最高のサービスを「魅」せてやろうぜ」と誓いました。私たちの楽しい郡山時代の始まりです。

 ちょっといい話です。

 あるとき、支店に電話がありました。「宝徳、大変だ。すぐこい」「はい(何が起きたんだろうと思いながら)」

 宇佐美本社の裏が親父さんの家です。

 「じゃがいもをなあ、植えるのを忘れていたんだ。大変だ。ジャガイモは、植えてもいい期間が短いんだ」

「はっ??? 親父さん、俺忙しいんですが」

「俺よりお前の方が忙しいというのか」

「なんで俺がジャガイモを植えにこなければならないですか?そんなこと社員の方に言えばいいじゃないですか」

「社員が誰もいうことを聞かないからお前に言っているんだろう」(またこれです笑)

 もうここまできたら親父さんは可愛くて仕方がありません。ジャガイモを植えました。

 親父さんが創る野菜は、どれすごい大きさです。まがったものもずいぶんありますが、食べる分には別に構いません。それと市販の野菜の5倍ぐらいある大きさなんです。きっと親父さんの愛情をうんと受けているんでしょうね。

 刈り取りの時も呼ばれます。「宝徳、すぐこい」と。全く私がその時、支店にいなければどうするつもりなんでしょう。

 そして、刈り取りに行ったらおっしゃいます。繰り返し。もう聞きましとは私はい言いません。

「宝徳なあ、野菜はなあ、大きいのも小さいのも、真っ直ぐなのも、曲がったものも、いろいろあるんだ。みんな美味しいんだ。みんな可愛いんだ。自分から落ちていくやつは悲しいんだ。人づくりも一緒だぞ。」と。最高の笑顔と優しさで。

 だめ、もう私の涙腺は崩壊です。来るたびに泣かすなよ。たまりません。

 支店にも持って帰れと、大量にくれます。支店について箱を上げたら「親父さんの野菜か」と大人気です。

 なぜ私は、親父さんにお会いしたのに、なぜ今、こんなに情けない姿なのだろうか。
 平成七年に母が亡くなった(享年六十二歳)ので、その年のことはよく覚えています。

 特に、阪神淡路大震災は。

 一月十七日朝五時すぎにテレビでニュースが流れてきました。地震? なんか大きそうと思って、会社に行きました。会社に着くとどんどん被害の状況が伝わってきます。

 当時の出光興産株式会社は、本社と支店でTV電話を繋いでいましたから、すぐ神戸支店とつなぎました。

 これが筆舌に尽くし難いとはこういうことだということがわかりました。

 神戸支店は、私の尊敬するT支店長です。後の私の上司です。名古屋支店の。

 すぐにT支店長は、「今から、すぐに下のスタンドをオープンしろ!!!」

 部下は反対します。「まだ配管の検査も終わっていません。何かあったら大変です」。

 「何かあったら? もう、なにかがあっているんだろう。今は、平時ではない有事だ!!! いいからすぐに開けろ」
 
 すると、警察から電話がありました。

「近隣の業者から苦情が入っています。お宅だけがスタンドをオープンしています」

 支店長が電話に出ました。

「かしこまりました。今から警察を含め、緊急車両には、一切給油しませんので、そのつもりで」

「いいいいえっ、そういうことを言っているのではないので」

 すごいでしょ。これがオーナーシップです。

 本社とのTV会議では、役員以下全員がそろっています。
 
 T支店長は言います。いえ、どなります。

「そこにいて何をしているんだ! すぐに石油を運べ!!!」

担当社員が、「緊急車両がいるので、ローリーが入れません」といいます。

「それをなんとかするのが本社の仕事だろう!!! ならその緊急車両に先導させろ」

するとするとパトカーと消防車で、出光のローリーを先導してきました。

他の出光の特約店(出光では販売店)もそれにならって、続々と店を開け始めました。これが出光です。

これが「真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える」です。

佐三店主は、「世の中濁流の横に小さな清流を流せ。そして、その濁流の人間にあっちの方いいと、思わせろ。それが人間尊重の事業経営だ」と言います。

ところが、兵庫県知事の貝原は、震災の時、自衛隊に出動要請を出しませんでした。これが兵庫県政の闇です。自分が自衛隊に出動要請をした責任を取りたくないんです。

 当時は、県知事の要請がないと自衛隊は出動できなかったんです。

 当時の総理 村山もそうです。米軍から救出の申し出があったのですが、当時の社会党のイデオロギーで断りました。

 当時、伊丹駐屯に私の従兄弟がいました。「健にいちゃん、俺たちはとっくに出動準備はできていた。出動要請がなかったんだ」

 司令は、仕方がないので、車両をはじめ機材を分解して、隊員たちに担いで走らせました。

 あの震災は、貝原の人災です。

 記者会見で、何も知らないメディアは、司令を攻めます。「なんでもっと早く出動をしなかったんだ」と。

司令は、目に涙を浮かべながらその心無い一言に耐えていました。

軍人は言い訳をしないんです(サイレントアーミー)

 です。

 当の貝原は言い訳をするばかりで知らん顔です。

 こんな奴らは世の中の濁流を流れ続けてそれをよしとしているんでしょうね。かわいそうに。



 前回の記事の専門用語を簡易に説明しますね。まず、バリュエーションです。

 

 これは、「企業価値評価・事業価値評価」です。いいですね〜。

 

 きちんと「経営」と「事業」が分かれています。それが意識されているかどうかはわかりませんが。

 

 「経営」というと、「会計」と勘違いしている方がたくさんいます。経営とは、リスクマネジメントそのものです。「戦略や目的」がないと経営者の熱い思いが社員等ステークホルダー(利害関係者)に伝わることはありません。「すぐれた理念に基づいたオーナーシップがないとその戦略や目的がリスクにさらされた時に企業は右往左往します」「戦略や目的にもどついた目標になっていないと、何をやっているのかがわからなくなります」。これだけではなく、今の政府の過度な負担の吸い上げに対して効果的なキャッシュフローマネジメントが行われていないと事業に投下できるお金がなくなり結果的に企業自体が衰退します」。その他にも、「知的財産権の保護」「労務問題へ対応」「災害対応(BCP)」「サイバーセキュリティ」「事業承継問題」等、枚挙に暇がありません。

 

つまり的確な経営がないと事業が動かなくなるだけではなく、事業が長続きしません。

 

これらのリスクが「潜在的なリスク(グラデュアルリスク)」であるときに経営者は対処しなければなりません。事業についてはもうお分かりだと思いますので割愛します。

 

 それらの企業活動を数字も含めて評価したものが「企業価値評価」です。今、恒常的に動いている事業を評価したものが「事業価値評価」です。私は、企業再生を多くやっているので、この二つはかなり関係してまいりました。

 

素下、数字面で評価する手法に時価純資産法やDCF法(ディスカウントキャッシュフロー)があります(詳細割愛)。

 

 MAでは当然「いくらで売った買ったかが」当然の如く重要視されます。なので、後々、譲渡し企業にも譲り受け企業にも不平不満がでないためにも、(完全に客観的は無理ですが)このバリュエーションはしっかりやっておきましょう。


  昨日の続きです。医療関係では、私が昔、監事をしていた医療法人でも、サイバー攻撃がすごいそうです。大変な時代になりました。

 

(以下、IPA NEWSより)

 施策は多岐にわたりました。セキュリティ保険の増額セキュリティ体制に関する外部監査の実施情報セキュリティや個人情報保護の規程運用マニュアルなどの見直しといったソフト面のほか、全端末のログ監視パケットの振る舞い検知システムの導入電子証明書が発行された端末のみネッワークに接続できるようにするなど、ハード面も整備。そして、これらと並行して進められたのが、SG を活用したセキュリティ人材の育成でした。

(以降割愛)

 

 この隈病院はすごいですね。実際に診察を受けていても、人間ではできないことがITでやられている感じがします。ここからは私見です。

 

 医療の世界は特殊な世界であり、コンサルタントなどが対策を支援するにはとてもハードルが高いと思います。ただし、もう一つ。医師やコメディカルは、医学は知っていますが他のことは何も知りません。医学の中でも、自らの専門性しか知らない方がおおいのす(医療関係の方には申し訳ありません)。昔、ある病院のコンサルとしていたときのことです。夜中に急患が来ました。当直の医師に診察を頼むと(おそらく風邪なのに)、「僕専門外だからと言われました」

 こういう状態でITの技術を身につけるのは、医療関係者にとって酷なのではないでしょうか? また、医療は厚生労働省に対するデータを活用した報告がものすごいんです。そこで不備が見つかると保険点数が削られてしまいます。

 

 これをコンサル等の支援者がやろうとすると、「豊富なコンサルティング経験・技術」「医療知識(ある程度の)」「医療事務(とそのデータを厚生労働省への報告だけではなく解析する方法)」「IT技術(ホワイトハッカー)」「(そこが病院なら)病院組織の運営方法」「医療財務」等を知るスーパーコンサルが必要になるでしょう。その無謀なチャレンジに挑戦しようとこの六十六歳の老人は考えながらかなりのプレッシャーを感じています。

 

 今回は、医療のお話をしました。これが運輸会社(特にタクシー・パス)」ではどうでしょう。これまた国土交通省に膨大なデータを報告しています。

 

 つまり関係省庁は、((必要なことではありますが)自分たちの仕事のために「患者様やお客様へ目線を向ける指導はなされていません」。担当省庁は、上を向いて仕事させている平目業界を作ろうとしています。その点この隈病院は、素晴らしい患者サービスを展開させています。感服します。

  私はゴルフをやりません。出光興産株式会社に勤めていたときも、本当にどうしても必要な時に渋々行っていました。十九年のサラリーマン生活の中で三回か四回。出光興産株式会社を辞め時に、ゴルフパートナーズ(こんな名前だけ???)に(ずっと前に友達にもらった)クラブを売りに行きました。確か2,500円ぐらいで売れました。そのお金を使って家族三人でお昼に食べた蕎麦がとても美味しかった。

 

 名古屋支店勤務の時に、どうしても行く必要に迫られて、ゴルフに行きました。平日です。ゴルフの話はどうでもいいので割愛します。

 

 次の日に、宇佐美本社に行きました。

 

「おはようございます」と親父さんに挨拶をしながら、社長室に入って行きました。

 

 親父さんは、機嫌が悪く、目も合わせてくれません。

「どうしたんですか?」

「俺はなあ、平日にゴルフをしに行く奴は大嫌いだ」

「親父さん、私がゴルフをしないのはご存知ですよね。昨日は、どうしても・・・」

と行った瞬間に

「言い訳をするな!!!」という言葉が返ってきました。

 それからもずっと口を聞いてくれません。かなり長い時間が経ったあと、

「私、もう帰りますね」と言いました。

「なんで帰る」

「だって、親父さんの機嫌が悪いし、口も聞いてくれないから」

 

「お前は、俺が機嫌が悪くて、口も聞かなかったら帰るのか」

「(何この言い方。めんどくせぇ)」と思ったけどそんなことは怖くて言えません。

 

「いいから、ここにいろ」

 しばらくすると、親父さんは、どこかに行ってしまいました。トイレかなあと思っていると、返ってきた時には、大量のゴルフボールを抱えていました。

 

「(なんでゴルフもやらない親父さんがこんな大量のボールを持っているんだ。何をされるんだ。これを大量に投げつけられるのかああ)」

 

「ほら、これやる」と、その大量のボールをくれるではありませんか(爆笑)。

 

「だから、私が、ゴルフやらないのは、知っているでしょう。いただいても無用の長物です」

 

「せっかく持ってきたのにか」

 

 こういう時の親父さんは可愛くて仕方がないのですが。「(さっきの機嫌の悪さはなんだったんだ。言っていることとやることが違うやん)」と思いました。

 

 結局、支店に持って返って、支店長とか課長さんとかにあげました。「親父ボール」と呼ばれて人気がありました。

 

 家に帰って、カミさんに、この話をしたら、うけたうけた。「よかったじゃん、恋人からいっぱいごフルボールをもらって。でも、あなたが親父さんを大好きになる気持ちはわかるわ。今度、宇佐美さんから電話がかかてきたら、笑いを堪えるのに必死だわ」。と腹を抱えて笑っていました。

 

 でもどうしてあんなに親父さんは怒ったんだろう? いつか天国に行ったら教えてね。って、親父さんはもう忘れているかも。ねっ、親父さんのことを私に語らせたらキリがないでしょ。

 さて、昭和五十八年七月一日付で郡山出張所赴任になりました。なんでも、新入社員で出張所に行くのは初めてだそうな。

 研修中になんかしでかしたかな?  同期のO君と一緒でした。彼とは、本当に仲が良かった。今、どうしているんだろう。

 新幹線郡山の駅につきました。誰も迎えに来てくれていません涙。

 もらった地図を持って、O君と主張所を探しました。すると小さなガソリンスタンドが見えてました。どうやらその2回が事務所です。スタンドには5〜6人ぐらい。出張所には7人ぐらい。小さな事務所にひきめきあっています。

 昔の出光は、必ず、スタンドの上に事務所がありました。それが大きな支店(統轄支店)だったらいいのですが、ここは出張所です。大学の同期で、他の会社(商社とか銀行とか)は、丸の内で、背広を着て・・・・。と思ったらんなんで俺たちは、こんなスタンドやねん。と、思いました。やっぱり、俺たちは、実習の時に何かやったんだ。何かなあ?とか、考えました。

 いやいや出光佐三店主の「真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える」が俺たちの仕事だろう、と思い直しました。福岡で育ち、東京で学生時代を過ごした私たちは、この感動の涙が出る、地方都市の素晴らしさを知らなかったのです。それは、おいおい。これは「ひづみ」の記事だろう。

 と、思ったら、出張所長が、「あ〜、君たちにはなあ、もう3ヶ月、下のスタンドで勤務してもらう」と。

 が〜ん、と思いましたが、出光興産の主義主張は、大地域小売業です。スタンドが基本、と気を取り直し、勤務に勤しもうと思いました。ところが、このガソリンスタンドというのが・・・・・つづく
  昨日の、龍園と同じく、鳴尾には美味しいものがたくさん。でも、経営者がみんな年取っているから、営業時間は短いところもあるし、それと決済手段がチェーン店以外にはありません。こういう店が将来なくなったら社会の損失です。いくつか紹介します。全部紹介し切間ません。また、思い出したらこのブログに書きます。また、少し前までもっとあったんですが、閉まってしまいました。悲しい。

 

    鳴尾駅の近くにあるTEPALという定食屋。ここのママが作る(経営者は別にいる)、いくつあるんだろう、和洋中のメニューは抜群に美味い。安心する味です。900-1900までやっています。定休日は日祝日。初めて行った時、最近泣くなったお店のことをママと話していました。寿司屋の話をしていたら、そこの大将が、私の息子の同級生だと話すと、ママさんはその大将の、女将さんだということがわかりました。世の中狭いですよね。

 

    家のすぐ近くの幸醤楼(かおじゃんろう)。ここも美味い。普通の街中華なんですが、なんでも美味い。中華ランチ、オムライス、トンカツ定食などの血色類、もちろんラーメンや、ちゃんぽんや、皿うどんや、餃子、春巻きも。昼時は、工事関係者とかでいっぱいです。

 

    たまらなく美味いギャルソン。洋食屋です。ここのサンジェルマンセットはたまりません。あと、私の大好きなビーフシチューやタンシチューも。ステーキもあるよ。

 

    そしゅうえん:やさしそうなおっちゃんとおばちゃんがやっている定食屋。お年なので、 1100-1500の営業で、日祝日は休みです。

 

    ポポロ:立て付けは、焼き鳥屋です。でも、他のメニューも美味しい!!!1700営業開始ですが、1700に行ったらもういっぱいのことが多い。何を食っても美味い。それと、かなりママが美熟女です。それを目当てに来ているお客さんもたくさん。まあ、がんばんなさい笑。あんなにlきれいだったら、きっと彼氏がいます。

 

たくさんありすぎるよう。今日はこの辺で。つづく

 私は、昭和五十八年に出光興産株式会社に入社しまし。最初は、広島直営スタンドで実習。広島は、結構、社員が美人揃い。楽しかったなあ。一つだけ、スタンドの事務の女の子、仕事のデートに誘ったら、私が、すっかりそれを忘れて、すっぽかしてしまいました。最低です。ごめんね。

 他の出光社員の奥様になっています。もしかしたら・・・・笑笑。

 その後、油槽所に実習。タンクローリーに乗せていただいて、ぐるぐるまわりました。

 その後、徳山製油所で研修。これも楽しかったなあ。ひとつひとつの装置がとても背が高いんです。それも重さを軽くするために、構造物に穴が空いているんです。でも、夜中の巡回の時に、ヒーターを回った時はあったかかったなあ。

 パイプライをひとつひとつ通って、油の通り道を確認するのも楽しかった。常圧蒸留装置(トッパー)や減圧蒸留装置(FCC)を見るのも楽しかった。それに先輩たちがみんな優しい。徳山は当時出光の街だったので、店の人もみんな親切。でも、女性にはモテなかった。それはいつもか笑笑。

 寮のご飯もおいしかった。目玉焼きの焼き方が抜群。

 さあ、郡山出張所に行って、業界の不合理を体験します。つづく
 私は、甲子園球場から歩いて500メートルぐらいのところ住んでいます。阪神タイガース勝っている時
は、TVのボリュームを消しても試合の様子わかるぐらいです。

 サラリーマンの時は、甲子園八番町に住んでいました。甲子園球場の西隣にあった「龍園」という台湾料理の店がたまらなく美味しかったのです。親父とお袋と息子二人がやっていました。料理は抜群にうまい。というか最高です。手羽中・・・たまりません。タイガースの試合がある時には、大量に買って甲子園球場に持って行っていました。餃子・・・。筆舌に尽くしがたい。これも球場に持ってい行きました。

 ある時、お母さんが、「宝徳さん、うちピータン食べたことある?」「ない」と答えると「は〜!!!」とため息つきます。食べました。まじにうまい!!! しばらくするとまたお母さんが、「宝徳さん、うちのこれ食べたことある?」と聞きます。「ない」「は〜!!!」 これの繰り返しです。金がなんぼあってもたらんわ笑笑。

 最高のセールスです。

 この店で、香水をつけてきたら、男も女は入れません。注文は、一度に多く頼まないと、次は、受け付けてくれません。

 ひっとことも喋らない、親父は気に入らないお客には帰れと言います。

 阪神の選手もよくきます。まあ、ヘンテコな親父です。でも、気に入った客には「ほら」と言って、食べたことのない、裏メニューを出します。「江川の耳」という料理もうまかったなあ。最後は、必ず「掛布ライス」を食いました。

 ある時、突然、店がしまっていました。「どうしたんだろう?」と思っていたら、息子さんが近くで別の店をオープンしていました。聞いたら突然、お母さんが亡くなったのだとか。とても仲が良かったんでしょうね。親父さんは、それから商売をする気が亡くなったそうです。

 私が今まで食べた台湾料理で一番うまかった。残念だなあ。

 あっ、今日は、鳴尾の話をしようと思ったのに。また、明日ね。
  さて、M&Aの具体策でしたね。


 ITの世界の競争は激しく、すぐに他の会社に買われたり市場から撤退したりします。我が社が付き合っていた企業も何件かあります。また、他社に吸収されたりすると、社名が変わります。これなかなか覚えられないんですよね笑。

 

 独立行政法人情報処理推進機構(通称 IPA)という政府の外郭団体があります。IPAは、2ヶ月に一度(偶数月)にIPA NEWSという本を出しています。この本がなかなか面白い。ページ数も少ないので読みやすい。IPAに注文したら無料で(メールで)送ってくれます。

 

 令和七年二月号に、医療のサイバー攻撃について載っています。兵庫県神戸市に医療法人神甲会 隈病院とういう医療機関があります。結構よい病院で、私たち家族も利用しています。特に、甲状腺の治療技術は高く、外来患者は、年間17万人を超えるそうです。

 

 受付もとてもスムーズです。きっとITを駆使した医療体制なんだろうなあと思っていました。

 

 二月号のIPA NEWSには、不正収侵入による被害を最小化するために、セグメントを細分化したり、リスク対策でUSBの使用を厳しくしたりしていました。さらにセキュリティポリシ―の徹底に向け、院内のネットワーク工事業者を一社に限定するといった対策を売ってきたことが書いてあります。内部のセキュリティ教育も徹底していました。担当リーダーは「これだけやれば大丈夫だろう」と思っていたそうです。

 

 その自信が打ち砕かれたのが、202010月でした。大阪急性期総合医療センターで発生したサプライチェーンの脆弱性を突くサイバー攻撃です。隈病院でも早急に手を打たなくてはと思った理事長は、根本的セキュリティ体制を見直すこととしました。

 

 さて、どんな具体策を講じたのでしょう。つづく

 私は、出光佐三店主の「真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える」という、佐三店主がおっしゃる出光興産第二の定款に、涙がでるほど感動して出光興産株式会社に入社しました。当時は、商社と銀行とメディアが真っ盛りな頃。まったくそれらに興味はありませんでした。

 今回タイトルを「ひづみ」と書きました。今は、「ひずみ」ですよね。これって、迎合日本語です。まあ、いいや。

 石油業界は、とういか世界の石油市場は、セブンシスターズ(石油メジャーの独壇場)に牛耳られてきました。

 「石油の世紀」という本があります。アングロサクソンの本はあまり好きではありませんが、この本は、読んでみて面白いなあ、って、思いました。あと、「セブンシスターズ」も。

 日本は、戦争に負けました。なぜ、当時の世界最強の帝國陸海軍をあんな愚かな戦いに導いたのかという帝国陸海軍、特に、帝国海軍の体たらくはいまだにわかりませんが、アメリカと戦う必然性はなかったのです。なんで、何千キロも離れたミッドウエイ・ガダルカナル等の行かなければならなかったのか。ひとえに山本五十六の官僚政治のあり方に責任があります。彼は、作戦立案能力も、作戦運用能力もなかった。ただ、あの戦争の日本は、石油が欲しかっただけなんです。

 敗戦後、日本は、石油政策においてたまらなく、酷い扱いを受けました。それが「消費地精製主義」です。つまり、石油製品を海外から買うことを許されなかった我國は、メジャー(セブンシスターズ)の言うことを聞かざるを得なかったのです。

 それに敢然と立ち向かったのが、出光興産株式会社の創業者、出光佐三店主です。

 石油業界が、どんなに大変な思いをしてきたのか。なぜ、それに出光佐三氏以外は、誰も戦わなかったかを解説しておきます。

 私の、人生の集大成のひとつでもあります。今、石油業界いいる人間よ、よく聞け!!!

 ある時、ある土地に、親父さんに連れて行っていただきました。まだ、セルフが出る前の時代です。すんごい販売量を売っているんです。なので、私は、親父さんに言いました。「親父さん、マルチ計量器(4本ぐらい給油のズルがでて、どこからでも給油ができる計量器)をつけてあげたらどう?」と言いました。親父さんは「そうだなあ」と言いました。するとある時、「宝徳、あの店なあ、マルチをつけたぞ!」と写真を見せてくれました。

 

 見るとダブルの計量器(2器の計量器のホースを長くしている)が近接されています。「どうだ、宝徳、これがマルチだ」と。私は「無言しかありません爆笑」(さすが親父さん)。

 

 こんなの枚挙に暇がありません。吉本新喜劇真っ青です

 

 閑話休題


 そのスタンドのオープンにもついていきました。オープンの時に、スタンド裏にあるイノシシ山に行きました。私もついて行きました。


親「宝徳、イノシシのあごどうなっている」

寳「しゃべるのようになっています」

親「そうだろう。ならな、このイノシシ山の柵はなあこの柵を1メートル以上深くしてあるはずだ。でないとイノシシが逃げてしまうだろう。宝徳、掘ってみろ」


 というではありませんか。「親父さんダメだって、そんなことをしたらイノシシ山の人に怒られます」


 親「誰がお前にそういう教育をした!!!。たしかめないで、考えもしないで、物事をするな!!!」


と言います。もうこうなったら親父さんは聞く耳を持ちません。


 めんどくせえなあ。と、思いながら、宝徳くんは堀りました。案の定、イノシシ山の人が来ました。「あなた何をやっているんですか?」って。


 振り向いたら馬鹿親父はその場にいません。その場なんとか逃れて探しに行ったらスタンドでアイスクリームを食べています(親父さんは、ソフトクリームが大好き)。


 その時、親父さんは私に言いました。「へーーーー、怒られたな」と。


 誰のせいだ!!! と、私は人の責任にしてしまいました。こんなの、日常茶飯事です。だから、社員が誰もついてこないんだ。と思いながらも、「今度誰かにやってやろう」とその誰かを想像していた私も親父さんの同類項です涙。

 今の二十四節気は、小寒です。本格的に寒くなり始めるころです。

 そして、七十二候は、明日から雉初めて鳴くです。オスの記事が泣き始めるころです。昔、名古屋に住んでいたころ、まだ、ちょっと郊外に行くとまだものすごい田舎でした。社宅に住んでいたのですが、社宅の周りは森や林だらけ。子供を幼稚園に送ってくときなど、よく雉が突然森の中から羽ばたいていました。雉はもちろん禁猟なのですが、まだとって良い頃に福島県のお客さんのお客さんに猟師の方がいらっしゃったので、よく捕獲してきくれて、お手製のどぶろくでいっぱいやったものです。山鳥もなかなかなんですが、雉は、その数倍美味しかったなあ。まだ、日本が平和な時代です。

 さて、小寒の頃の和菓子は?
 今、イトーヨーカドーが店舗を閉鎖しまくっています。事情は知りませんが、鈴木敏文氏が社長を続けていたらこんな体たらくはなかったでしょう。

 私が大学時代にコーチをしていたテニスクラブは、イトーヨーカドーの関係者がたくさんいました。みんな口を揃えて言っていました。「鈴木という男がアメリカのセブンイレブンというのを買おうとしている。とんでもない奴だ。成功するかどうかもわからないくせに」

 後に、社長になられた鈴木氏の講演を聞いた時に「私の唯一の仕事は、社内の成功体験を破壊すること。それだけだ」とおっしゃっていました。

 閑話休題。セブンイレブンは、その後、どんどん発展します(内容割愛)。そして、鈴木氏はイトーヨカドーも。創業家の伊藤家もとて大切にされました。まず彼がやったのは、SPC(特定目的会社)です。イトーヨーカドーの店舗をひとつ作ったらすぐにイトーヨーカドーが作ったSPCにそれを売却します。SPCはその入ってきたお金をすぐに証券化します。投資家は儲かります(当時のイトーヨーカドーは10%以上ダイエーより利益率が上回っていた(20%以上)からすぐに取り戻せます:鈴木氏のマーケティングの力です)。

 ダイエーが、土地を担保にして次の店舗を作り資金ショートに陥ったこ ととまったく違います。

 次に、伊藤氏がやったことは、株式分割と第三者割当て増資です。株式分割とは、例えば、我が社が、100円で10,000株持っていたら100万円で。そ1,000株を総額を変えずに10分の一にしてしまうんです。つまり、株価は、10万円になってしまいます。総額は変わりません。でも、セブンイレブンは収益体質なので、すぐに株価は戻ります。そして、株式分割とともに、第三者割引増資をやります。これも例えば、10万円になった株式がすぐに元の株価に戻るなら投資家は買いますよね。特に既存投資家は。すると既存投資家は、1000株と同じ株式を買っても損をしません(セブンイレブンの株価はすぐに上昇するから)。

 10分の一になったんなら10倍株式を買っても損をしないわけです。つまり、1万株。株価が戻れば20,000万株✖️100円で20,000万円。これを鈴木敏文氏繰り返し、株主の資本を拡大したのです。

 当時学生だった私は、そんなことを知りませんでした。不勉強恥じます。でも、鈴木氏の優れたマーケティングがいないとこれは実現しません。

 そして、セブンイレブンがイトーヨーカドーの株価を抜きました。どうでしょう。セブンイレブンの株を買うと、イトーヨーカドーを海外投資家が買収できます。

 なので、セブン&いホールディングズを作ったのです。

 その構図が気に入らない、経営陣が鈴木敏文氏を追い出しました。

 今の知恵がない経営陣がイトーヨーカドー店舗をを売却し始めています。

 社会とは、こんな構図があるんです。政治にも官僚にも経営者にも組合にも。そして世の中をハイコストにするどころか世の中をダメにします。かなしいですね。

 私の生きる目的は、こういう既得権を廃止、若者に夢をもってらえる世の中にすることです。

 鈴木敏文氏もイトーヨーカドの伊藤会長が泣いています。
  久しぶりの親父さんの話です。あるとき「宝徳、頼んだあれはどうなった?」とおっしゃるので、「あっ、まだできていません。すみません」というと、「まったくお前に頼んだら生まれた赤子も歩きだすわ」と。

 すみませんという気持ちと同時に、おかしさが込み上げてきました。繰り返し申し上げますが、親父さんは、第三者がいると私のことを「宝徳さん」呼んでくださいます。そして、敬語を使ってくださいます。

 私がいない時も、支店長とか課長に会いに支店にきてくれた時には「宝徳さんは、今日、これこれに行っているんですよね」と。支店長が「親父さん、あんなに宇佐美が好きな担当者は初めてでしょう」というと、照れている親父さんは、ニタニタ笑うだけです。

 でも二人きりの時は容赦がありません笑笑。

 「お前のような奴のことをあな、乞食のお粥っていうんだ」(差別用語はお許しください。史実のまま書いています)

 「なんですかそれ」

 「乞食のお粥には米が入っていないだろう。だから湯だけ。つまり、ゆうだけ(言うだけ)なんだ」と

 「それも面白いですね」

 「楽しむなばか」

 というのですが、親父さん調子の乗って

 「菜葉のこやし、とも言うんだ」

 「なんですそれ」

 「かけごえ(かけ肥)だけだ」

 私は、怒られているんですけど、面白くて仕方がありません。「親父さん、わかりました。あと1週間だけ時間をください」と言いますが、こんな表現をよく思いつきますよね。名古屋支店に帰って支店長課長に言うと大笑い。「だけそれちゃんやれよ」と。

 前のあるスタンドの所長が、彼女を会社の車に乗せて集金行った話をしましたよね。

 普通の上司ならどなりつけるところなんですが、黙って会社の車の助手席とったら所長が「もうしませんから、助手席をつけてください」と言ったな話。
 
 親父さんは、はずかしがりやなので、社員には面と向かって怒れないです。経理のT女史は、いつも、親父さんん「怒ってよ!」というですが、できません。

 でも、表現と行動でまったく予想をしないことをやられます。相手が「参った」ということ。これを

アウフヘーベン(日本語で止揚)
と言います。

 部下と同じ目線で怒ると部下は反発します。

それを「参った」と言う表現をされると部下は返しようがありません。そんな言葉を勉強もしていないのに、自分で体得している親父さんには常に敬服していました。後に出光興産株式会社の副社長になられた当時の我が課の課長もそうでした。

 あるとき、新入社員がとんでもな価格でお客様と決めてきました。課内中、「これどう納めるか」で話し合っていたときに、課長が帰っていたので報告しました。「わざとじゃ何だろう? お前よくそれを決断できたなあ」と言いました。

 この社員は、その夜飲みに連れて行ったときに「宝徳さん、我が社ってすごいですね。私は、あの課長ためなら死ねます」と涙を流して言いました。私には、当時、宇佐美を担当しながら、その能力がなかったことを恥じます。親父さん、みんなの心の中で親父さんは、生きているよ。

 子供の頃、鉄腕アトムはバビル二世をTVで観ていたら、超大型コンピュータが、世界を支配し、それと鉄腕アトムやバビル二世が戦っていました。まるで超大型コンピュータは、世の中のすべてを知っているような。

 実際は、どうでしょう。インターネットの世界は、ユビキタスなんです。ユビキタスとは「いつでもどこでも存在する」ことを意味します。つまりITの世界では、使いたい時に場所を選ばずに利用できることを表します。


 メールを作成してパソコンから流したとします。それらが一つのネットワークで流れていくわけではないのです。そのメールがいくつかに分けられて、空いている(偏在している)インターネットの機械に、それぞれが飛んでいき、それが全部飛び終わったらまた、一つにまとまって、相手のパソコンに飛んでいきます。

 そのいくつかの中継基地のことを「ルーター」と言います。そして、個人のパソコンにあるアドレス(住所)をIPアドレスと言います。ネットワーク上に配置されたものです。

 ということは、ブラックハッカー(悪いやつ)が、グローバルIPアドレスをつけて、ネットワーク上に配置して、それを通信経路として攻撃者が見ることが可能なんです。

 さらにハブというものがあります。あなたのネットワークを繋いでいるものだと思ってください。あなたのデータを集約配信する優れものです。これがないと通信やデータの受け渡しを円滑に行うことができません。

 ブラックハッカーは、これを特殊な装置を通して。攻撃機のネット絵ワークのハブにつなくだけで盗聴できます。

 アメリカや支那や何千人というブラックハッカーをおいてこれをやっています。つづく。

 さて、昨日、企業同士のお見合いみたいな話をしましたが、企業としてはそう思っても、なかなか仲人をしてくれるコンサル等支援者に出会うことはハードルが高いのも事実です。

 確かに、中小企業庁がM&A庁がM&A支援機関登録制度を設けています(私も支援機関で)。その登録制度から探すことができるのですが、それでも企業としては、仲人となるその支援者を信じていいかわかりません。

 そして、仲人にはFAという買い手もしくは売り手側にだけつく人と、売り手と買い手の両方を支援する仲介者という人がいます。料金も不明確です。

 ですから、まずは、その支援者から情報を引き出すことが必要です。まずは、人間性。信じられるかどうか。そして、いいことばかりを言うのではなく、厳しいことも言ってくれながら、正直に自分の情報(価格、経験、これまでの事例等)を話してくれる方が大切です。

 そして、何よりもセカンドオピニオン(まるで医療みたいですね笑)をしてもいいか尋ねてみて下さい。事業引継ぎ支線センターや各士業(中小企業診断士、弁護士、税理士等)に相談してみることも大切でしょう。

 ただし、士業によっては、あまりM&Aの経験がない(少ない)人もいます。例えば、税理士や弁護士というと、何か神様のように思っている方もいますが、経験がなければ相談値しません。

 最初は、じっくりと時間をかけて納得がいくまで話し合うことが大切です。

 では、テクニカルとしては何があるか。それを明日からかんたーんに説明します。
 西宮市は、大正十四年(1925年)四月1日に兵庫県内で5番目、全国で101番目の市として誕生しました。

 東京に住んでいると通勤や通学で1時間以内ではなかなか行けません。でも、西宮市は梅田に行くのも三宮に行くのも15分で行けます。また、古き良き文化と現代的な文化が融合し、学校・病院・買い物も便利です。とにかく住みやすいのです。隣には尼崎という極悪市がありますが、私は尼崎が大好きです。食べのもがうまいし。

 大正十四年(1925年)に、武庫郡西宮町が市政を施行し、西宮市が誕生しました。昭和八年、西宮市は武庫郡今津町、芝村、大社町と合併しました。それからもどんどん発展しました。

 何と言っても今津地域は「灘五郎(なだごろう)」の一つ、今津郷があり、お酒造りが盛んです。

 そして、そして、西宮には、あの有名な甲子園球場があります。当時サラリーマンだった私は、平成十三年(2001年)に、こちらに転勤でj引っ越してきました。当時の阪神タイガースはめちゃくちゃ弱かったのですが、阪神タイガースの試合になると、絶対にたくさんの人が応援に来るのです。それと普段は飲食店なのに、タイガースの試合の日になると、阪神グッズの店に大変身。

 お店でもシーズン直前には、タイガースの試合スケジュールを配るのです。ここに住んでいて阪神タイガースを嫌いになるわけがありません。私の息子は二軍の選手まで全部知っていました。

 あるとき、居酒屋に入って「ターガースハイボール」というのが、あったので、からかって「ジャイアンツハイボールください」と言ったら、お客様からも店の人からも睨まれました笑。

 私のかみさんは、PTAで、「今日は巨人阪神の日ね」といったら、「阪神巨人でしょ」と睨まれたそうです。東京にいるときは、かみさんは、野球の試合なんて観ることはなかったのに、いまでは、TV放映があるときは、必ず観ています。
 
 でも、地元の人でも隠れ巨人は多いんですよ。

 まだまだ魅力がたくさん。つづく。
  合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)という言葉があります。

 例えば、野球を観に行ったとしましょう。よい場面でみんながそのシーンを観たいと思いみんなが立ち上がります。なので、皆んなが観えなくなってしまいます。こういうのを言います。

 それぞれが「部分最適を狙う」と返っ却って「全体最適」が観えなくなってしまう」ことを言います。

 今の、民主主義がそうですよね。個々人がみんな自分の要求を満たそうとするので、全体的にとてもコスト高の社会になってしまいます。

 やっぱり立憲君主制が一番ですね。立憲民主主義なんてありえない。親米保守がありえないように。

 閑話休題。補助金が迷走しています。なんと、申請してから一年半ぐらい経ってから支給されます。事業再構築補助金に至っては二年半ぐらいかかります。はっきり言って、金がないから補助金申請するのに、こんなに時間がかかっては中小零細企業は申請できません。

 担当省庁人言わせると「民間が悪いことをするから申請内容をチェックする」です。民間事業者は、儲けたい。つまり、それぞれが部分最適を求めるから、全体最適が殺される。そして、当初の目的を達成しない。これって合成の誤謬ですよね。

 これならAIを使った方がいいですよね。

 この世で一番愚かなのは人間かもしれません。

 そんなことより消費税無くせよ。減税しろよ。バカにみたい。
 このブログでは七十五歳までにホワイトハッカーとしてデビューする(それまでに能力を養う)としていましたが、それでな世間が許さないようです。七十歳までにその能力を身につけ必要な資格を取ります。

 私は、情報システムのど素人です。最初、勉強し始めた時には、何が何やらさっぱりわからず、強いストレスを覚えました。でも、今までの人生の経験からするとすると、最初に新たな分野を体験し始めるとものすごいストレスに襲われます。でも、その苦しさを乗り越えると、それこそのストレスの何百倍もの快感を味わうことができます。一度この快感を味わってしまうとその快感を忘れることができなくなりかつ、その最初のストレスが、怖くなくなります。まったく分野は違いますが、「源氏物語」を最初読んだ時に、紫式部は何を言いたいの?とか、女の人がたくさん出てきて覚えられないよ。と、思いました。でも、そういう枝葉末節ではなく、源氏物語つまり紫式部の真意に気づいた時に、「なるほどね!!!!」と思いましたん、支那の古典も最初に四書から読み始めたのに、彼らは何を行っているだろう?と思いました。でも、護教を理解し始めると「なんだ、そういうことか」とおもました。

 厚生年金も仕組みが難解で、訳がわからなかったのですが、「ああ、四十年で収めたものを二十年でもらえるんだ(最近、厚生労働省がこれを捻じ曲げようとしていますから注意ん!繰り下げ支給なんて絶対ダメ)」と気づいた時に「原理原則を知る重要性」がいかに大切かを知りました。政治家はこれを全くわかっていない。だから官僚は政治家をだましやすいんです。

 閑話休題。三菱UFJ銀行、りそな銀行、みずほ銀行の主要銀行が、サーバー攻撃に合いました。リスクマネジメントをしている大手金融機関がです。中小零細企業も今後例外ではないでしょう。そんなことをして何の得があるの? というみなさんの疑問も含めてこれからシリーズで解説してまいります。

 とにかく、インターネットはネットワーク盗聴に弱いんですん。その辺から。

 私は、素人ながらに、最初に情報システムを勉強した時にイーサネットやTCP/IPからやりました。「へー、これがネットの社会なんだ」と思いました。

 これらは、ネットワークの「プロトコル(約束)」です。なので、それを知ってしまうと悪意をもって盗聴しようとする人間からすれば、とても簡単に盗聴できてしまうのです。

 明日は、まず、ルーターについて。ゆっくりご説明しますね。TCP/IPなんて小難しいことは説明しませんからご安心を。これも乞うご期待!!!

 
 私の母は、最初、父と結婚するのが嫌で嫌でしょうがなかったそうです。叔母から聞きました。

 伯父と父が大親友で、父は大親友の伯父(母の兄)と兄弟になりたかったみたいです。それで紹介されたようなのです。結婚と当初は(当時は仕方がなかったのですが)狭い市営住宅で、祖母、父、母、叔父(父の末弟まだ中学生だった)、姉、私、妹(後で生まれた)の7人家族だったのです。母と父は新婚の時から父と叔父とと一緒の部屋で過ごさざるを得なかったそうです。父の仕事の都合で大阪に住んだのですが、母は郷里の福岡県遠賀郡芦屋町に帰りたくて仕方がなかったみたいです。

 それでも長い歳月を父と重ねていって、母も父をお互いに尊敬するようになりました。貧しい貧しい時代を経て。定年を過ぎてから父の収入も安定し、晩年は穏やかな人生を送っていました。母が平成七年に亡くなった時に通夜の席で父が私に言いました「健、何の欠点もなかったお母さんだったな」と。母の 
遺品には着物のひとつありませんでした。お茶碗と湯呑みだけ。姉が父を怒りましたん。「着物のひとつも買ってやらんね!!」。と。当時はそんな時代ではなかったんです、当時の女性はそんな人間ではなかったんです。それが当たり前だったのです。それを知らずに昭和b昭和といういな!

 物事には、一気呵成に進めていくときと、そのことを運用しながらコツコツと成果を収めていく時があります。たとえば、空爆や征服しかしない海外の軍隊は、征服した後の運用が下手というか稚拙すぎてしまいます。アメリカ然り、それん然り、欧州然り、各民族然り。

 我が国は、他部族を征服をしたことがなく平定をして運用に力を入れてきました。なので、我國は
世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国が実現したのです。

 理想論しか掲げない支那の古典は言っていることは素晴らしいのですが、誰も実現しようとしません。実現しようとするとその人は殺されてしまう民度の低さがあるからです。

 でも、書いていることは立派。貞観政要にも「創業は易く守成は難し」とあります。つまり、運用とは大変なことなのです。

M&Aも同じです。M&Aとは「Mergers(合併)and Acquisitions(買収)」と訳します。欧米の思想です。彼らは努力することが嫌いなので、企業を売り買いの対象にしか考えていません。我が国には「譲渡し」「譲受」という言葉が付加されます。つまり、大切にしますよという意味です。

運用が全てなんです。

 大企業同士の合併では、吸収した方が吸収された方を叩き潰さないとうまく行かないケースが多いのです。エネオスがそうですね。第一勧銀(現みずほ銀行)は、それをやらなかったから、いまだにG出身だF出身だ等のたまっています。

 でも、中小零細企業のM&Aはそうではありません。PMI(Pos-Merger Integration)の運営という出口戦略をもっとも大切にします。

 さてさて、私のM&A物語を明日から書いてまいります。乞うご期待!!!
 今、私が住んでいる西宮市が発刊している「宮っ子」という地域情報誌があります。触れ込みは、西宮市が作る地域情報誌です。

 これ面白いんですよね〜。今年1・2月豪のテーマが「百年つながる西宮」です。西宮市は、令和七年四月一日に市政百周年を迎えます。もっとも千年以上前の文献にも「西宮」の名前が刻まれていますからかなり歴史は古い。鳴尾小学校なんて、日本で一番古い小学校らしいです。森繁久彌さんの出身校です。家の近くの西宮市役所支所には「大典記念」の碑があります。大典とは大日本帝国憲法です。明治二十二年(1889年)二月十一日です。紀元節です。教育勅語が明治二十三年前ですから、一年古いのです。

 今年は昭和百年ですから、昭和の歴史と共に歩んできた西宮市政。

 とにかく住みやすい。これから少しずつ、西宮についてその素晴らしさをこのブログに書いていきます。乞うご期待!!!

 明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうかよろしくお願いします。9月末から少し体を壊しました。一生懸命ブログを書いていたのですが、1218日で力尽きました。まだ、治っていませんが、なんとか書きます!!!

 

 今年は、昭和百年です。激動の昭和期でした。明治維新以来ずっと激動だったのですが、明治期のそれはロシアや支那等に対してのものです。

 

 でも、日露戦争が終わり、安心した日本は、世界最強の帝国海軍でさえ、上部が官僚化してしまいました。士官と下士官と兵はものすごく強かったのに、指揮官がバカでした。大東亜戦争は断じて侵略戦争などではありませえん。

 でも、軍上層部の意官僚化によって、自らが滅んでいったのです。特に海軍が。山本五十六など予算取りの大蔵省の接待が上手かっただけです。作戦など何も知らない。東郷平八郎を雲泥の差です。山本五十六は「1年や2年は存分に暴れて見せましょう」と言いました。つまり「2年経ったら負けます」と言っています。こんな司令官がいますか?

 

どにかく敗戦後の阿川弘之の著作。阿川三部作:山本五十六・米内光政・・・・

の罪は深い。この官僚3人のどこをどうやったらこんなに褒められるの?

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