中小M&Aガイドライン(第3版)遵守の宣言について
(M&A支援機関名)は、国が創設したM&A支援機関登録制度の登録を受けている支援機関であり、中小企業庁が定めた「中小M&Aガイドライン(第3版)」(令和6年8月)を遵守していることを、ここに宣言いたします。
(M&A支援機関名)は、中小M&Aガイドラインを遵守し、下記の取組・対応を実施しております。
記
中小M&Aガイドライン(第3版)遵守の宣言について
(M&A支援機関名)は、国が創設したM&A支援機関登録制度の登録を受けている支援機関であり、中小企業庁が定めた「中小M&Aガイドライン(第3版)」(令和6年8月)を遵守していることを、ここに宣言いたします。
(M&A支援機関名)は、中小M&Aガイドラインを遵守し、下記の取組・対応を実施しております。
記
日本武尊を裏切った息長氏ですが、娘を后として送り込むことでヤマト王権の北陸進出を手助けしようとしたのでしょうか?
ところが、息長氏は再び裏切っています。今度は、その娘とその子を・・・。
琵琶湖周辺は政治的な要素にあふれています。また、情緒にもあふれています。私は滋賀県と岐阜県が大好きです。岐阜県も同様に政治的な要素、情緒にあふれています。
でも、共通するのが、両県の県民があまり自分の県のことを知りません。残念です(笑)。
以前述べましたが、神功皇后は朝鮮に出兵しています。異国の地での長い戦いを終えて、戦いが終わった後にすぐに生まれた子(後の應神天皇)を抱いて都を目指した神功皇后を待っていたのは義理の息子である忍熊王(おしくまおう)たちの反逆でした。
忍熊王たちは凱旋する義母が産んだ弟に帝位を奪われることを恐れました。
反乱軍は、播磨(兵庫県明石市)で、母子を待ち受け「東国から兵」を集めました。ところが戦闘前に首謀者の皇子の一人が事故死したため、難波の住吉に軍を退きました。
神功皇后は反乱を知り、瀬戸内海を東進する主力と四国の南を迂回する搦め手の二手に軍勢を分けて、反乱軍を攻めました。反乱軍は宇治へ撤退しました。
神功皇后は都へ入り、朝廷を掌握し、翌月、数万という大軍を動員して反乱軍の壊滅に着手しました。兵力の差はすでに大きなものでした。
忍熊王はボロボロになりながら宇治川を上り近江を目指しました。しかし追撃はやまず、ついに琵琶湖のほとりの瀬田の渡しで身を投げて死にました。
その年の冬に、ヤマトの群臣たちは神功皇后に「皇太后」の尊称を与え、神功皇后は幼い應神天皇を補佐する「摂政」となりました(日本書紀)。
ここで不可解なのは、反乱軍が東国の兵を集めたことと、撤退した忍熊王があえて神功皇后の父親たちがいる近江に撤退したことです。そうです、息長氏は反乱軍に手を貸したのです。
う~ん、面白いな~。歴史を知ると、その地を訪れるのがまた楽しみになります。この息長氏のなぞは少し研究してみる余地がありそうですね。
天皇家は、地方を征服したことはありません。平定しています。征服ならやさしい。すべてぶち殺せばいいからです。平定は大変です。こんなしんどい思いをし てながら、天皇家は統治していったのですね。神功皇后の功績はとても大きいのですが、戦後、歴史から消されました。左翼によって。
正しい歴史を否定する者は、歴史によって裁かる日が来るでしょう。
秘められた 古代の動きを 知りながら 近江の国の 謎解き明かす
竹生島(ちくぶじま)を説明してゐます。
この島は、平安時代に国家に公認された「式内社」の都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)と宝厳寺が鎮座します。神社に祭られてゐるのは、すべて女性です。
さて、竹生島はどうやつてできたか。ある神話を紹介します。
滋賀県と岐阜県の県境に伊吹山があります。私はこの山が大好きです。
竹生島からも伊吹山はよく観えます。伊吹山は男神です。近くにある浅井岳は女神です。あるとき、伊吹山と浅井岳が背比べをしました。伊吹山は敗けてしまゐ ました。敗けて怒った伊吹山は、浅井岳の山頂を切り落としてしまゐました。切り落とされた山頂が琵琶湖に落ちて竹生島になりました。
さて、息長氏の本拠地は米原氏です。今はあまり栄えてゐませんが、この地は立地的にとても重要な土地でした。そこを息長氏が抑えてゐたのです。
ここには鏡などの出土品で知られる山津照神社などの息長古墳群があります。そして、神功皇后の父親の墓と言われているものは前方後円墳です。息長氏の勢力がみてとれます。
ちょっと話はそれますが、古代に都を防備する関所が三つありました。不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)、愛発関(越前国)です。その一つ不和の関が米原から東に行ったところにあります。
米原は壬申の乱の激戦地でした。
勝利者の天武天皇(大海人皇子)が設けた関です。
話を戻します。日本武尊を裏切った息長氏がどうして娘を天皇の后として送り込んだか。つづく。
ひっそりと たたずむ関に つけられた 不破という字が 平和を求む
仲哀天皇は、父の日本武尊を死に追いやった息長(おきなが)氏からなぜ皇后を迎えたのでしょうか。
仲哀天皇にはもともと后がいて、息子も二人いました。それでも、天皇に即位したあとに、神功皇后を正妻としてめとっています。
その後、仲哀天皇は、敦賀(福井県)に赴き、そこで王宮を設置しています。大和にいられなかったのか、それとも東アジアを見据えて戦略的に日本海側に進出 したのかは定かではありせんが、北陸の敦賀は、琵琶湖の北西部、つまり、息長氏の勢力下を越えればすぐのところです。息長氏の娘である神功皇后との結婚 と、北陸進出は無関係ではないでしょう。
琵琶湖の北部に竹生島(ちくぶじま)があります。聖なる島「竹生島」です。「ちくぶ」という名は「神が斎(いつ)く」が語源とされています。「いつくふすま」→「つくぶしま」→「ちくぶじま」と転化したといわれています。
琵琶湖の北部に竹生島(ちくぶじま)があります。聖なる島「竹生島」です。「ちくぶ」という名は「神が斎(いつ)く」が語源とされています。「いつくふすま」→「つくぶしま」→「ちくぶじま」と転化していったと言われています
島の対岸の海底に、縄文時代から弥生時代にかけて島をあがめるために貢物をつめて深さ10~70メートルの海底に沈めた湖底遺跡「葛籠尾崎(つづらおざ き)海底遺跡」があります。戦国時代には、岐阜から近江の安土城主になった織田信長が、この島を訪れて参拝しています。竹生島は、何千年もの間、祈りが捧 げられた聖地です。
なぜ、突然、竹生島の話になったか。 つづく
(平成二十五年(2013年)三月三十一日掲載分)
大和を救った琵琶湖の女神③
仕事で滋賀県にはよく行きます。なぜ戦国武将がこの近江を狙ったかがよくわかります。水と陸の交通の要所です。ここを抑えないと全国を抑えられません。北へ進めば日本海、陸路では街道沿いに東へ向かって大きな壁があります。滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山です。この大きな壁を越えないと東に行くことが出来ません。
息長氏(神宮皇后の実家)の源泉はこの伊吹山です。
伊吹山で思い出すのが日本武尊ですね。
父の景行天皇の命による熊襲征伐、東国平定の重責を果たした日本武尊は、恋人がいる熱田で休息します。一方、景行天皇の御子はたくさんいました。もちろん 異母兄弟も。異母兄弟の母の一人が日本武尊の功績をねたみます。このままでは自分の子が帝位につくことができません。一計を案じます。
日本武尊は騙されて、神に祈るために伊吹山に登ります。神聖な山に登ると言うことで、日本武尊は剣を外しました。そして途中、刺客に襲われ致命傷を負います。一旦、熱田に戻りますが、寝込んでしまいます。その後、伊勢経由で都に帰ろうとしますが、途中で命を落とします。
この刺客を放ったのが息長一族ではなかったかという話があります。
実は、日本武尊は神宮皇后の義理の父親にあたります。仲哀天皇は、父である日本武尊を死に追いやった息長氏からなぜ后を迎えたのでしょうか。
壮大な 史実が眠る 近江の国 ひとつひとつが 今につながる
大和を救った琵琶湖の女神②
戦後の過った自虐史観で、私たちは、史実までもが嘘としている社会に生きています。それを神功皇后(じんぐうこうごう):息長足姫(おきながたらしひめ)を通して検証していきましょう。
古墳時代に我が國が朝鮮半島に軍勢を連れて渡ったことは史実です。
日本書紀・古事記によると、仲哀天皇・神功皇后は、九州の熊襲征伐のために筑紫(福岡市)に滞在していました。神功皇后には神がかりなところがあり、半島にある新羅を征服するように仲哀天皇にすすめます。しかし、仲哀天皇はそれを無視しました。
すると、仲哀天皇が急死しました。替わって神功皇后が海を渡り新羅を征服し、その後、新羅はヤマトに臣従するようになりました。
古墳時代前期ですから、四世紀後半です。
古墳の副葬品といえば、三角縁神獣鏡などの銅鏡が有名ですが、この頃を境に、副葬品の主流は鏡から武器へと替わります。この頃の我が國は内戦状態にはありませんでした。つまり、我が國に新たな武器は必要ありませんでした。そうです、半島側に我が國の武器を渡す必要があったのです。
左派お得意の侵略論ですか(笑)?
その頃、高句麗が大陸の方から朝鮮半島南部諸国を圧迫してきて、我が國に救援を求めてきたのです。
これは高句麗の広開土王碑に明記されています。「391年以降倭が渡ってきて百済や新羅を破り臣下にした」と。
神功皇后は、朝鮮出兵から帰ってきてすぐに、應神天皇を生みます。この應神天皇が、政権をヤマトから河内に移します。 つづく
万世に その一系を 受け継ぎて 千代に八千代に すめみまの國
伊勢湾台風によって伊勢湾奥部に既往最高潮位を1m近く上回る観測史上最大の3.55mの高潮が発生し、それが不十分な防災対策のまま市街化して来た日本最大のゼローメートル地帯に来襲した。加えて、大量の木材が貯木場に集積していたことやそこが高潮災害の危険地帯であることの自覚や警戒心の不足、さらに来襲が夜間であったことなどが加わり、災害が激甚化した。
さて、日本一の湖は琵琶湖です。綺麗なんですよね〜。特に、湖北がもう幻想的です。それに、大阪から近江今津までの新快速で見る朝日を浴びた湖西と夕暮れの個性は、息を呑みます。
賀県は古代には「近江國」と呼ばれていました。琵琶湖は都に近いので、「近淡海(ちかつおうみ)」がなまって「おうみ」となったと言われています。
この近江出身のある女性が日本書紀、古事記に登場します。御名前は「神功皇后」です。息長足姫(おきながたらしひめ)とも言います。
十四代仲哀天皇の后で、「八幡神」で有名な十五代應神天皇の母です。
息長氏は、琵琶湖北東部を勢力とした地方豪族です。神功皇后をはじめ多数の后を天皇家に送り込んでいたことから、古墳時代や飛鳥時代にかけて、息長氏が湖北東部の広い地域を影響下に置いていたことがうかがえます。
私はこの神功皇后が大好きです。こんなに優しく、強く、意志が強い方は歴代天皇でもそういらっしゃるわけではありません。やはり日本の(かつての)女性というのは世界一優秀ですね。
日本書紀は、天皇ごとに章立てがあります。なんと神功皇后は、単独の章があり、天皇の一人に認められているのです。
ところが、戦後一転して、伝説上の人物だとされてしまいました。情けない。なぜか。
詳細は追々述べますが、神功皇后は朝鮮半島に出兵したからです。戦前のことはすべて悪とされたので、学界の歴史の見直しで、半島を臣従させたことが、日韓併合と同一視され、神功皇后はその業績どころか存在さえも消されてしまいました。
みなさん、どうですか? これが私たちの受けてきた教育なのです。後日書きますが、NHK(日本破壊協会)が國会中継で都合の悪いところを削除してしまいました。
学問とは真実を学ぶことです。「誰が正しいかではなく、何が正しいか」を学ぶことです。歪曲された嘘を学ぶことではありません。でも、私たちが受けてきた戦後教育は、ほぼすべてが「歪曲された嘘」でした。
神功皇后をシリーズで紹介します。ほれぼれとする女性です。歴史上我が國は、世界で一番女性の地位が高い國でした。 つづく
戦の先鋒(せんぽう)を担った天照大神の荒魂(あらたま)を廣田の地に祀りました。広田神社以外でも、兵庫県伊ある生田神社、長田神社、住吉大社は、その天照大神のお告げお生まれになった場所に創建されました。
京都より、そして、伊勢神宮より、西にあることから西宮と呼ばれていると言われています。我が國の歴史において、神功皇后の功績は英雄ですね。
ご長くなるので覧いただかなくても結構ですが、次のブログに神功皇后のことを書きますね。ちなみに偉人とは、偉大なる仕事をされた方、英雄とは、國を救った人です。
ねっ、西宮市の歴史は、我が国の歴史と切っても切り離せないでしょう?
いま、スカンジナビア航空がどうなっているか存じ上げませんが、少なくとも、私みたいに長々とブログを書く人ではなかったようです🥲。
石油業界が、通算産業省に始まり、利権の中で、ぐだぐだの世の中という濁流の中でもがいていました。今、考えると酷い世界でした。
私も石油業界の失望しかけました。本を何冊も読みました。特に、佐三店主の「出光五十年史」「出光七十年史」や戦後の荒廃の中で我國をまた立ち上げようと命をかけた明治から昭和一桁の男たちの。
知りたかったのです。世の中の不合理を味わっていた方々が何をしたかというより、なぜ、しらけなかったかを。
そして、知りたかったのです。細かい社会の動きに一喜一憂するのではなく、世の中の大きな流れ(森羅万象)がどうなっているのかを。いまだにつかめていません。私は、これを掴めるまで、一生を終わることができない。
そうこうしているうちに、こんな石油業界で愛知県の宇佐美の親父さん(まだお会いしたことがない)、熊本県のBさん、大阪府のTさんなどの(まだまだいらしゃいますが)、素晴らしい人たちのことを知るようになりました。Bさん、Tさんのことについてはまたいずれ。
親父さんのことをいろいろと聴いていると、決して順風満帆な生き方ではありませんでした。
まず、親父さんは現金安の掛け高という油の売り方をはじめました。当たり前のことですよね。でも、他のガソリンスタンドは、現金高の掛け安です。かつて我が国には、マイカーを変える余裕が多くの国民にありませんでした。なので、掛け売りの法人かお金持ちがガソリンスタンドの主流でした。それが池田勇人総理大臣の所得倍増計画で、国民の所得が向上し、国民もあこがれのマイカーが持てるようになってきました。まだ、クレジットカードはそう発達していないので現金客です。
ところが現金客を安くすると、「それまで」主流だった掛け客が黙っていません。その頃、だいたい現金客vsかけ客では、掛け客の方が7円か/ℓら10円/ℓガソリンスタンドにとってはコストが高かったのに。なので、看板を出す現金客の価格を安くすると、掛け客まで、それに合わせろと言ってきます。ガソリンスタンドはそれではたまらないので、現金の看板価格を高くするか看板を出さない商売をします。寿司屋(当時は回転寿司はなかった)ではあるまいし、たかだか消耗品のガソリンスタンドでそんなことをするなんてあり得ませんよね。
でも、この業界は、私が、平成十年に大阪に赴任した時、兵庫県石油組合はまだやっていました。信じられません。こういうのを時代錯誤と言います。こういうのをパラダイムシフができない人たちと言います。
宇佐美の親父さんは、スタンドを作ってすぐに現金安の掛け高をやりました。至極当然です。それが商売人です。それをみんなが寄ってたかって(元売りである出光まで)、宇佐美に「安売り」というレッテルを貼ります。
私が宇佐美を担当した時に親父さんに言われました。「宝徳、当たり前のことをやっているのになぜ、この業界では非難されるんだ」と。
宇佐美の親父さんは、燃料油脂新聞のトップに、「通称産業省、元売り、石油組合、関有製品販売業者(ガソリンスタンド)さんへ」という痛烈な批判記事を載せます(この記事を欲しくて燃料油脂新聞の編集長クラスの人に頼んだのですが、燃料油脂新聞社には保存されていませんでした。なんたるアーカイブ)。普段は喧嘩を人に売る人ではありません。とても穏やかな優しい人です。でも、売られた喧嘩は買う人です。ものすごいレベルで、そして、人が考えもしないやり方で。
正常なやり方で販売を拡充させようとすると、レッテルを貼られる。そのくせ自分は何百万円も掛けてイベントばかりを行い、相変わらず現金高の掛け安をやる。
たった、こんなことでさえ、自らの改革でできなくなってしまった業界だったのです。情けなくてしかたがありませんでした。
一度、あるスタンドが市場から撤退する時に、近くにある宇佐美のスタンドに掛け客を紹介しようとして所長が訪問しました。価格リストを見せると宇佐美のガソリンスタンドの所長さんから「ああ、うちは掛け売りのお客様にこんなに安く売りませんから」と即座に断られ、這う這うのて体(ほうほうのてい)で帰ってきました。
まったく、安売りとは、どの口が入っているのか。宇佐美以外のスタンドです。
さあ、宇佐美の親父がトラックステーションを始めるきっかけになった、次から、伊勢湾台風という超大型台風の話をします。これでも業界は宇佐美を目の敵にしました。
私は、その中である茶器がとっても気に入りました。
茶道の心得があるわけではありません。高校時代は硬式テニス部でした。かなり、ハードな練習をしていました。その練習の途中で、ある部屋を窓から覗いたら、なんか変なことをやっています。「何だろうこれ?なんか飲んだり食べたりしているぞ。よし、いってやれ」と思って入りました。それが茶道との出会いです。「ようこそ茶道部へ」とみんな素敵な笑顔で出迎えてくれました。疲れた身体だったので、上品な和菓子がとても美味しかったのです。お薄(おうす)も私好みです。男性が釜でお薄を作っています。Uくんと言いました。それからとても彼とは仲が良かった。なよなよしていたので、時々からかいました。「このお釜(オカマ)はU君です」と言って。彼はいつもニコニコして聴いていました。
母に茶道部のことを話したら「よかったわね〜。自分のお小遣いの範囲内でいいから、きちんとお返しをしなさい」と言われました。言われたままに和菓子屋さんに言って事情を話すとその季節にあった素敵な和菓子を選んださいました。
人数より少し多く和菓子を持っていきました。持っていったときは、この前はいなかった茶道部の先生もいました。
「あなた茶道部にはいりなさい」
「いえ、それは無理です。テニス部の練習がありますから」
「では、この前はなぜ茶道部にきたの?(優しい笑顔で)」
「なんだかとても興味がわいたので」
「それが一期一会です。来られる時でいいから来なさい。私たちみんな大歓迎です」
「でも、私は茶道の素人です。茶道の作法など何も知りません」
「みんなにそのとき会いに来てくれればそれでいいのよ。みんな大歓迎です。それも一期一会です」。
茶道はなんて素敵なんだと感動しました。
「そうなんです。私はその後も時々出没する茶道部の幽霊部員だったのです笑」
深く茶道をおさめたわけではありませんが、それから私は大の茶道ファンになりました。和菓子と茶道の発展の歴史も知りました。大人になって、「あんどーなつ」という漫画に出逢いました。若い女の子の「安藤 奈津(あんどーなつ)さん」が両親を亡くしたのに、本当に素晴らしく浅草で生きる物語です。そして、あんどーなつは、大会社の会長と日本一のお茶の先生と出逢います。
なんと。ふたりは、若い時に結婚を約束した恋人同士だったのです。結婚を約束した二人には赤ちゃんができます。でも、両家の反対にあって別れ別れになってしまいました。その子も二人から引き離されてしまいました(二人はその後は別々の人生を歩んだ)。なんとその子が、あんどーなつのお母さんなのです。そう、二人は、あんどーなつの祖父母だったのです。この漫画素晴らしい。季節ごとの和菓子も紹介されています。ちなみに、あんどーなつが働く浅草の和菓子屋さんは、規模は小さいけれど、創業から260年の老舗です。
また、前置きが長い🥲。そんなこんなで私の茶道はど素人ですが、たまらなく好きです。そんなこんなを考えていたらその茶器が欲しくなりました。ある時、親父さんが機嫌がいい時を見計らって言いました。
① 金融機関問題
官庁が叫ぼうがどうしようが、ある通達を担当省庁がかなり金融機関に強力に要請(命令に近い)をしてもそれが浸透するまでには何年もの期間を要します。金融機関の様子見、能力が原因です。そして、企業に対してガイドラインよりハードルを上げてくるのに遂行できない状態となります。ほとんどの金融機関は、業務管理能力は高いのですが、施策遂行能力はお粗末というしかありません。
② 企業の経営者側の意識の問題
金融機関の保証を解除することは経営者にとって、大きな問題です。しかし、経営者保証のガイドラインのハードルをクリアしようという意識を持つ中小企業経営者は多くありません。経営者保証のガイドラインを解除する意識が高く、実際に金融機関と交渉し解除できた企業とそうでない企業の差はこれからますます拡大していくでしょう。
③ 弁護士
これを実行するためには、弁護士の力添えが必要になります。強い代理権がもった資格だからです。しかしながら、どの弁護士も経営者保証解除の実務に携わったことがあるかどうかは疑問です。また、弁護士が他の士業とタイアップしていきながら実務をこなすこと(全体統括マネジメント)が得意かどうかは私にはわかりません。
これが3つの課題をクリアして初めて経営者保証解除は可能になるのです。
でも、M&Aにおいては、企業再生と違い、経営者保証解除の可能性は高くなると考えます。次回からは、それを見ていきましょう。つづく
インターネットが出たときに、ネットサーフィンが出てきて、調べたらなんでもわかります。これまでは、一つ一つ本を読んでいたのですが、本を持ち歩かなくてよくなくなりました。私は、出張に行く時に、本を10冊〜12冊は持っていっていました。それがパソコン一つで済んでしまう。ビジネスの仕方も我々の若い頃では考えられないようなものが出てきました。そして、以前は、有線のコードとたくさん繋いでいたのが、無線でできるようになりました。今やWi-Fiは当たり前です。
しかし、それと同時にリスクに常にさらされる世界となりました。
インターネットが出た時は、お金がかかりました(従量課金制度)。つまり、つなげばつなぐほどお金がかかっていたのです。そこで出てきたのが「ただ乗り」です。インンターネットを無料もしくは、安く使うための手法を悪い奴らがいろいろ考えたのです。
それは固定料金性になって下火になりました。
でも、Wi-Fiになって、この手法が別の形で再び現れたのです。他人の無線ネットワークに不正に接続し、自分の帯域をなるべく使用しません。そうすることで課金されたり遅くならないようにできます。Wi-F技術が進んでこの不正はあまり使われなくなりました。
さて、悪い奴らは、どんどん悪いことを考えます。です。ゴルゴ13という漫画でエシュロンでしたっけアメリカの盗聴機関は、電波をキャッチして暗号をどんどん、そこの天才博士が解読して、ゴルゴ13というスナイパーを追い詰めます。でも、最後はゴルゴ13にアーマライトM16というライフル銃で目を撃ち抜かれ殺されてしまいます。でも、これも遠い昔です。今や、Wi-Fiは今やアクセスポイントを利用した盗聴が主流です。これは後述します。
このように
ただ乗り
盗聴
とあるのですが、もうひとつ
バックドアというものがありま。アクセスポイントと併せて明日解説します。
昨日も書きましたが、技術は向上しても、そこに安全性が担保されているかどうかは、私たちの年代ではわかりません。きっと解決されていないのでしょう。そして、新しい技術が開発されると、ブラックハッカーはすぐにその攻撃を始めます。普及を急ぐあまり、セキュリティの脅威を怠ったことで、事例は無線ネットワークをはじめ多々あります。問題は解決されているのではなく、むしろ積み重なっているのです。
嫌いではありませんが浜幸(浜田光一)という衆議院議員など、千葉県一手に石油利権を持っていました。千葉県で工事用の油をうろうとしると浜幸の会社を通さないとだめなんです。当時は、まだまだ東京湾の工事需要がありました。それはそれは大した量の油使用量でした。ℓ2円でも抜こうものなら浜幸の莫大な利益となります。でも、選挙のとき、浜幸の事務所に行くとご馳走がたくさん。ちょうど営業担当の地区だったので、喜んで食べ行きました。これも油を売ったお金で買っただからいいよねとか思いながら。
なんて名前だったかな、北朝鮮に重油を売る団体。ああ、確かMEDOです。六カ国協議で北朝鮮に対する重油の供給量を決めます。日本のヤクザはそれを逆輸入します。A重油って98%が軽油なんです。軽油に残炭分を2〜3%ぐらい足すとA重油になります。だから、違法ですが、トラックは十分走るのです。経由には軽油税が32.1円/ℓの軽油税がかかります。でも重油にはかかりません。重油ですから32.1円/ℓの軽油税かかりません。日本のヤクザはを抜が入ってない軽油を運輸業者に売ります。経由税がかかっていないので、15円ぐらい重油の価格にプラスして。日本のヤクザと金正日は、その上前(例えば買い手に10円を乗せるとしたら、儲けは22.1円/ℓです。それをを山分けします。量が凄まじいですから巨額の利益になります(しらんけど)。今、北朝鮮には核があるからそんなことはやっていないと思います。
石原慎太郎がこの違法経由を都内から追い出したので、再び東京からも富士山が観えるようになりました。
閑話休題。マーク替え。例えば日石(現 エネオス)のガソリンスタンドが、一日で出光ガソリンスタンドに替わるというものです。昨日、述べた、スタンド枠で自分の系列でひとつスタンドを潰さないとひとつスタンド建設ができないので、元売りは積極的にマーク替えを推進しました。ガソリンスタンドには、マーク替え費用というものを元売りはその会社に渡しました。安くて10,000千円/スタンドです。ポータブルと言って地下タンクがなく、スタンドにのせているだけのスタンドでも枠の対象になるので、最低3,000千円で売れました。
マークを変えられると、元売りの担当支店長の首が飛んだぐらいです。私も他社マークのガソリンスタンドよく訪問していました。自分の担当地区の他社系列のガソリンスタンドの所長は、名前も含めて、すべて知っていました。元売りからの請求書もよく見せてもらいました。「副販売店は、欠減補助(ガソリンは蒸発するのでその分の補助がでる)が、でないんだ」ということを知りました。なんてことを行った他社系のスタンドには教えてあげたりして結構可愛がってもらいました。
マーク替えってどうやってやるのかって?
金曜日の夕方に「(元売り)に。あなたの系列の◯◯スタンドのマークを替えます」と内容証明郵便を元売り支店に郵送するのです。昔の郵便は、配達が早かったので土曜日に着きますが、元売りは出光除いて、みんな週休二日でした。出光は土曜日は出勤なので。それを土曜日に受け取れます。なので、マーク替えを阻止できる可能性が高くなります。他社は月曜日までわからない。月曜日になったら別の系列のガソリンスタンドになっています。
サインポールを切って、すぐさまそれぞれの元売りカラーに塗り替えます。残っている在庫などは、相手元売りに送ります。機械等を入れ替えます。油を替わる元売りのものに替えます。支店男性総出で金曜日の夜から日曜日までスタンドに張り付きます。徹夜です。
もし、相手元売りバレた時は、そのお元売り担当者は「俺ごと切れ!」って、サインポールにしがみつきます。ヤクザが邪魔をしにきます。怖い怖い!
簡単に申し上げましたが、一度14ヶ所の丸善(現 コスモ)のガソリンスタンドを出光のガソリンスタンドに全部替えたことがありました。私も参加しました。目の前に他の会社の出光のガソリンスタンドがあります。そこを出光にすると、事前説明に行った担当者は一升瓶で頭を殴られ、抜き身の日本刀で切り付けられたようです。そう、その出光のガソリンスタンドは、その土地の親分のような人でした。私もよく可愛がってもらって海辺のガソリンスタンドなので、新鮮な魚をよくくれました。
通商産業省の愚策がこんなアホなことを現場で起こしてしまったのです。どこにマーケティングがあります? 生産枠で上流を絞り、価格で油種間格差をつくり、そしてマーク替えで、流通を阻害する。誰が考えても業界は発展しませんよね。
元売りの若者が育たなくなりました。入社三年目だった私は、石油業界ってこんなところかと思い失望しました。「何が『真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える』だ。でも、それは人のせいにはしてはいけなかったのです。白けてはいけないと自分に言い聞かせながら仕事をしていました。
そして、「石油業界唯一の真実 宇佐美史郎」にお会いした時でした三年目社員から10年近くがかかりました。宇佐美の親父さんは、マーク替えが盛んな時には、どんなご商売をしていらったのでしょう。
神功皇后は、帰国時に福岡県に到着しました。そこで應神天皇を生まれます。生まれた地が「宇美(うみ)」と言います。おしめを変えた地が、「志免(しめ)」と言います。今でも実際にその地名が福岡県糟屋町に残っています。そして宇佐神宮に祀られます。道教の天皇家乗っ取り事件の時に、和気清麻呂が行って「うけひ」をした地です。
関西には岩清水八幡宮があります。源義家が元服したところです。なので八幡太郎義家といいます。
八幡宮は、戦いの神様なのです。出光佐三店主が、イランに日章丸二世号を派遣しました。列強の英国を恐れて、どの国もイランの石油を買いに行きませんそれに敢然と立ち向かったのが出光興産株式会社です。日章丸を派遣する時に佐三店主は悩みに悩みます。もし、従業員の命は大丈夫かと。それと、出光興産には当時タンカーが一隻しかありません。もし、イランを植民地支配して石油の領有権を主張しているイギリスの軍艦に拿捕されたら出光は石油を運べなくなり潰れてしまいます。佐三店主は岩清水八幡宮で弓矢を買い求めます。そして、言いました「準備は十分してきた。矢は放たれた」。
みごと石油製品をつんで、日章丸が川崎港に入港しました。あつまったメディアに佐三店主は言います。
我俯仰天地に愧ず(われふぎょうてんちにはぢず:なにもはずかしいことはしてな)
明治の男たちの胆力は凄まじいですね。
そして、鳴尾の氏神様は、鳴尾八幡神社です。かなり歴史のある神社なんですが、数年前までは誰ものこないような、神社でした。女性の神主さんがいい加減だったのです。それが知らないうちに素晴らしい神社に変わっています。神主さんが変わったのです。地域のボランティアも大活躍です。出店も出始めました。今まで、初詣といえば、西宮神社か広田神社に行っていたのですが、最近は、鳴尾八幡神社ですませています。おみくじもお札も売っています。お守りも。
我が家から10分もかかりません。こういう変化を創造する方々って素敵ですね。
譲渡対象(何を譲渡するか)
譲渡時期(いつ譲渡対象を譲渡するか)
譲渡対価(代金をいくらにするか)
支払時期・方法(譲渡対価をいつどのような方法で支払うか)
経営者・役職員の処遇(経営者による引継ぎ期間や、従業員の雇用継続の努力
義務等を設けてあるか)
経営者保証の扱い(譲り受け側による譲り渡し側の経営者保証の解除又は引継
ぎに係る義務、解除又は引継ぎがなされなかった場合に、譲り渡し側の経営者
保証に基づく請求が発生した際等の契約解除や補償等)
表明保証条項(双方が取引を実行する能力を有していることの確認等を含め、い
かなる事項を保証することが求められているか)
補償条項(表明保証条項に違反した場合等に、いつまでの期間、どの程度の補
償が求められるか)
クロージングの前提条件(クロージングまでに何を行う必要があるか)
競業避止義務(譲渡後に競合する事業を行うことがどの程度禁止されているか)
契約の解除事由(どのような場合に契約を解除できるか) 等
なお、譲渡対価は、クロージングを迎えて初めて支払われることが通常であることをご理解ください。
私は、この最終契約書をよくご説明した後に、1週間ぐらい機関をおいてクロージングに入ります。関係支援者も全て呼んで、当事者同士に調印していただいて、握手をして解散としています。このような儀式をした方が良いと考えているからです。
品転とは、例えば、宇佐美のようなトラックステーション型のスタンドは、トラックの運ちゃんが、スタンドに置いてある軍手や食べ物やはたまたかなり高額な機械などを買う時に、それをガソリンや軽油で伝票を切ってくれと(会社では落としにくいお金)頼んで、スタンド側がお得意様などには逆らいにくいので、やってしまうことです。
宇佐美では、ありませんでしたが、ひどい時には、油を納めに行った工事現場の人間がガソリンスタンドの人間に高級車を品転でよこせと要求することもありました。
宇佐美の親父は、こういうのが大嫌いで一切応じませんでした。すると、拒否されたお客は「もう、お前のところなんかで油を入れないからな」という捨て台詞とともに去っていきます。でも、宇佐美のスタンドにはネットワークがどんどんできますからその利便性で客はまたやってきます。するとこんなことが起きました。
そのドライバーが偉くなった(例えば課長や部長)時に、宇佐美はずるいことをしない偉い会社だというのは、みんなに知れ渡り、自分の部下に「宇佐美で油をいれろ」と言ってくれるようになったのです。
宇佐美の商売が正しいかどうか一例を紹介しました。
こんな事件が宇佐美社内で起きました。宇佐美は売掛回収がとても厳しいのです。1円でも1日でも遅れたら大変。各地の専務さんたちに、ちーちゃんから電話がかかってきます。どなりごえで。「あんた、歳いくつね!!!。すぐに回収に行きなさい!!!」何度も何度も。ある専務さんのところに仕事で行った時に、専務さんがちーちゃんに怒鳴られていました。
そして、あるスタンドで・・・。ある所長が大切なお客様にどうしてもと頼まれる売掛金入金のサイトを伸ばす交渉を受けました。宇佐美では決められたサイトから一日でも伸ばすことは許されていません。
所長は悩んだ挙句、その延ばしたサイト分を自分のお金で立替ていました。それが本社にバレました。クレームを放置することと、売掛の回収遅れは、宇佐美では、どんな言い訳も通じません。
「なんだか、このお客の売掛の入金がおかしい」とその所長が呼び出されました。所長は社長の前でガタガタ震えて顔は真っ青です。そのお金は、所長に対し、会社が建て替えることで仕舞いがつきましたが、そのお客様との取引は停止です。(後述する税務調査では、社員が自腹を切ってそういうことをすることが信じられないと言っていました。すごい会社ですとも)。←税務署とんなコメントやねん。
こんな風に宇佐美以外のガソリンスタンドは、不正がたくさんあったのです。もう時効のものが多いので追々書きますね。当時は、タブーで人に言えませんでした。
そんなことですから、不正がないことやルールを守らないことがないことには自信を持っていた親父さんでした。
そんな宇佐美にあるとき税務調査が入りました。あれこれあれこれ若い調査官(税務調査は、だいたい入りたての職員の仕事)に指摘され親父は怒り心頭で頭から湯気がたっています。「俺には不正はない」と。
調査官が、「すません。申し訳ないのですが、何かお昼をとっていただけますか?なんでもいいので」と言います。
腹が立っていた親父さんは地域で一番のフランス料理の店(愛知県津島市は本当に食が豊かで良い店がたくさんあります)でフォークとナイフつきのフランス料理のフルコースを注文しました。三万円ぐらいする(爆笑)。それも親父さんお自腹で。そして、調査官にホラッと出します。
インド人もびっくり(こんなカレー会社のCMのセリフは、みなさん知らないですよね涙)では、ありませんが、「税務調査官もびっくり」です。もう、この話を聞いた時は、私は、腹を抱えて転げまくりました。しかも、親父の負担で食べしまうとそんな価格では贈賄になってしまいます。若いのでそんなお金も調査官はもっていなかったんでしょう。「なんでもいいとお前たちたいったんだろう?」と親父さんは言います。調査官は平身低頭ですが親父さんは受け取りません。みかねた、ちーちゃんが親父さんを取りなし調査官から後日払いで(お金の徴収は税務署に電話して明日にしました)領収書を渡していました。税務署に電話するちーちゃんもいい迷惑ですが、そこはちーちゃん。税務署にも顔がきく。なんせ、宇佐美は優良納税者ですから。税務署長の直接電話です。お互い爆笑で話していたそうです。「そうですか。親父さんらしいですね」と。
次の日から調査官はお昼を頼む時「カツ丼をお願いできませんか。価格も事前にお知らせいただいた時には、先に、こちらでお支払いしますから」というようになりました。その税務調査は、調査官にとって、針の筵だったと思います。思い出してもおかしくてわらいながら書いています。
「調査官さんたちよ。当たり前だ。相手を誰だと思っている。宇佐美史郎だぞ。器が違うよ。人を見てものをいえ!!!」(これは私の心の中)。あーーー面白かった。
宇佐美の親父さんは、こんな人が考えないようないたずらを平気でします。
それらの古文書等をアーカイブしていくわけですが、アーカイブとは書類整理ではありません。それらを関連づけたり、研究したりして、我國の歴史遺産を活性化させることです。ひいてはそれを今後の國家の球に役立てたい。
私は、企業をコンサルティングするときには、必ず「歴史DD」をやってくださいと言います。例えば老舗の永い歴史の中で、おそらく、今苦しんでいることや喜んでいることなど、当に経験しているかもしれないです。そしてそれを乗り切ったり次に生かしたりしたことも。でも、今、なかなかできません。そこに価値を経営者が求めて田舎、それだけで手間取ることはすぐには決断できないでしょう。
私の息子も、予算がなく、仲間もいない(現在若手を育成中)の中で四苦八苦していると思います。
その時に、フル稼働しているのが。AIや生成AIだそうです。私のような素人でさえ、ある程度までは、イメージが湧きます。彼に言わせると、もう生成AIは古文書等のデジタルアーカイブには欠かせないものなだそうです。出ないと、古文書のような分析を人間の手でやり、そして、それぞれを関連づけるのは気の遠くなる作業が求められるからです。
面白い世の中になってきましたねえ。私は、平成元年に出光興産株式会社の本社販売部に転勤になりました。そのとき、情報システム室から「宝徳、頼みがある。パソコン通信をやりたいので力を貸してくれ」と言われて富士通OASYSというワードの機械を机の上に置いて、電話のジャックを繋げました。その時、課長から言われました「そんなおもちゃは返してこい」と😆。隔世の感がありますね。ウィンドウズはまだなく、もちろん、インターネットなんてどこかよその世界のことかと思っていました。確か、富士通のエポカルクという表計算ソフトとエポワードというワードソフトを使っていました。社員の机の上に、パソコンのようなものはありません笑。まだ分煙がなかったので、灰皿だけは置いてありました(爆笑)。
ウインドウズが出るのが1996年ですからその数年後です。インナーネットはクリントンが経済を活性化したかったので、米軍の軍事技術を公開しました。そして、シリコンバレがでて、いまやもう、政府のコントロールが効かない世界になってしまいました。
便利な世の中になりました。もう、スマホやインターネットがないと生きていけなくなっています。一方で、技術は向上しても、そこに安全性が担保されているかどうかは、私たちの年代ではわかりません。きっと解決されていないのでしょう。そして、新しい技術が開発されると、ブラックハッカーはすぐにその攻撃を始めます。普及を急ぐあまり、セキュリティの脅威を怠ったことで、事例は無線ネットワークをはじめ多々あります。問題は解決されているのではなく、むしろ積み重なっているのです。
私が、ホワイトハッカーの勉強を始めたのは、常にそのような脅威にさらされている中小零細企業や、これからどんどん独立していく若者を「じじいが微力」なりにも力添えしたいいからです。
「ど素人のそんなジジイがそんなことできるか」と皆さんはおっしゃるかもしれません。でも「できるかどうかよりやるかどうか」が、今までのテーマに生きていくテーマdした。
この先もそうやって生きていきます。この分野は、私にとって、かなりハードルが高いのは事実ですが。
価格は跳ね上がります。その時に、通商産業省が何をやったか。
ガソリン・灯油・軽油等を白油と言います。A重油・B重油・C重油を黒油と言います(軽油は黒油に入れることもあります)。産業の停滞を極度に考慮した通商産業省は、黒油の価格を大幅に引き下げ、その下げた分を白油に乗せました。これが有名な油種間格差です。ガソリンと軽油にはこれにガソリン税・軽油税が乗りますので、とんでもない油種間格差になります。これが後々、この格差をなくす時にとんでもない苦しみを石油業界に与えるのですが、通商産業省は知らないふりです。それどころか、石油業界がガソリンの利益がありすぎると司法に訴えられたとき、通商産業省は、「自分たち知らなかったことだ」としらを切りました。よく言いますよ。
石油製品は連産品なので、ガソリンだけとか、重油だけとか取り出すことが不可能です。でも、元売り各社は白油、特にガソリンでしか儲けられないので、製油所装置の白油化を進めます。また、黒油の赤字を解消したいためにガソリンの増販を図ります(灯油は冬だけなので)。それに昨日申し上げた生産枠があります。販売量よりも生産量の方が多い元売りは大儲けです。逆もまた言えます。
さらに通商産業省は、バカなことに激化するガソリンスタンド業界を守るためにスタンド枠を設定します。一つガソリンスタンドを潰さないと一つ建設をしてはだめだ、というものです。次には、同じ系列(出光興産なら出光興産のガソリンスタンド)で一つ潰さないと、新しいガソリンスタンドの建設は、できないという規制も作りました。官僚というのは、自分たちの仕事を楽にするために規制を作るのが好きですね。油種間格差で利益を縛られスタンド枠で一番儲かる油種を制限された元売りは、どんどんおかしな運営に迫られました。
お金ふんだんに使ったイベント花盛りです。週末になるとどこかのガソリンスタンド、パンや卵などをお客様わたすので、主婦は大喜びです。
そしてさらに、最も愚かな施策「マーク変え」をし始めました。マーケティングのマの字もない石油業界は、若い人が育たなくなりました。我國はまるで社会主義国家のようになりました。その時にまともな商売でネットワークを拡充させていったのが宇佐美の親父なんです。ぐだぐだの石油業界へ反旗を翻したのです。石油業界唯一の真実の登場です。つづく
まだ、あまり都市開発はされておらず、今のららぽーとがあるところは、阪神パークでした。フラミンゴやカミツキガメがいましした転入手続きは、西宮市役所鳴尾支所でやります。
この支所すごいんです。大典記念の碑があるんです。つまり、第日本帝国憲法発布記念です。
それと鳴尾小学校は日本一古い歴史があるとか(知らんけど)。森繁久彌さんも卒業されています。一面がいちご畑だったそうですが今はその面影はありません。鳴尾町になったのが明治二十二年(1889年)です教育勅語が明治二十三年ですからそれより古い。いちご狩りが始まったのが大正八年(1919年)です。すごい歴史ですね。
鳴尾や甲子園近辺にはとても住みみやすい。学校が近い。大きな病院がいくつかあるのでクリニックもたくさんあります。医療の質も高い。そして、買い物がとても便利です。つまり、住みやすさ三種の神器が揃っています。
私の息子など、小学校・中学校は歩いて3分。高校は歩いて5分です。
それと、上鳴尾墓地には、なんと、鳴尾村初代領主 佐々成政の十三供養塔があります。すげ〜。知らなかった。佐々成政は、秀吉に運命を翻弄されました。でも、決して暗愚な武将ではありません。
明日観に行こうっと。ねっ、鳴尾って素敵でしょ?私は、鳴尾と甲子園しか知らないから。だって、西宮っ広いんだも。
あっ、一つ訂正。この前、太平洋と日本海の両方があるのは兵庫県しかないと書いrたら、読者からクレーム。山口県もでした。修正してお詫びします。申し訳ございませんでした、
まず、古いものを捨てられない。旧宇佐美の本社前のスタンドに2階はまるでガソリンスタンド博物館です。創業からの計量器やらなんやらがたくさんしまってあります。もう処分したのかな。へー、これは初期の計量器から〜とか私はとても勉強になりました。一度しか入ったことはありません。なかなか連れて行ってくれません。
次に、出張先で拾い物をしてきます。特に、石を。東北に出張の行った時のことです。花巻空港で降りて青森まで、業者の車でスタンド用地を探しにいきました。河原に大きな石がありました。生半可な大きさではありません。それをトラックを雇って、自宅の2話まで運ばせるのです。何十万円もかかります。まあ、酒は飲まないし、博打もしないし、女遊びもしないからいいんですが。
最後に・・・。
ある時、また、支店に電話がありました。「宝徳、すぐ来い」。また野菜かなと思いましたが、その時は、野菜の植え付けや刈り取りの時期ではありません。いきました。「今度はなんですか?」「大変なんだハイオクが出たんだ」。「ハイオクが出た?」「バカ、ガソリンのハイオクではない。廃屋だ。槙の木とか良い気がいっぱいあるし、古い家だから古物なんかも残っているかもしれんぞ」「出て行く時に金目のものはもっていったでしょう」「なんでお前は、確かめもしないでそんなことを言う。とにかく今から調べに行くぞ」「って、勝手に入ったら怒られるでしょう」「・・・・・」
「まさか親父さん、その廃屋を買ったんでは???」「とにかく来い」「あっ、買ったな」まあ、いいけど。
「なんで私がそんなことで、こっちまで出て来なければいけないんですが」
「頼む。付き合ってくれ」
「(どうせ、社員の方々には頼めなかったんでしょう)」
と向こうを見てみると、社員の方々が何人も、遠くから私の方を見て手を合わせて拝んでいます。特に、ちーちゃんの部下が😆。
着きました。ボロボロの家です。出て行ってから数年が経っているみたいな。確かに、槙の木は、見事です。槙の木は、葉に水分が大量に含まれています。その歯も、とても言う良い具合に生い茂るので、隣家が火事の時に延焼を防ぎます。千葉県館山市に行くと、ほとんどの家屋が槙の木です。
家の中に入りました。巻物とか、屏風とか、古文書らしき物とか、陶器とか・・・。
親父さんは、それをかき集め、車に載せます。「宝徳、行くぞ!!」
「どこにですか?」「本社に帰るのに決まっているだろう」
宇佐美本社に帰りました。一番大きな会議室に「獲物」を入れます。親父さんは「なんでも鑑定団」に大変身。社員の方々もみにこられますが、すぐに会議室を出ていきます。とうとう会議室には、親父さんと私だけ。二人はこのオチのない展開をどう納めようかと必死です。
えっ? この事件はそれでどうなったかって?二度とこの件に関しては誰も口にださなくなりました。
それにしてもあの、大量のゴミ、いえ、獲物はどなったのだろう?あの廃屋は、どうなったのだろう?まあ、親父さんは可愛いからいいや。今回は、落ちを無理やり作ってる😀。親父さんにもこんなことがあるんです😆
大体、中学以上は、国公立学校なんていらない。適塾のように民間に任せればいい。教育事業は活性化するでしょう。そして、くだらない文部科学省を廃止し、今の、国公立学校を民間に売却すればいい。売れるかしら笑。文部科学省や国公立にかかっている予算の削減です。減税の財源にもなります。えっ、そんなことをできるのかって?ハーバードもMITもUCLAもみんな民間です。そして研究費を出すのも民間です。利権が欲しいだけの官公庁はやめた方がいい。
我國が、明治時代に数少ない失敗した事例は、支那の科挙をかたくなに否定していたことを、天皇家に反して導入したことです。まだ、武士が残っていた時代は良かったのですが、昭和の軍事が官僚化し、海軍のハンモックナンバーとかをつくり、敗戦に追い込みました。
そして、もっと日本に陸海空軍を民主主義に対抗できる高貴な存在にします。文部科学省などを廃止し給付型の奨学金を拡充し、前に向いて勉強をする人間だけに支給します。なんで、高校無償化とか言って、ズボンをずり下げたりおかしな格好をする高校生に私達の払った税金を与えなくてはならない。
おっと、また前置きが・・・。今日は、クラウドでしたね。クラウドには2種類あります。
「Cloud」と「Crowd」です。ITを勉強し始めると言葉を覚えるのが大変です。それと同じ言葉なのに、普段使っている言葉と意味が違うとこれまた混乱します。 図解しますね。
ドロップボックス チャットワークなど。 クラウドファンディグなど。
みんなに提供 みんなから提供
この2つが合体してAIができました。ネットワークの進化がAIを可能にしたのです。
手くそな図🥲。では生成AIは? (つづく)
アップストリームは儲かるので原油からガソリンや灯油等を作る製油所が雨後の筍のようにできました。本当に小さな製油所まで。過剰供給になるので、通商産業省(現 経済産業省)が規制に入りました。
過剰供給でいいのです。経済成長を図りながら、少し多めの過剰供給の社会を作ると、国民は、稼いだお金で、通常より安い製品を買うことができます。すると需要も供給もより盛んになりさらに経済が発展します。それこそ格差も少なくなります。
かつて日本の家電メーカー市場がそうでした。家電会社の数が多いので、競争が激しく、どうしても販売価格が安くなります。そこに1億総駐中流社会になった、民間消費経済が、三種の神器と言われる家電や車を求めて購買にはしります。「豊かで幸せ」です。家電メーカーの社員もやりがいを感じました。
需要が豊富に存在する我國 日本では、企業はあまり外に打って出るということはしなくてもすみました。
そこで得た利益を海外に投資をしました。なので、我が国は、世界最大の債権国家となっています。官僚がいらんことをせんでも民に任せておいたら、民は自然と自らで再編していきます。今は、官僚の豊かと幸せです。ふざけるな。
さて、生産枠石油業界に何が起こったか。
例えば、我が出光興産は、シェアが15%ぐらいあるのに、生産枠は13%しか持ちません。逆にエクソンなどは、6%ぐらいしか販売シェアは持たないのに、生産枠は8%ぐらい持ちます。その2%を業者間転売玉(業転:ブラックマーケット)に流して出光は日本石油は、その高い市中玉を買うのです。小さな精油所会社もブラックマーケトに流します。
自らの製油所で精製した方が遥か安いのに。さらに余ったものは、余っている業転玉を卸業者などが買って、ガソリンスタンドの直接売りいきます。スタンドは買います。これを他社外と呼んでいました。元売りがガソリンスタンドに売る「卸価格(建値:たてね)よりはるかに安い。買わないまでもこの価格を示されて元売り担当者は、価格交渉をせざるを得なくなります。極端な話をすると、「いい仕事」ができなくなる機会費用が発生します。そうです、業界全体でコストアップします。まさに、数日前にこのブログでお伝えした「合成の誤謬」です。」
佐三店主が「石油業法は天下の悪法」と呼んだ理由がわかります。
さて、その生産枠に、オイルショックが拍車をかけ、そして、マーク替えという本当に情けない仕事が出てきます。では、次回はこの仁義なき戦いを。つづく
国民を豊かで幸せにする導き
今の政府・財務省・日銀は、
国民を貧乏で不幸せにする導き
です。なぜかわかりますか? 日本のあり方より、」自分ちのイデオロギー(利権と大衆迎合主義)でミクロ経済ばかりに目が入って、マクロ経済をほとんど知らないからです。まあ、最も戦中から戦後にかけてマクロ経済をしっていたのは、高橋是清、池田勇人、安倍晋三ぐらいです。昭和恐慌の時でも、バブル崩壊時でも、その対策の打ち方はいくらでもありました。宮沢喜一なんで平成の高橋是清などとメディアが持ち上げましたが、とんでもない。ただの東大文科Ⅰ類を鼻にかけるただのじいさんです。おっと、また前置きが長くなる。
※みのり:西宮市役所鳴尾支所の東隣にある、小さな小さな持ち帰り弁当の店です。今回紹介しているお店は、みんな撤退して欲しくないお店です。よくありますよね。ガーと店を解体しているところに出くわすと「あれ? ここ何があったっけ」て思うことが。今回紹介しているお店はみんなわかります。私だけではなく、鳴尾町の住民なら。
みのりもそうです。ご年配のご婦人二人と若い方一人でやられています。この若い方たが注いでくれればいいのですが・・・。
美味しいんです。安いんです。愛情がいっぱい。数ヶ月前少し値上げされましたが、ご飯おかず。おかずセット。いなり寿司(いなり寿司好きの私にはたまりまえん)。などなど、種類は少ないですが優しい優しい接遇と共に「ああ、来てよかった〜」と思う店です。私は、かみさんが出かけている時は必ずここで買います。
※おきらくや:鳴尾の隧道を駅方面から降って国号43号線を潜ったら東側にでます。2分jほど歩くとあります。お好み焼き屋さんですが、鉄板焼きの種類もたくさん。お姉さんが一人でやっています。味は、なかなかです。ひとつまみしながら1杯やるのが楽しいです。時々お姉さんと会話しながら。
※不思議な居酒屋その1:鳴尾駅の北側に出て、う〜ん、案内できない笑笑。その名も「ごはん」。お昼しかやっていませんが、また、民家みたいなところですが味は抜群です。そして、温かい接遇も、いってらしてみてください。見つけた人には私から素敵なプレゼント。この店いいんですよね〜。
※不思議な居酒屋その2:それを言うならうちよ、と言われそう今度は鳴尾駅の北側に出て西に言ってください。ここも見つけられるかな。「ごはん処さわ」。先ほどの「ご飯」もそうですが、そもそも一人でできるメニューの量ではない。火曜日定休日です。「なんでもできますが、できないものはできません」がコンセプトなのかなあ。そうやって書いてある」
お酒もあるでよ。
※カレーその1:ナナイカフェ。鳴尾駅南口から降りて、あれ何線なのだろう。とにかく南東へ。そうだ!ヤクルトのすぐ南にあります。ベジタリアンのカレーです。小さな小さな店ですが、ママさんが自信を持って私たちにカレーを食べさせてくれます。
何線って言うんだ。学文道筋?を北側に行って国道43号線越える歩道橋を西側から渡ってすぐのところにあります。ビルの中だからわかりにくいかな?淡路島の玉ねぎを使っています。私のかみさんがファンの店。私もこっそり行ったけど、うまいわ。まあ、鳴尾にまずい店を作ったら、高齢化の前に潰れます。やっぱり玉ねぎとうには淡路島が一番うまいね。
※アルバトロス:鳥の名前なのかお母さんがゴルフ好きなのか。一つ前の淡路島カラーと学文道筋を挟んでトイメンにあります。汚い喫茶店。でも料理は抜群です。ここもお母さんが一人でやっているのに、よくこれだけのメニューをこなせます。お昼時は結構いっぱい。11時半からだから早めに入ってね。
まだまだ私が知らないだけで、たくさんあります。また、気づいたら紹介しますね。ねっ、鳴尾は田舎だけど豊かでしょ?政府・財務省・日銀がこんな政策をしても。
なぜ。個店のB級グルメを書くか。それは「民が豊かに幸せにやるか」住んでいる人が決めることで、政治家や官僚が自己満足を味わうことではありません。評価基準を変えたら?
年寄りは、若者の邪魔をするのではなく、若者が生きやすい世の中作りにをサポートしていくことです。
出光興産株式会社最大の取引先(それも卸売ではなく小売で)、宇佐美との取引は結構揉め事もあります。親父さんは、揉めるのは好きではないので・あまりませんが、一度怒るとすごいのです。私は、厳しく教育されたことは多々ありますが、怒られたことはあったかなあ。
T課長(女史)とはよくやり合いました。この人宇佐美の4,000億円の資金を一手に回しています。だから銀行の扱いがすごいのです。東京ドームのVIP席なんかもらうんです。
親父さんは実印まで預けています。「もし、社員が裏切ったらそれはそれで俺の責任だ。信頼してなかったし、それなりの処遇をお願いしていなかったからだ」。と。よくできますよね。私は、最初、T女史は、親父の女かと思ってました。それとなく親父さんにいうと、「いくらお前でも許さんぞ」と言われました。だって・・・・・
T女史は、親父さんの仕事に惚れて結婚もしなかったんですもの。親父さんは、娘さんが専務を養子に娶るまでは、彼女がいたらしいのですが、その後は、一切女の影はなかったそうです(知らんけど)。
また、ある時、スタンド用地の買収折衝にT女史がいきました。相手との折衝の中で、相手がカマをかけて裏金を取ろうとしました。T課長(面倒だから愛称のちーちゃんでいきます)が、「はい?、お金?1,000万円、1,500万円?どっち」と言ったら相手はびっくり。本当に出したかどうかは知りませんが。その迫力たるやすごいのです。ちーちゃんがヘソを曲げたら社内外問わず、金が一銭も出ません。各地の宇佐美の専務さんたちもちーちゃんには優しかった。あの恐ろしい連中が笑笑。
あと、ちーちゃんは経理課長なんですが、肩書きは「課長」です。親父さんに「なんでですか?」と聞いたら。そういえば営業部長も「部長」なんです。「名前をつけたらその仕事しかしなくなるだろう」とそれだけ。
でも、優しいんです。親父さんと出張に一緒に行く時なんか、ちーちゃんは、私に「はい」と言って毎回五万円くれるのです。「これは、もらえないって、ちゃんと会社から日当とか出るから」。「いいのいいの。親父さん一人で行かせるよりあんたがいてくれたらどれだけ安心できるか。いつもありがとう。なんかあった時は使ってね。そのために渡すお金だから。親父さんはさあ、財布を持たないんだよ。でも、もっている時は裸のボケットに百万円ぐらいあるけど、持ってない時は0円なんだよ笑」と言ってくれます。
出張から帰って、その五万円を返そうとすると、「なんの話?そんなの渡したっけ?」と言います。さすがですね〜。
もめる時もそうです。「ものすごい迫力」でもめるのですが、18時になったら、「はい、終わり。ご飯行こう。親父さんと言ったらジョナサン(この頃は不味かった)だから、私と行こう」。と、デートに誘ってくれます。友人の美熟女も誘ってくれて笑笑。
ちーちゃんと行くとうなぎとか焼肉とか美味しいものばかり。それも抜群に。
ある時、親父さんが、「宝徳な、近くに京都料理の店ができたらしいんだ。一緒に行かんか」。親父さんと京都料理でデートです爆笑。
「えっ、ジョナサンではなくて」と言ったら。
「なんのことだ?」と言われました。自覚がないのかも。
その京都料理で、鯛の兜煮を親父さんも注文しました。「わーい」と思っていたら。突然、親父さんがまたまた。
「宝徳、これは、鯛の兜煮ではない!!!」と言い始めました。
「でも、美味しいですよ」
「鯛の兜煮は、もっと濃いだしがチュンと鯛に味が染み込んでいるはずなんだ!店長呼んでこい!」
また始まります笑。この頃の私は、親父免疫療法でだいぶ抗体がついています。店長を呼ばずに済ませました。
私「(これは京都料理やん)」 親父さんこの味を楽しみましょう」
というと、「おー。でも、俺は本物の鯛の兜煮がたべたい」
私は心の中で「これ「も」本物の鯛の兜煮やんか」と思いました。でも、親父さんと食べた京都料理はおいしかった。
次の日、ちーちゃんが、「昨日、何食べた?」と聞いたので、「◯◯の京都料理」と言ったら、ちーちゃんは知っていました。親父さんより早く。
ITはど素人の私が偉そうに書いています。このブログ記事は、とてもしんどいです笑笑。でも、こういう風に勉強しないと、「勉強方法」が見つからないのです。
試験勉強などは、どうしてもインプットという「入口」が主体になります。それはとても大切なことなのですが、素人にはそれだけではかなりきつい。
私の出身高校(福岡県立福岡高等学校)は、進学校なのですが、ガリ勉を否定します。かなり自由に本人の責任で生徒に自主的に勉強させます。先生は、進路の話は聞きますが、何人かは「東京大学理科Ⅲ類」でいいとですか?と平気で聞きます
担任は大笑いしながら、「なんばいいよっとか!!! お前の成績でどげんしたらそんなところに合格するとか。 馬鹿な考えは捨てて他のところにしやい」。
生徒は「高校の成績で自分の生きたかところを考えないかんとですか? 未来はかわるっちゃろうもん」というやりとりが平気で起きます。馬鹿ですよね。
受験対策用の授業はなかったような。予備校に行く人間は当時はほとんど皆無です。「なして塾に行かないけんとや。そげんやったら高校に来る意味がなかろうが」と。今は、知らんけど(大阪弁)。高校の横に現役の教師が、アルバイトで講師をする予備校のようなものが食堂の2階にありました(今は知らんけど笑)。みんなそこで浪人していました。ばってん、先生が「受験のために高校三年間を過ごすのはやめやい。三年間高校生活を楽しんでくさ、一年間で必死に頑張ったらお前らの頭やったらどっかに入れようや」と言っているんです。だから受験勉強を始めるのは三年の10月からでした(今は知らんけど)。福岡高校生が命をかける体育祭が9月下旬にあるからです(今は知らんけど)。
私は、おそらく東京や大阪で受験期を過ごしたら、大学に行けてなかったかも知れません。
その代わり授業が楽しい
化学(それも有機化学)の先生「はい、それとそれをフラスコに入れて〜。はい、舐めてみて〜。死ぬけん」と言います。でも、この方は、教科書はつあらん(つまらん)といってご自身で手製の教科書を作成していました。200ページぐらいの。今でも持っています。ありがたくて捨てられません。お名前は小林先生でした。私の一番好きな授業。
英語:二人先生がいて、一人は、熱心に教えてくださいましたが、受験指導は、全くしませんでした。他の教科もそうですが、全体的に私たちの成績が落ちると教師総揃いで体育館に集められて30分ぐらい「もっとがんばりやい」というだけで、はい解散、です。
もう一人の英語の先生、英語なんか習ったことがない。いつも、話が脱線して、その話がとても面白い。特にこの先生に受験というのは期待していませんでした
あっ、もう一人いましたテニス部顧問です。何を話しているか皆目見当がつきません。でも、この人のお嬢さんが、テニスの全国大会選手なんです!超絶美人なんです。私なんか歯牙にもかけてもらえてないかなあ、と思っていたら、一回も話したことがないに声をかけてもたったのです!!!
同じ福岡県東公園です。じの東公園のコートで試合をしていてその途中に話しかけてくれたのです!!!!。「ねえ、どうだったの?試合は?」と声をかけられたのです!!!!!!!!
天にも昇る気もでした。「優勝しました」と答えると、「わあああああーおめでとう!!」と言ってもらえました。女性のことを何もしらない私の初恋です笑笑。私は朴念仁です。無茶苦茶うれしかったのですが、それに応えることが・・・。ただのバカです。
閑話休題。
地学:旅行の話ばかりします。でも、その場所その場所のことがわかって(歴史も含めて)、なぜこんな建物があるかなんかもわかって、とても楽しかった。私の大学生時代の一人旅好きは、この先生のおかげです。
歴史:この人も裏話ばかり。これがまた面白い。「マホメットはくさ、イスラム教を作る時に二十六歳年上の金持ちの女の人ばたらし込んでくさ、その人の金で布教したとばい。
とか、なして大航海時代が始まったか知っとるや。オスマントルコがでけたけん、アジアからスパイスが欧州に入って来んくなったったい。そやけん、それを取るためったい」。本当かどうかネットがない当時は、調べる術もありません。
こんなの枚挙に暇がないのですが、勉強に興味を持たせる人間性豊かな先生たちが活躍していました(今は、知らんけど)。
何を言いたいか。「勉強に興味持てば、その人間は、育成した豊かな人間性で、自らの『勉強方法』を見つける」ということを高校で生んだのでした。「自分で考え、自分で決めて、自分で責任を取る」という考え方も。
えーい、私のブログは、前置きがながすぎる。これも高校時代に学んだことったい笑。
明日は、前置きはなしにして、今日のテーマのクラウドを書きますね🥲。すみません。
私の関わった案件で、こういう事例がありました。
「基本合意」で「◯千万円」と書いたのですが、そこから譲渡し物件にある不備が見られ、一時は、M&Aが不成立となるかという事態に陥りました。譲渡し側はある事情でとうしても売りたい。譲り受け側は、事業時代のキャッシュフローの高さからどうしても書いたいという気持ちが強かったので、価格交渉の前に何か打開策がないか話し合いました。結果としては、譲り受け側が講じた対策で、なんとか合意にいたり、当初の6割の価格で決定しました。
もし、この事実を譲渡し側が隠していたりしたら、最終契約のときにとんでもないことになったでしょう。
なので、バリュエーションやDDは、絶対に必要です。何千万円の取引をするのにこれらの費用を惜しむのは得策とはいえません。
本当に小さな企業のM&Aなら、FAや仲介とよく相談してください。規模が小さければ簡易DDも検討できるでしょう。
たこ焼き屋の話の前に、為政者とは、民を豊かに幸せにすることと申し上げました。
西宮市は、それに近いと思います。みんな幸せそうに生きています。
問題は、国政です。いくら地域で尽力しても民間経済を豊かにしないとその地域の尽力は、ほぼ無駄になります。私たちの若い頃は、経済を成長させていた(経済は勝手に成長しない)ので、三公七民でした。つまり、国が吸い上げる金は3割で、民間に任せるのが7割です。なので、民間消費経済がGDPの6割以上ありました。今は、六公四民なりつつあります。
みんなん消費経済は、5割に近づきつつあります。
繰り返し申し上げますが、かつて日本は、世界一高い物価でした。でも、経済が伸びているので、おの物価高が気にならなかったのです。だって500万円稼いだら3割負担として350万円使えるのと500万円稼いだら250万円しか使えないのとでは、違いますよね。かつては、女子でも(変な意味ではないですよ)少し働けば、500万円ぐらいはゆうにに稼いでいました。経済が伸びていたからです。それを実現したのが池田勇人総理大臣です。おそらく敗戦後最も優れ田総理大臣でしょう。彼がいなかったら、日本は共産主義のようになっていたでしょう。今は、そうなっています。
経済が伸びてもメディアは重箱の隅つつきます。何も考える力がない野党はそうだそうだと騒いでいました。格差が広がると。経済成長とは、底上げです。これまで所得が低いった人が上がるのです。底上げするのです。1人あたりGDP世界第三位でした。上位はルクセンブルグと(後、どこだっけ)とかの2位は、小さな国です。大きな国では日本しかない「1億総中流社会」という資本主義にとっては夢のような国をつくりました。今では、韓国の後塵もはいしています。
昨日の読売新聞に、アホな財務官僚が「国の経済は破綻寸前である」と言っていました。「お前らが使いまくっている『政府の経済』の間違いだろう」「お前らの金の使い方が悪いからだろう」「吸い上げて分配するな」「民間のことは民間に任せろ」「あんなに申請が複雑化している補助金なんか、誰も使わなくなる。なら一律減税をしろ」
日本の官僚は、かつてとても優秀でした(官僚特有の癖はありましたが)。俺たちが日本を背負っているという自負もありました。今は、利権だらけです。官僚はかなり頭が悪くなっています。もう、東大生も国家公務員なりたくない時代となりました。なってもすぐに辞めてしまいます。その馬鹿な官僚の言うことに経団連とか経済団体同友会の「新浪(という漢字でしたっけ?)が同調します。リーダーが育たない国になりました。
これでは、地元でどんなに美味しい料理が開発されても、それを買う資金が民間にないので、デフレ経済ではどうして価格を安く抑えます。すると従業員の給料が減ります。政府は自分たちに原因があるのに「給料をあげろといいます」。これが共産主義唯一の世の中を衰退させ戦争の原因になる価値観
「労働価値説」です。
共産主義で崩壊しなかった国はありません。
ここまできて閑話休題です。すみません。長くなりましたので、美味しい鳴尾の店は明日紹介します。
※美味しいカレー二件
※アロバトロスというおばちゃんがやっているお店
※お好み焼きの店(名前を失念しましたので今日見てきます)
※隠れた秘密の店(なんか不思議な店)
※鳴尾駅北側の店(これも隠れた名店)
先は金融・保険、製造、サービス、医療等といった非IT企業が半数以上だそうです。
私は今、「応用上処理技術者」といった、情報処理技術のどちらかというと、「入口」に位置している資格試験を勉強中ですが、このSGも同時に受けます。
民を豊かで幸せするための導き
です。
戦国時代の寺は。博多の寺、滋賀県琵琶湖周辺の寺、奈良の寺、石山本願寺、比叡山等は、設けた金で地域の中央銀行としてその地域を牛耳っていました。では、なぜ、信長はそれらを攻めたのか。
戦国武将で「天下統一」の考えを持っていたのは、信長だけでした。他の戦国武将は、天下を統一するなど、その考えも持ちませんでした。なので、他の地域で誰が何をしようと放っておいたのです。
信長だけ(あまり戦はじょうずではなかったが)は「天下布武」を掲げましたから、その寺の存在が障害になります。また、放っておくと諸外国に攻められてしまます。日本の国を強くするためには当たり前の経済原則である「人・物・金・情報」の国の経営資源のサイクルを「大きく太く早く回す必要があったのです。なので、全体最適ではなく部分最適である寺は、かえって庶民を苦しめることをしているのです。数日前にこのブログに書いた「合成の誤謬」ですね。
天下統一に向かっている信長には、他の武将はそうみえました。まさに、
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや
(燕や雀のような小さな鳥はワシのような大きな鳥の気持ちなどわからない)
です。
信長のコンセプチュアルスキルに気づいた秀吉と家康は、天下を統一しました。
閑話休題。
繰り返し申し上げます。兵庫県って、県民の誰かを幸せにしていますか?政治は政治家の都合、行政は官僚の都合、企業は経営者の都合などなど。
もう一度言います。支那人は理想論だけ語っていますが、なかなか含蓄があります。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや
おっと店の紹介だった。明日ね。
出光興産株式会社に入社市、福島県郡山市の 郡出張所に赴任しました。小さな小さなガソリンスタンドの2階が、事務所です。ガソリンスタンドは出光興産株式会社の直営です。
この本来なら販売店の手本になる直営なのに、それはそれは酷いものでした。私たちをのぞいて全部で5人いました。少ない販売量だったのに、今では考えられないぐらい大人数です。やはり資本財の発達ってすごいですね。
古代から、人類は、労働生産性を資本生産性に置き換え、労働力を別の産業に置き換えることやってきました。それが人材の流動化です。今の人を辞めさせてはいけないという、労働関連法規は、経済の原則かはずれています。省庁というのは馬鹿ばかりです。
例えば「紙の発明で」す。それまで暗号でしかなかった支那の文字はどうしていいかわからなくなったでしょう。今の、ネット社会への変革などとは、比較にならないぐらいの変化でした。
青銅器から鉄器への変化もそうです。鉄器が出ていた時には相手側は、凄まじい恐怖だったでしょう。その後も枚挙に暇がありません。この技術革新の動きを止めようとすると必ずその人間集団は滅んでいます。
石炭から石油への変化もそうでしょう。
でも、石油は戦略商品でありすぎました。石油産業が産声を上げてから、一度も豊かな石油産業であったためしがありません。今、需要が減退して、衰退産業になってからが石油業界にとって一番良い時代ではないでしょうか?それを書いていきますね。
それにしてもこの郡山直営は酷かった。所長が全くやる気がないので、みんなしらけていたのです。5人がショップルームの中に入って、座ってタバコを吸っていました。
その日、独身寮に帰るときに同期のO君と「明日からはガソリンスタンドの最高のサービスを「魅」せてやろうぜ」と誓いました。私たちの楽しい郡山時代の始まりです。
これは、「企業価値評価・事業価値評価」です。いいですね〜。
きちんと「経営」と「事業」が分かれています。それが意識されているかどうかはわかりませんが。
「経営」というと、「会計」と勘違いしている方がたくさんいます。経営とは、リスクマネジメントそのものです。「戦略や目的」がないと経営者の熱い思いが社員等ステークホルダー(利害関係者)に伝わることはありません。「すぐれた理念に基づいたオーナーシップがないとその戦略や目的がリスクにさらされた時に企業は右往左往します」「戦略や目的にもどついた目標になっていないと、何をやっているのかがわからなくなります」。これだけではなく、今の政府の過度な負担の吸い上げに対して効果的なキャッシュフローマネジメントが行われていないと事業に投下できるお金がなくなり結果的に企業自体が衰退します」。その他にも、「知的財産権の保護」「労務問題へ対応」「災害対応(BCP)」「サイバーセキュリティ」「事業承継問題」等、枚挙に暇がありません。
つまり的確な経営がないと事業が動かなくなるだけではなく、事業が長続きしません。
これらのリスクが「潜在的なリスク(グラデュアルリスク)」であるときに経営者は対処しなければなりません。事業についてはもうお分かりだと思いますので割愛します。
それらの企業活動を数字も含めて評価したものが「企業価値評価」です。今、恒常的に動いている事業を評価したものが「事業価値評価」です。私は、企業再生を多くやっているので、この二つはかなり関係してまいりました。
素下、数字面で評価する手法に時価純資産法やDCF法(ディスカウントキャッシュフロー)があります(詳細割愛)。
M&Aでは当然「いくらで売った買ったかが」当然の如く重要視されます。なので、後々、譲渡し企業にも譲り受け企業にも不平不満がでないためにも、(完全に客観的は無理ですが)このバリュエーションはしっかりやっておきましょう。
(以下、IPA NEWSより)
施策は多岐にわたりました。「セキュリティ保険の増額」、「セキュリティ体制に関する外部監査の実施」、 「情報セキュリティや個人情報保護の規程」、「運用マニュアルなどの見直し」といったソフト面のほか、「全端末のログ監視」、「パケットの振る舞い検知システムの導入」、「電子証明書が発行された端末のみネットワークに接続できるようにする」など、ハード面も整備。そして、これらと並行して進められたのが、「SG を活用したセキュリティ人材の育成」でした。
(以降割愛)
この隈病院はすごいですね。実際に診察を受けていても、人間ではできないことがITでやられている感じがします。ここからは私見です。
医療の世界は特殊な世界であり、コンサルタントなどが対策を支援するにはとてもハードルが高いと思います。ただし、もう一つ。医師やコメディカルは、医学は知っていますが他のことは何も知りません。医学の中でも、自らの専門性しか知らない方がおおいのす(医療関係の方には申し訳ありません)。昔、ある病院のコンサルとしていたときのことです。夜中に急患が来ました。当直の医師に診察を頼むと(おそらく風邪なのに)、「僕専門外だからと言われました」
こういう状態でITの技術を身につけるのは、医療関係者にとって酷なのではないでしょうか? また、医療は厚生労働省に対するデータを活用した報告がものすごいんです。そこで不備が見つかると保険点数が削られてしまいます。
これをコンサル等の支援者がやろうとすると、「豊富なコンサルティング経験・技術」「医療知識(ある程度の)」「医療事務(とそのデータを厚生労働省への報告だけではなく解析する方法)」「IT技術(ホワイトハッカー)」「(そこが病院なら)病院組織の運営方法」「医療財務」等を知るスーパーコンサルが必要になるでしょう。その無謀なチャレンジに挑戦しようとこの六十六歳の老人は考えながらかなりのプレッシャーを感じています。
今回は、医療のお話をしました。これが運輸会社(特にタクシー・パス)」ではどうでしょう。これまた国土交通省に膨大なデータを報告しています。
つまり関係省庁は、((必要なことではありますが)自分たちの仕事のために「患者様やお客様へ目線を向ける指導はなされていません」。担当省庁は、上を向いて仕事させている平目業界を作ろうとしています。その点この隈病院は、素晴らしい患者サービスを展開させています。感服します。
名古屋支店勤務の時に、どうしても行く必要に迫られて、ゴルフに行きました。平日です。ゴルフの話はどうでもいいので割愛します。
次の日に、宇佐美本社に行きました。
「おはようございます」と親父さんに挨拶をしながら、社長室に入って行きました。
親父さんは、機嫌が悪く、目も合わせてくれません。
「どうしたんですか?」
「俺はなあ、平日にゴルフをしに行く奴は大嫌いだ」
「親父さん、私がゴルフをしないのはご存知ですよね。昨日は、どうしても・・・」
と行った瞬間に
「言い訳をするな!!!」という言葉が返ってきました。
それからもずっと口を聞いてくれません。かなり長い時間が経ったあと、
「私、もう帰りますね」と言いました。
「なんで帰る」
「だって、親父さんの機嫌が悪いし、口も聞いてくれないから」
「お前は、俺が機嫌が悪くて、口も聞かなかったら帰るのか」
「(何この言い方。めんどくせぇ)」と思ったけどそんなことは怖くて言えません。
「いいから、ここにいろ」
しばらくすると、親父さんは、どこかに行ってしまいました。トイレかなあと思っていると、返ってきた時には、大量のゴルフボールを抱えていました。
「(なんでゴルフもやらない親父さんがこんな大量のボールを持っているんだ。何をされるんだ。これを大量に投げつけられるのかああ)」
「ほら、これやる」と、その大量のボールをくれるではありませんか(爆笑)。
「だから、私が、ゴルフやらないのは、知っているでしょう。いただいても無用の長物です」
「せっかく持ってきたのにか」
こういう時の親父さんは可愛くて仕方がないのですが。「(さっきの機嫌の悪さはなんだったんだ。言っていることとやることが違うやん)」と思いました。
結局、支店に持って返って、支店長とか課長さんとかにあげました。「親父ボール」と呼ばれて人気がありました。
家に帰って、カミさんに、この話をしたら、うけたうけた。「よかったじゃん、恋人からいっぱいごフルボールをもらって。でも、あなたが親父さんを大好きになる気持ちはわかるわ。今度、宇佐美さんから電話がかかてきたら、笑いを堪えるのに必死だわ」。と腹を抱えて笑っていました。
でもどうしてあんなに親父さんは怒ったんだろう? いつか天国に行ったら教えてね。って、親父さんはもう忘れているかも。ねっ、親父さんのことを私に語らせたらキリがないでしょ。
① 鳴尾駅の近くにあるTEPALという定食屋。ここのママが作る(経営者は別にいる)、いくつあるんだろう、和洋中のメニューは抜群に美味い。安心する味です。900-1900までやっています。定休日は日祝日。初めて行った時、最近泣くなったお店のことをママと話していました。寿司屋の話をしていたら、そこの大将が、私の息子の同級生だと話すと、ママさんはその大将の、女将さんだということがわかりました。世の中狭いですよね。
② 家のすぐ近くの幸醤楼(かおじゃんろう)。ここも美味い。普通の街中華なんですが、なんでも美味い。中華ランチ、オムライス、トンカツ定食などの血色類、もちろんラーメンや、ちゃんぽんや、皿うどんや、餃子、春巻きも。昼時は、工事関係者とかでいっぱいです。
③ たまらなく美味いギャルソン。洋食屋です。ここのサンジェルマンセットはたまりません。あと、私の大好きなビーフシチューやタンシチューも。ステーキもあるよ。
④ そしゅうえん:やさしそうなおっちゃんとおばちゃんがやっている定食屋。お年なので、 1100-1500の営業で、日祝日は休みです。
⑤ ポポロ:立て付けは、焼き鳥屋です。でも、他のメニューも美味しい!!!1700営業開始ですが、1700に行ったらもういっぱいのことが多い。何を食っても美味い。それと、かなりママが美熟女です。それを目当てに来ているお客さんもたくさん。まあ、がんばんなさい笑。あんなにlきれいだったら、きっと彼氏がいます。
たくさんありすぎるよう。今日はこの辺で。つづく
ITの世界の競争は激しく、すぐに他の会社に買われたり市場から撤退したりします。我が社が付き合っていた企業も何件かあります。また、他社に吸収されたりすると、社名が変わります。これなかなか覚えられないんですよね笑。
独立行政法人情報処理推進機構(通称 IPA)という政府の外郭団体があります。IPAは、2ヶ月に一度(偶数月)にIPA NEWSという本を出しています。この本がなかなか面白い。ページ数も少ないので読みやすい。IPAに注文したら無料で(メールで)送ってくれます。
令和七年二月号に、医療のサイバー攻撃について載っています。兵庫県神戸市に医療法人神甲会 隈病院とういう医療機関があります。結構よい病院で、私たち家族も利用しています。特に、甲状腺の治療技術は高く、外来患者は、年間17万人を超えるそうです。
受付もとてもスムーズです。きっとITを駆使した医療体制なんだろうなあと思っていました。
二月号のIPA NEWSには、不正収侵入による被害を最小化するために、セグメントを細分化したり、リスク対策でUSBの使用を厳しくしたりしていました。さらにセキュリティポリシ―の徹底に向け、院内のネットワーク工事業者を一社に限定するといった対策を売ってきたことが書いてあります。内部のセキュリティ教育も徹底していました。担当リーダーは「これだけやれば大丈夫だろう」と思っていたそうです。
その自信が打ち砕かれたのが、2020年10月でした。大阪急性期総合医療センターで発生したサプライチェーンの脆弱性を突くサイバー攻撃です。隈病院でも早急に手を打たなくてはと思った理事長は、根本的セキュリティ体制を見直すこととしました。
さて、どんな具体策を講じたのでしょう。つづく
ある時、ある土地に、親父さんに連れて行っていただきました。まだ、セルフが出る前の時代です。すんごい販売量を売っているんです。なので、私は、親父さんに言いました。「親父さん、マルチ計量器(4本ぐらい給油のズルがでて、どこからでも給油ができる計量器)をつけてあげたらどう?」と言いました。親父さんは「そうだなあ」と言いました。するとある時、「宝徳、あの店なあ、マルチをつけたぞ!」と写真を見せてくれました。
見るとダブルの計量器(2器の計量器のホースを長くしている)が近接されています。「どうだ、宝徳、これがマルチだ」と。私は「無言しかありません爆笑」(さすが親父さん)。
こんなの枚挙に暇がありません。吉本新喜劇真っ青です
閑話休題
そのスタンドのオープンにもついていきました。オープンの時に、スタンド裏にあるイノシシ山に行きました。私もついて行きました。
親「宝徳、イノシシのあごどうなっている」
寳「しゃべるのようになっています」
親「そうだろう。ならな、このイノシシ山の柵はなあこの柵を1メートル以上深くしてあるはずだ。でないとイノシシが逃げてしまうだろう。宝徳、掘ってみろ」
というではありませんか。「親父さんダメだって、そんなことをしたらイノシシ山の人に怒られます」
親「誰がお前にそういう教育をした!!!。たしかめないで、考えもしないで、物事をするな!!!」
と言います。もうこうなったら親父さんは聞く耳を持ちません。
めんどくせえなあ。と、思いながら、宝徳くんは堀りました。案の定、イノシシ山の人が来ました。「あなた何をやっているんですか?」って。
振り向いたら馬鹿親父はその場にいません。その場なんとか逃れて探しに行ったらスタンドでアイスクリームを食べています(親父さんは、ソフトクリームが大好き)。
その時、親父さんは私に言いました。「へーーーー、怒られたな」と。
誰のせいだ!!! と、私は人の責任にしてしまいました。こんなの、日常茶飯事です。だから、社員が誰もついてこないんだ。と思いながらも、「今度誰かにやってやろう」とその誰かを想像していた私も親父さんの同類項です涙。
明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうかよろしくお願いします。9月末から少し体を壊しました。一生懸命ブログを書いていたのですが、12月18日で力尽きました。まだ、治っていませんが、なんとか書きます!!!
今年は、昭和百年です。激動の昭和期でした。明治維新以来ずっと激動だったのですが、明治期のそれはロシアや支那等に対してのものです。
でも、日露戦争が終わり、安心した日本は、世界最強の帝国海軍でさえ、上部が官僚化してしまいました。士官と下士官と兵はものすごく強かったのに、指揮官がバカでした。大東亜戦争は断じて侵略戦争などではありませえん。
でも、軍上層部の意官僚化によって、自らが滅んでいったのです。特に海軍が。山本五十六など予算取りの大蔵省の接待が上手かっただけです。作戦など何も知らない。東郷平八郎を雲泥の差です。山本五十六は「1年や2年は存分に暴れて見せましょう」と言いました。つまり「2年経ったら負けます」と言っています。こんな司令官がいますか?
どにかく敗戦後の阿川弘之の著作。阿川三部作:山本五十六・米内光政・・・・
の罪は深い。この官僚3人のどこをどうやったらこんなに褒められるの?