阪神淡路大震災三十年(皇紀二千六百八十五年 令和七年(2025年)一月十七日)4

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 平成七年に母が亡くなった(享年六十二歳)ので、その年のことはよく覚えています。

 特に、阪神淡路大震災は。

 一月十七日朝五時すぎにテレビでニュースが流れてきました。地震? なんか大きそうと思って、会社に行きました。会社に着くとどんどん被害の状況が伝わってきます。

 当時の出光興産株式会社は、本社と支店でTV電話を繋いでいましたから、すぐ神戸支店とつなぎました。

 これが筆舌に尽くし難いとはこういうことだということがわかりました。

 神戸支店は、私の尊敬するT支店長です。後の私の上司です。名古屋支店の。

 すぐにT支店長は、「今から、すぐに下のスタンドをオープンしろ!!!」

 部下は反対します。「まだ配管の検査も終わっていません。何かあったら大変です」。

 「何かあったら? もう、なにかがあっているんだろう。今は、平時ではない有事だ!!! いいからすぐに開けろ」
 
 すると、警察から電話がありました。

「近隣の業者から苦情が入っています。お宅だけがスタンドをオープンしています」

 支店長が電話に出ました。

「かしこまりました。今から警察を含め、緊急車両には、一切給油しませんので、そのつもりで」

「いいいいえっ、そういうことを言っているのではないので」

 すごいでしょ。これがオーナーシップです。

 本社とのTV会議では、役員以下全員がそろっています。
 
 T支店長は言います。いえ、どなります。

「そこにいて何をしているんだ! すぐに石油を運べ!!!」

担当社員が、「緊急車両がいるので、ローリーが入れません」といいます。

「それをなんとかするのが本社の仕事だろう!!! ならその緊急車両に先導させろ」

するとするとパトカーと消防車で、出光のローリーを先導してきました。

他の出光の特約店(出光では販売店)もそれにならって、続々と店を開け始めました。これが出光です。

これが「真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える」です。

佐三店主は、「世の中濁流の横に小さな清流を流せ。そして、その濁流の人間にあっちの方いいと、思わせろ。それが人間尊重の事業経営だ」と言います。

ところが、兵庫県知事の貝原は、震災の時、自衛隊に出動要請を出しませんでした。これが兵庫県政の闇です。自分が自衛隊に出動要請をした責任を取りたくないんです。

 当時は、県知事の要請がないと自衛隊は出動できなかったんです。

 当時の総理 村山もそうです。米軍から救出の申し出があったのですが、当時の社会党のイデオロギーで断りました。

 当時、伊丹駐屯に私の従兄弟がいました。「健にいちゃん、俺たちはとっくに出動準備はできていた。出動要請がなかったんだ」

 司令は、仕方がないので、車両をはじめ機材を分解して、隊員たちに担いで走らせました。

 あの震災は、貝原の人災です。

 記者会見で、何も知らないメディアは、司令を攻めます。「なんでもっと早く出動をしなかったんだ」と。

司令は、目に涙を浮かべながらその心無い一言に耐えていました。

軍人は言い訳をしないんです(サイレントアーミー)

 です。

 当の貝原は言い訳をするばかりで知らん顔です。

 こんな奴らは世の中の濁流を流れ続けてそれをよしとしているんでしょうね。かわいそうに。



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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年1月17日 08:52に書いたブログ記事です。

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