西宮市政百年⑩:鳴尾八幡神社(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月二十三日)

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  全国の八幡神社の祖は、宇佐八幡宮です。神功皇后(本来は神功天皇)は、三韓征伐にでて、見事勝利を収めまた。朝鮮半島は、古代から我國の災いなんですね。どの戦も、他国に頼んで自分たちは戦いません。

 

 神功皇后は、帰国時に福岡県に到着しました。そこで應神天皇を生まれます。生まれた地が「宇美(うみ)」と言います。おしめを変えた地が、「志免(しめ)」と言います。今でも実際にその地名が福岡県糟屋町に残っています。そして宇佐神宮に祀られます。道教の天皇家乗っ取り事件の時に、和気清麻呂が行って「うけひ」をした地です。

 

関西には岩清水八幡宮があります。源義家が元服したところです。なので八幡太郎義家といいます。

 

 八幡宮は、戦いの神様なのです。出光佐三店主が、イランに日章丸二世号を派遣しました。列強の英国を恐れて、どの国もイランの石油を買いに行きませんそれに敢然と立ち向かったのが出光興産株式会社です。日章丸を派遣する時に佐三店主は悩みに悩みます。もし、従業員の命は大丈夫かと。それと、出光興産には当時タンカーが一隻しかありません。もし、イランを植民地支配して石油の領有権を主張しているイギリスの軍艦に拿捕されたら出光は石油を運べなくなり潰れてしまいます。佐三店主は岩清水八幡宮で弓矢を買い求めます。そして、言いました「準備は十分してきた。矢は放たれた」。


みごと石油製品をつんで、日章丸が川崎港に入港しました。あつまったメディアに佐三店主は言います。

 

我俯仰天地に愧ず(われふぎょうてんちにはぢず:なにもはずかしいことはしてな)

 

 明治の男たちの胆力は凄まじいですね。

 

 そして、鳴尾の氏神様は、鳴尾八幡神社です。かなり歴史のある神社なんですが、数年前までは誰ものこないような、神社でした。女性の神主さんがいい加減だったのです。それが知らないうちに素晴らしい神社に変わっています。神主さんが変わったのです。地域のボランティアも大活躍です。出店も出始めました。今まで、初詣といえば、西宮神社か広田神社に行っていたのですが、最近は、鳴尾八幡神社ですませています。おみくじもお札も売っています。お守りも。

 

 我が家から10分もかかりません。こういう変化を創造する方々って素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2025年1月23日 08:20に書いたブログ記事です。

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