嫌いではありませんが浜幸(浜田光一)という衆議院議員など、千葉県一手に石油利権を持っていました。千葉県で工事用の油をうろうとしると浜幸の会社を通さないとだめなんです。当時は、まだまだ東京湾の工事需要がありました。それはそれは大した量の油使用量でした。ℓ2円でも抜こうものなら浜幸の莫大な利益となります。でも、選挙のとき、浜幸の事務所に行くとご馳走がたくさん。ちょうど営業担当の地区だったので、喜んで食べ行きました。これも油を売ったお金で買っただからいいよねとか思いながら。
なんて名前だったかな、北朝鮮に重油を売る団体。ああ、確かMEDOです。六カ国協議で北朝鮮に対する重油の供給量を決めます。日本のヤクザはそれを逆輸入します。A重油って98%が軽油なんです。軽油に残炭分を2〜3%ぐらい足すとA重油になります。だから、違法ですが、トラックは十分走るのです。経由には軽油税が32.1円/ℓの軽油税がかかります。でも重油にはかかりません。重油ですから32.1円/ℓの軽油税かかりません。日本のヤクザはを抜が入ってない軽油を運輸業者に売ります。経由税がかかっていないので、15円ぐらい重油の価格にプラスして。日本のヤクザと金正日は、その上前(例えば買い手に10円を乗せるとしたら、儲けは22.1円/ℓです。それをを山分けします。量が凄まじいですから巨額の利益になります(しらんけど)。今、北朝鮮には核があるからそんなことはやっていないと思います。
石原慎太郎がこの違法経由を都内から追い出したので、再び東京からも富士山が観えるようになりました。
閑話休題。マーク替え。例えば日石(現 エネオス)のガソリンスタンドが、一日で出光ガソリンスタンドに替わるというものです。昨日、述べた、スタンド枠で自分の系列でひとつスタンドを潰さないとひとつスタンド建設ができないので、元売りは積極的にマーク替えを推進しました。ガソリンスタンドには、マーク替え費用というものを元売りはその会社に渡しました。安くて10,000千円/スタンドです。ポータブルと言って地下タンクがなく、スタンドにのせているだけのスタンドでも枠の対象になるので、最低3,000千円で売れました。
マークを変えられると、元売りの担当支店長の首が飛んだぐらいです。私も他社マークのガソリンスタンドよく訪問していました。自分の担当地区の他社系列のガソリンスタンドの所長は、名前も含めて、すべて知っていました。元売りからの請求書もよく見せてもらいました。「副販売店は、欠減補助(ガソリンは蒸発するのでその分の補助がでる)が、でないんだ」ということを知りました。なんてことを行った他社系のスタンドには教えてあげたりして結構可愛がってもらいました。
マーク替えってどうやってやるのかって?
金曜日の夕方に「(元売り)に。あなたの系列の◯◯スタンドのマークを替えます」と内容証明郵便を元売り支店に郵送するのです。昔の郵便は、配達が早かったので土曜日に着きますが、元売りは出光除いて、みんな週休二日でした。出光は土曜日は出勤なので。それを土曜日に受け取れます。なので、マーク替えを阻止できる可能性が高くなります。他社は月曜日までわからない。月曜日になったら別の系列のガソリンスタンドになっています。
サインポールを切って、すぐさまそれぞれの元売りカラーに塗り替えます。残っている在庫などは、相手元売りに送ります。機械等を入れ替えます。油を替わる元売りのものに替えます。支店男性総出で金曜日の夜から日曜日までスタンドに張り付きます。徹夜です。
もし、相手元売りバレた時は、そのお元売り担当者は「俺ごと切れ!」って、サインポールにしがみつきます。ヤクザが邪魔をしにきます。怖い怖い!
簡単に申し上げましたが、一度14ヶ所の丸善(現 コスモ)のガソリンスタンドを出光のガソリンスタンドに全部替えたことがありました。私も参加しました。目の前に他の会社の出光のガソリンスタンドがあります。そこを出光にすると、事前説明に行った担当者は一升瓶で頭を殴られ、抜き身の日本刀で切り付けられたようです。そう、その出光のガソリンスタンドは、その土地の親分のような人でした。私もよく可愛がってもらって海辺のガソリンスタンドなので、新鮮な魚をよくくれました。
通商産業省の愚策がこんなアホなことを現場で起こしてしまったのです。どこにマーケティングがあります? 生産枠で上流を絞り、価格で油種間格差をつくり、そしてマーク替えで、流通を阻害する。誰が考えても業界は発展しませんよね。
元売りの若者が育たなくなりました。入社三年目だった私は、石油業界ってこんなところかと思い失望しました。「何が『真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える』だ。でも、それは人のせいにはしてはいけなかったのです。白けてはいけないと自分に言い聞かせながら仕事をしていました。
そして、「石油業界唯一の真実 宇佐美史郎」にお会いした時でした三年目社員から10年近くがかかりました。宇佐美の親父さんは、マーク替えが盛んな時には、どんなご商売をしていらったのでしょう。
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