水沢腹堅(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月二十七日)2

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 今は、二十四節気の大寒です。とても寒い日が続きますよね。夏はあんなに暑くて、いきなり冬になりました。私が大好きな空きがなかったような。

 でも、天のなりわいです。季節に文句を言うなんて、天に唾するようなものです。楽しみましょう

 七十二候は、大寒 次候 水沢腹堅です。

 厳しい寒さで沢を流れる水に厚く氷が張り詰めている頃です。年案で最も寒い時期です。このころの旬は鍋料理に欠かせのに、脇役なシュンギクです。年中変えますが、この頃が一番柔らかくて香りもいいですよね。さすが自然。ちゃんと鍋料理にシュンギクをプレゼントしてくれています。

 さて、この寒い寒い大寒のころの和菓子は・・・。
 そうかもうすぐ節分だ。今年は二月二日だそうですね。


 伊勢にある五十鈴茶屋さんの福豆です。著作権があるから掲載できないのが残念です。

 伊勢か〜久しく行っていないなあ。

  日本武尊のお父さんは景行天皇です。景行天皇は日本武尊に熊襲や関東平定(征服ではない)に派遣します。あちらこちらに自分だけ行かされるので、自分は父に嫌われているのではないかと思い、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)に会いに行きます。倭姫命は伊勢神宮の斎宮です。倭姫命は、そのとき、日本武尊に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を渡し、使命を果たすように諭します。

 日本武尊は、この天叢雲剣を使って、敵からの火攻めを防ぎます。これが草薙の剣となりました。三種の神器の一つです。

 伊勢神宮を造ったのは倭姫命です。天照大神と共に(おかしいと思わないこと)、倭姫命は、天照大神を祀る地を探す旅に出ます。長い長い旅です。

 伊勢に着いたときに、天照大神が「ここがいい」と言います。これが伊勢神宮の地です。日本書紀にはこう書いてあります。

「天照大神、倭姫命におしへて曰く『この神風の伊勢の国は常世(とこよ)の浪の重浪(しぎなみ)の帰(よ)する国なり、かた国のうまし国なり、この国に居(お)らむとおもう』とのたまう」

 神様さえもひきつける、風光明媚な大自然に恵まれた『美し国(うましくに)』だったということがわかります。

 古事記・日本書紀の頃からの神社に未だに国民が参る。これも日本の国の素晴らしさの一つです。他国では、その頃の施設は廃墟か観光施設になっているだけです。

 いけね、てこねずしと伊勢うどんが食べたくなってきた~。

今にまで 伝ふる国の 在り方が 今でも我らの 心に染みる

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このページは、宝徳 健が2025年1月27日 03:59に書いたブログ記事です。

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